レオン・グレイスの苦悩
ミーシャの養父レオン・グレイス視点
ディアナ王国世継ぎ誕生の宴で、僕は初めて我がグレイス家の養女ミーシャを宮廷の場に出した。
妻を亡くして孤独の身になった僕にとって、ミーシャは大事な娘だった。普段から素直で優しい子だが、記憶喪失になる前までは身体が弱くとても内向的だったため、心配のあまりつい甘やかしてしまうことが多かった。
だが、幸か不幸か記憶喪失になった後のミーシャは、今までからは考えられないぐらい健康になった。外に出て歩いても平気でいられることもだが、それ以上に嫌いだったピーマンを平然とした顔で食べていたのを見た時は、驚きながらも成長を感じて涙した。
そんなミーシャが、今日は初めて社交界に出ることになった。
大勢の人の前でとても緊張していただろうに、あの子は淑女としての振る舞いもこなせていて、僕はまたしても成長を噛み締めて涙が出そうになった。
しかし、やはりミーシャ自身の生まれについて気に食わない様子の令嬢達は存在しており、詰められて泣いてるのを見た時はすぐに助けに行こうかと思った。だが、黒髪の青年"アレン"に変装したアレキサンドラ様が助けに来てくれたおかげで、帰ろうとした頃にはすっかり笑顔だったので非常に安心した。
それはそれとして、僕にはまた悩みができてしまった。アレキサンドラ様にあれだけミーシャが16になったら正体を明かしてくれと頼んだのにも関わらず、肝心の本人はまだ話していないことだ。ミーシャがまだアレキサンドラ様の正体に気づいていない様子を見た時は、頭を抱えそうになった。また宮廷に行った暁には、本気で説明を求めたい。
しかし、僕にはまだ庭園に残って済まさなければならない用がある。
本当なら、友人や知り合いなど様々な人達と話すだけでなく、今後の国政と現段階決める予定のグランディエ様の婚約についての話をして疲れているため、真っ直ぐ帰るつもりだった。
ミーシャにはサラと一緒に馬車で待っててもらい、僕はその用を済ますために庭園まで向かう。
そこで人影が立っているのを見て、早く用を済ませたい気持ちが相まって急ぎ足になる。
クリーム色の髪をセンター分けにしている青年の姿がはっきり見えてきた所で、相手は恭しく頭を下げてきた。
「………お待ちしておりました。グレイス侯爵」
「ああ…なるべく手短に済ませてくれるかな、ドルーゼ君」
「分かっておりますよ。ですがとても大事なお話をしておきたかったもので」
閉じたような目の青年━━ドルーゼ君は、僕の意思を聞いて腰を低くしているが、その張り付いたように見える笑顔は、申し訳ないがどうも胡散臭く見えてしまう。本人からは"王妃の弟"になったという驕りが見られるわけではないのに、どうしてもそう見えてしまうのだ。
「それで…その大事な話とは何だ?」
「………貴方の所のご令嬢が、黒髪の青年に変装したアレキサンドラ様と仲睦まじいことをヴィクトワール公爵からお聞きしました。そのことについてご相談があるのです」
ドルーゼ君から受けた相談の予想は、概ね当たっていた。未だに王妃一家を気に食わないヴィクトワール公爵が、挑発のつもりでこの青年にそれとなく話したことは、僕自身もアレキサンドラ様本人から相談を受けていたからだ。
礼儀としての挨拶の場において、王妃陛下は優しく振る舞っていらしたものの、噂の本人であるミーシャを前にして気分が良いわけがなかっただろう。ドルーゼ君も弟となれば、黙っていられず、僕に苦情として話しに来たに違いない。
「っ………すまない、私も分かっているんだ…君の姉君のためにもミーシャには真実を早く伝えるべきだと…」
「何故申し訳なさそうに話すのです?僕は貴方に王妃の弟として苦情を言いに来たわけではありません」
申し訳なく思うなら早く真実を伝えろと言われることを覚悟だったが、ドルーゼ君は何故か張り付いた笑顔のままだ。
「………?どういうことだ?」
僕がそう尋ねた途端、ドルーゼ君はよく聞いてくれたとばかりに笑顔で話し始める。
「僕はむしろ、このままミーシャ嬢とアレキサンドラ様にはご関係を貫いて頂きたいと心の底から願っているんです」
王の愛人と疑われかねないミーシャの関係を、王妃の家族であるこの男は積極的に応援しているとでも言うのか。
僕はこの青年の考えが、とてもじゃないが理解できなかった。
「ッ………君はそれを本気で言ってるのか…?王妃の弟ならば…姉君のためにアレキサンドラ様と会うのをやめろと考えるところじゃないのか!?」
毎日姉だけでなく王女フェリシア様や生まれたばかりの王太子アレックス様の様子まで見に来ていた姉思いのこの男は、まるで姉と国王との仲が悪化することを望んでいるように見える。
そして、ドルーゼ君の口にした言葉は不敬にも値するものだ。僕はその注意のつもりで訴えた。しかし、肝心の本人はそれを聞いた一瞬で笑顔から表情が抜け落ち、姉譲りのアクアマリンの目が露わになる。
それを見た僕は、思わず背筋がゾワっとした。
「はぁ〜〜…これだから心が何もかもお綺麗な人間は苦手なんだよなぁ。僕の姉上を徹底的に嫌うヴィクトワール公爵の方が本気で憎める分まだマシだと思う日が来るなんて」
笑顔と敬語を解除して本音をつらつらと述べるドルーゼ君の姿は、とても恐ろしいものだった。これ以上何を言っても無駄のように感じた僕は、まずはドルーゼ君の本音を聞くべきだと思うしかなかった。
「ッ………君は…何故我が娘とアレキサンドラ様に関係を貫いて欲しいと願うんだ?」
「……そんなの、ごく単純な気持ちからですよ」
そう言って、ドルーゼ君は僕の耳元に顔を近づけてくる。
『僕は━━━━━━━━━━』
「……………ッ〜〜〜〜〜!?」
そこで聞いた言葉に対し、僕は背筋が凍りつき、ドルーゼ君から勢いよく身体を離した。
「っ………はぁ…ッ……き、君は…一体……」
「そんな不気味がらないで下さいよ、僕は姉孝行な男なだけですから」
呼吸が乱れる僕を見ているドルーゼ君は、いつの間にか張り付いたような笑顔に戻っていた。だが、胡散臭そうに見えていただけのその顔は、今では本気で恐ろしく感じる。
「き、今日は帰らせてくれ!!ミーシャをこれ以上待たせるわけにはいかないんだ…それじゃあ失礼…!!」
これ以上ここにいるのが恐ろしくなり、僕は久々に全速力で走り、逃げるようにミーシャが待つ馬車まで向かった。
「………レオン・グレイスはやはり使えないな。想像以上に心がお綺麗な人間で、最早吐き気がする…やはり俺がどうにかするしかないな」
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馬車にたどり着いた頃には、僕は息切れ切れだった。
「ぜぇ…っ…ぜぇ……」
「…お父様大丈夫?庭園で運動してたの?」
馬車でずっと待たされて苦痛だったはずなのに、ミーシャは僕の心配をしてハンカチを渡してくれた。
ドルーゼ君のことが恐ろしかったせいか、我が娘ながら本気でミーシャに癒される気分だ。
個人的には勘弁して欲しい件ではありつつも、アレキサンドラ様が優しくて少し天然気味なミーシャに会いたいと願うのも無理はないと思った。
「そ、そうなんだよ…はぁ…っ…やっぱり普段から運動しないとだな…はは…」
「無理して腰痛めないでね…?」
「ああ…そうだな…気をつけ………いででででッ…!!」
「お父様大丈夫!?やっぱり腰が…」
「大丈夫ですか旦那様!?早く馬車を出して下さい!!」
腰まで痛めるつもりはなかったのに、早速運動不足で無理した全速力が負担になってしまったらしい。
結局ミーシャだけでなく、侍女のサラにまで心配をかけてしまった。だが、運動をしていたと勘違いしてくれたおかげで、ドルーゼ君と会い、アレキサンドラ様とミーシャのことを話していたことについては全く悟られずに済んでいる。
誤魔化しが効いて、心の底から僕はほっとしている。
アレキサンドラ様とミーシャの関係についてだけでなく、知りたくなかったドルーゼ君の秘密まで知ってしまったことなど、ミーシャ本人には絶対に悟られるわけにはいかないのだ。
『僕は本気で姉さんのことを愛しているんです。だから姉さんを奪ったアイツがアンタの娘に夢中になってくれている方が、僕には都合が良いんですよ』
ドルーゼ君の秘密の告白が、今でも脳裏に焼き付いている。あれを聞いてから、僕は察知した。
ドルーゼ・グレナデンは、アレキサンドラ様だけでなく、反対していた自分の姉の結婚を最終的に許す形にしたラルフを憎んでいると。
(………頭の痛いことだ…)
色々あって疲れた僕は、何も考えたくなくなった。
だが、ひとまず明日は王に対して手紙でミーシャにいつ正体を明かすのかという旨とドルーゼ君への警戒を伝えようと、疲れ果てた身体で僕は考えていた。
「ミーシャ、今後のことなんだが…恐らくアレン様は世継ぎ誕生をきっかけにとても忙しくなってしまう。今まで以上に会えなくなるかもしれないが、気にしないようにね」
"アレン"としてのアレキサンドラ様に会えなくなる可能性があるのは本当だ。現に今後は王弟グランディエ様の婚約次第で国政を担う人材も様々に変わる可能性があり、僕もその教育を担うことになる。
しかし、本当はそれだけが理由ではない。
僕はミーシャが国王に対して恋心を抱いてしまう前に、距離を置かせて自然と関心を無くさせるしかないと思っていた。
"アレン様"を慕っているミーシャには可哀想なことだが、本人がドルーゼ君の野望に巻き込まれて、最終的に王の愛人と中傷されてしまうよりはずっとマシだ。
「………そっか…そうだよね。忙しくなるなら仕方ないよね…」
納得しながらも寂しそうな表情をするミーシャを見て、僕は胸が痛んだ。
僕は初めて、ミーシャに嘘をついてしまった。
その事実を痛感すると、頭まで強い痛みを感じ始めた。
(っ……ああ…今日は本当に頭が痛むな…疲れているのかもしれない…)
次回はアレキサンドラ側の話です。どんどんドロドロな展開になって参ります




