40 一件落着の後に
「彩香は私が、怖くない?」
紺音はやはり鼻声で、それだけを尋ねてきた。
膝を抱えたまま、ほとんど動いてはいない。
それでもほんの少しだけ、伏せていた顔が上がっている。
横目で見ても、まだ表情までは見えなかったけれど。
「紺音の神については、カドちゃんに聞いてる。この宇宙全体を創造した神の意思を実現するために動いている、宇宙でも最強クラスの神。でも、どういう基準で動いてるのかはイス人にも理解不能……簡単にまとめるとそんな感じだったと思う。もっと細かいことも言ってたけど。その時にね、基本的な意思決定は化身に委ねられているって聞いた。なら紺音は、紺音自身の判断で動いてるはず。だから私は怖くない。紺音を怖いなんて思えない」
「一般には邪神とされて、実際に多くの人を破滅させた神であるのは事実」
「それは紺音じゃない化身の話。紺音なら理由もなく、そんなことはしないと思う。いや、多分できない。能力的にじゃなくて、紺音っていう人間の性格的に。逆にもしそういう事をしたのなら、そうせざるを得ない絶対的な事情があったんだと思うよ。私から見た紺音なら、それくらい信じられる」
「ありがとう」
通じただろうか。そう思いつつ、次の紺音の反応を待った。
「それじゃごめん。支度して、夕食の買い物に行こうと思う。ただちょっとシャワーを浴びたい。だから彩香、自分の部屋で待ってて。支度が出来たら呼ぶ」
これは大丈夫、ということなのだろうか。
気持ちは通じた、ということなのだろうか。
ただここでこれ以上粘っても、どうするべきか思いつかない。
「わかった」
だから私は紺音の言う通り、一度自分の部屋へと向かった。
一緒に風呂に入ったくらいなのに、どうしてここでは私を外に出すんだろう。
疑問は残るけれど、仕方ない。
私自身は着替える必要はない。
徳山から帰って、そのままの格好だから。
やることがないのでスマホを出して、学内SNSを開く。
緊急のお知らせが出ていた。
『第二生徒会関係の書類様式変更のお知らせ。前会長、第一副会長の退任に伴い、第二生徒会宛の様式の会長名欄、副会長名欄が変更となります。新しい書式はこちらです』
なるほど。生徒会役員が替われば、名前入りの書式は確かに変更になる。
それにしても日曜だというのに、あの決闘から半日で新しい様式を作り、ダウンロードできる状態にしてしまった人がいるわけだ。
さらに、新会長や新副会長を決めて、学校側に届け出る作業も必要だったはず。
……何というか、休みなのに本当に大変だなと思う。
ついでに気になっていた自分の学内ランキングを確認。
十一位まで上がっていた。
かなり上がったなと思う反面、もっと上がってもいい気もする。
ランキング三位の日布野や、六位の吉森を倒したのだから。
でもまあ、上がりすぎて目立ってターゲットになるのも面倒だ。
まだ高一だし、上にはあと二学年ある。
だから深くは気にしないことにした。
さて、他に調べた方がいい事は――そう思ったところで、隣の部屋から声がした。
「用意、終わった」
「わかった、今行く」
私は部屋を出る。
紺音の格好はさっきと同じ、黒いブラウスに黒白チェックのスカート。
よく見ると目が少し赤い気がするけど、違いはそれくらいだった。
「買い出しは中央購買でいいの?」
「そう。特に魚はあそこがいちばん新鮮」
例の宗教団体系魚屋か。
でも、今までの第二生徒会やテロを招き入れていた第四生徒会に比べれば、きっとずっとましだろう。
ひょっとしたら宇宙的な陰謀を企てているかもしれないけれど。
「わかった。それじゃ自転車で食堂前に集合でいい?」
「それで」
うん、この辺は今までと変わらない。
今までと言っても、一昨日からの二日間だけのことだけれど。
でも私は、この状態が気に入っている。
つまり、多分きっと、一件落着ってやつなのだろう。
◇◇◇
そして夕方六時過ぎ。
カドちゃんも再びやってきて、夕食の時間。
「今日のメインはカレイなのですね」
「揚げて煮た。生だと皮に臭みがあると聞いたから」
これは私も一緒に行ったとき、例の魚屋で聞いた。
「鮮度は悪くないんだが、このカレイはすぐ皮に匂いがつく。だから三匹五百円」
魚はもう一種類。
サヨリという、細長くて口先も細い小魚が一かご三百円だったので購入。
これは細長い刺身になっている。
他はサラダ、味噌汁、ご飯という献立だ。
今日の刺身は繊細な味。
薄めた出汁醤油にチューブのショウガを少し混ぜて食べると、上品なものを食べている気になる。
身はほんのり甘く、クセがなくてなかなか美味しい。
でもご飯をかっ込むなら、揚げ煮にしたカレイが正しい。
まさにカドちゃんが、ざっと骨を取った身をご飯にのせ、さらに汁をかけてがっついている。
「刺身もいいのですけれど、今日はこれが正しい気がするのですよ」
確かにそんな気もするけど、マナー的にはどうかと思う。
まあ、紺音と私とカドちゃんの3人だから問題はないけれど。
「ところでカドちゃん、新聞部の方は大丈夫なの?」
「明日の号外分は問題ないのですよ。学内能力者年鑑の訂正は私の担当じゃないので問題ないのです。各生徒会・サークル一覧』の訂正も私の担当ではないですし、刷り上がった冊子に挟むだけなので問題ないのです。それより紺音ちゃんと彩香氏が無事くっついたのがめでたいのです。ここまで苦労した甲斐があったのです。なのでお礼寄越せなのです」
ちょっと待って。
「くっついたっていうか、同性同士の健全な同居だから。生活費を節約できるし、美味しいものも食べられるし」
「なら節約分を私に還元して欲しいのです」
「還元って……レーズンサンド渡したでしょ」
「そういえば確かに貰ったのです。でももう残っていないのです。なのでもっとよこせ、という本音はともかくとして。これで彩香氏の騒動も一段落したと思うのです。そこで真面目な質問というか、彩香氏に考えて欲しいことがあるのです」
真面目な質問? 何だろう。
「この学校は普通に調べた場合、名前が出てこない筈なのです。関係者から話を聞くか、能力を自覚している者が意識して探すかしない限り、入学方法を把握出来ない筈なのです」
「えっ!?」
「ネットで普通に見られたけど?」
でも確か、紺音にも似たようなことを言われた気がする。
返事してから思い出した。
「学校の存在を知っていて、かつ神の能力を使える者でないと、Web上の公開ページを見ることが出来ないようになっているのです。彩香氏が見られたのは、学校の存在を知っていたからなのです。だからこそ、彩香氏にこの学校を教えたのが誰かが重要なのです。私や紺音ちゃんに答える必要はないのです。彩香氏自身が、直接確認すればいいのです。そして話を聞く機会はある筈なのです。具体的には明日の夕方頃に」
カドちゃんが誰を指しているのかは、すぐに理解できた。
名居だ。
私にこの学校のことを教えてくれた、中学時代ほぼ唯一の友人。
明日の夕方、この学校に到着予定だ。
「私も紺音ちゃんも、それぞれ自分なりのやり方で今の疑問の答えを知っているのです。ですが彩香氏は、彩香氏に出来る方法で答えを出した方がいいのです。なので明日の夕食もお邪魔して、紺音ちゃんと一緒にここで彩香氏の帰りを待っているのです。彩香氏は彩香氏自身で、今私が投げた疑問の答えと、自分の立ち位置について調べて、考えてきて欲しいのです」