37 追跡 ⑴
──さようなら!?
「ちょっと待って!」
私がそう言う直前、周囲が暗闇に覆われた。
紺音の魔法『闇の顕現』だとわかっても、体が動かない。
足下どころか、自分の手すら見えない。柵があるとはいえ、すぐ先は崖だ。
「紺音?」
呼びかけても返事はない。
さっきまでそこにいたはずの気配も感じられない。
耳を澄ませても、呼吸音も、弁当を片付ける音も、足音も聞こえない。
紺音は、私と別れようとしている。
その理由は、さっき聞いたとおりだ。
私が危険ではなくなった。
神の立場が違う以上、このままだと私が苦労する可能性がある。
私と紺音の出会いを仕組んだ誰かがいる。企みは紺音にもわからない。
危険な事態に巻き込みたくない。
さらに──自分と同じ失敗をさせたくない、と。
普通に憧れながら、普通じゃなくなって孤独に陥る。
それはきっと、紺音自身の経験なのだ。
どの理由にも「嫌いになったから」はない。
全部、私のためを思ってのことだ。
少なくとも、表向きは。
もちろん、それは言い訳かもしれない。
本当は、ただ私が嫌いになっただけかもしれない。
でも、ここで焦る必要はない。
どうせ学校は同じだし、クラスもたぶん一緒。
確かめるのは、明後日の学校でもいい。
もう少しここで待てば、暗闇も晴れるだろう。
そうして暗闇が晴れたら、途中で買い物でもしながらのんびり帰って──
──脳裏に、警告のような衝撃が走った。
何かわからない。でも間違いなく、これは警告だ。
このままではいけない。
私の能力か、それをもたらした存在が、そう告げている気がした。
どうすればいい?
今までのピンチでは、紺音がいたか、カドちゃんがヒントをくれた。
でも今は2人ともいない。
私一人で、今の事態を打開しなければならない。
何も見えないけれど、立ち上がる。
崖側を向いて座っていたから、道は背後にあるはず。
真っ暗な中で歩くのは難しい。
それなら──
ひらめいた。
成功するかはわからない。でも、試す手はある。
私は横に置いたディパックを手に取り、背負う。
椅子を手で探って位置を確認し、反対側──道があるはずの方へ移動。
左腕を目いっぱい腕まくりし、前方へ突き出す。
私の能力は炎と熱線。
なら攻撃用じゃなく、照明用の炎も出せるかもしれない。
そう信じ、左手の先に意識を集中する。
ボッ、と炎が灯った。
暗闇に比べれば頼りないが、それでも周囲が少し見える。
足下のコンクリ舗装も、かろうじて確認できる。
遠くが見えなくても構わない。
下りが帰る方向だ。炎を頼りに足を進める。
二十歩ほど進むと、ふっと周囲が明るくなった。
暗闇を抜けたのだ。
同時に、思考の一部が変わった気がした。
──もう少し待った方がいい。話は後でいい。学校が始まってからでも……
そんな思考が、一気に弱まった。
今のは、日布野の睡眠と同じ精神攻撃系の魔法?
解説役はいないから断定できないが、多分そうだ。
そして、その魔法はまだ続いているかもしれない。
時間が経てば、また思考を変えられる可能性がある。
暗闇を抜けた今は、一時的に弱まっているだけ。
だから今、やるべきことは一つ。
紺音にできるだけ早く会う。
会って、きちんと話をする。
紺音の居場所を探す能力は私にはない。
けれど、いそうな場所は想像できる。
一昨日から今朝まで一緒に過ごし、徳山へ行く前までいた、あの部屋だ。
この考えが私自身のものかは自信がない。
それでも、紺音の妨害でも、他の誰かの誘導でもないと感じる。
今は、その感覚を信じるしかない。他に手はない。
コンクリ舗装の道を走り下る。
アスファルトの道端に停まっている自転車は1台だけ。
鍵を外し、跨がり、ヘルメットをかぶる。
そして、全力でペダルを踏み込む。
私の神の力には、体力強化も含まれているはず。
本気で漕げば、すぐ寮に着ける。
あの部屋に行くには、自分の部屋のドアを通るしかないだろう。
寮の紺音の部屋からは、おそらく入れないだろうから。
徳山のどこかにあるというマンションを探す手段もない。
紺音が扉の魔法を解く前に、たどり着く必要がある。
幸い、ここから寮までは遠くない。普通に走っても10分少々だ。
職員住宅を抜け、トンネルを通り、右折して島の縦断道路へ。
車はほとんど走らないし、来ても音でわかる。
全力でペダルを踏み込む。
細いタイヤではカーブを曲がるのがぎりぎりだが、力でねじ伏せる。
寮の自転車置き場に飛び込み、寮務室前以外は全力で走って自分の部屋へ。
カードキーで鍵を開け、ノブを回し扉を引く。
見えるのは──ごく普通の寮の狭い玄関。
……いや、中に入って扉を閉めないと移動しないんだった。
玄関に入り、扉を閉める。
何も変わらない。
元の部屋のままだ。