32 船上にて
紺音はその気になれば、あの銀の鍵を使ってどこへでも移動できる。
だから、私が待つ必要はない。
私自身が船に間に合うよう、自転車で飛ばせばいいだけだ。
ガンガンに速度を出して、中央購買の上から下の港へと一気に下る。
港に停泊している小型フェリーに学生証を見せて、自転車を引いて乗り込み、壁際の手すりにバンドで固定してもらって、ようやく一息。
紺音が来るかと思ったけど、少なくとも自転車では姿を現さないまま、フェリーは出航した。
次の大学部下で乗ってくるのかな、それとも徳山港で待っているのかな。
大学部まで走るのは結構大変だし、たぶん徳山港の方かな。
そう思ったところで――
「無事、間に合ったのですね」
聞き慣れた声がした。
え、なんでいるの? けっこう飛ばしてきたはずなのに。
そう思いながら、声の方を振り返る。
間違いない。カドちゃんだった。
決闘の時と同じ、水色のポロシャツ姿だ。
「どうやってこの船に乗ったの? あの校庭からここまで、全力で走っても間に合わないよね」
「これでもイス人なので、多少の空間操作くらいはできるのですよ。ただ新聞部的には、決闘終了時にインタビューしようとして逃げられたという形にしたかったのです。だから、わざとああして逃げてもらったのです」
なるほど。
「つまり取材失敗ってことにして、私を逃がすためだったの?」
「新聞部的には、彩香氏と新聞部に直接の繋がりがないと一般の皆様に思わせたいのです。そして私個人としては、彩香氏と紺音ちゃんを一定時間離すためなのですよ。つまりは、この今の時間を作るためなのです。なお紺音ちゃんは自転車ごと移動して、徳山港で待っているのです」
ふと気づいた。
カドちゃんの雰囲気が、明らかに今までと違っている。
危険というわけじゃない。
だけど、決闘のとき以上に、何か張り詰めたようなものを感じる。
「それで、その作った時間で、どうするつもりなの?」
「確認したいのですよ。彩香氏が紺音ちゃんをどう思っているかを」
カドちゃんはそこで一呼吸置いてから、ゆっくりと言葉を続けた。
「私はイス人なので、それなりの装置や精神交換を使えば、未来の事象のほとんどを読み取ることができるのです。でも、対象の力が強すぎたり、相反する力が絡んでいたりすると、未来を読み取れなくなることがあるのです。
そして紺音ちゃんと彩香氏の力は強いのです。しかも本来は、相反する種類のはずなのです。所属する陣営だけでなく、力の種類や形態も相反している。だから、ふたりの今後がどうなるかが、読み取れないのです。読み取ろうとするたびに矛盾が出てしまうのです」
正直、言っている意味がわかりにくい。
たぶん私の知識がまだ足りていないんだと思う。
でも、言いたいことは伝わる。何となくだけれど通じる。
「つまり、私と紺音の未来は見えない。そういうこと?」
「その通りなのです」
カドちゃんは頷いて、さらに続けた。
「紺音ちゃんは、最強レベルの神の化身なのです。もちろん、彼女はひとりの人間として、他の人間と同じように独立した知識や記憶、思考、身体を持っています。ですが同時に、最強クラスの神のひとりとしての知識や記憶、力も有しているのです。本人にとっては、それが当たり前のことで、区別なく両立しているのです」
最強レベルの神、か。
「そして彩香氏も、おそらくは似たような状態になると思うのです。紺音ちゃんの神と比べると、かなり力は弱めで、汎銀河クラスの神の中では並程度なのですが、部下や化身に割と気軽に全力を分け与える神なので、使える力は地球上ではかなり高いレベルなのです。
その前提で、彩香氏に質問なのです。内容は、神としては相反する存在である紺音ちゃんを、好きでいてくれるかどうか。
別に同性婚するとか添い遂げるとか、そういう意味じゃなくていいのです。友人として好ましく思う、それで充分なのです。嫌ったり敵視したりせず、好きでいてくれるか。答えてほしいのです」
少なくとも、今は私は紺音のことが好きだと思う。
どういう“好き”なのか、はっきりとは言いきれないけれど。
性的に好きなのか、友達として好きなのか、それとも面倒を見てくれてありがたい存在としてなのか――その全部を含めた“好き”だ。
でも、カドちゃんが聞いているのは「この先も含めて」だ。
未来のまだ知らない情報があっても、それでも好きでいられるかと。
私は紺音を化身としている神について、ほとんど何も知らない。
自分に力を与えている神のことも、『グリューヴォの戦士』としてのことも、正直ほぼ未知だ。
だけど、自分に力を与えてくれている神に関しては、何となく信じていい気がする。
炎の柱みたいな見た目の、強面どころじゃない存在だけれど――
そういえば、質問を投げかけたカドちゃん自身も、「割と話がわかる神」って言ってたっけ。
なら、私の側は、結局は自分の意志次第。
そして紺音についても、きっと大丈夫。
彼女が自分と私の立場について語った言葉を、私はちゃんと覚えている。
「以前、生徒会の会長と副会長について説明したあとで紺音が言ってた。『神同士は相容れなくても、人の方はわかり合える。先輩たちはそういう立場だし、私もそう信じたい』って。それにカドちゃんも言ってたよね。私の力の源である神は強面だけど、話がわかる神だって。
つまり、カドちゃんが確認しようとしたのは、私個人の意思ってことでしょ。なら問題ないよ。紺音は、その服装や話し方、それに力のせいで誤解されやすいかもしれないけど――それでも、親切な子だって私は知ってる。料理が好きで、自転車も好きで、ちゃんと“普通の人間”な部分もあるってこと、私はわかってる」
言いながら、ふと思い出した。というか、思いついたことがあったので付け加える。
「カドちゃんはイス人で、過去のことも未来のことも、たいていは見えるんだよね。私と紺音の今後のことが見えないとしても、それ以外はほとんど、把握してるはず。そんなカドちゃんが紺音について『紺音ちゃんの判断は絶対的に信頼できるのですよ』って言ってた。そんな相手に対して、私が余計な心配をする必要なんてない。だから結論。私は、紺音を嫌いになることはない。こんな返答でいい?」