19 最大の問題
何か大きな気配が消えたように感じる。
あの緑色のスライムを、無事倒せた様だ。
それでも私の身体はまだ、私が動かせる様にはなっていない。
勝手に回れ右をして、入口の方へと歩き始める。
何をするつもりなのだろう。
まだ的が残っているのだろうか。
入口の先は左右に伸びる廊下だ。
壁も床も天井も、先程の広間と同じ緑色の石で、所々に緑色の照明があるのも同じ。
そこで私は左側を向いて立ち止まった。
こちらは正面二十米くらい先に階段があって、その上はここからは見えない。
その階段の上方向から、急ぎ足の足音っぽい音が聞こえてきた。
おそらく1人だろう。
私の左腕がゆっくり上がり、階段中央を狙う。
靴が見えた。黒いつやつやしたエナメルっぽい質感の、黒リボンがついた靴。そして黒いレースのソックス。
黒いスカートが見えた時点で、私は誰か気付いた。
紺音だ、多分。
ならここで撃ってはまずい。
『待って、撃たないで!』
左腕は下がらない。狙いを定めている気配も止まらない。
『紺音は味方。私の味方だから!』
反応なし。
そして黒い黒いフリルたっぷりのブラウスと裾が広がったスカートまで見えた。
もう間違いない、紺音だ。
カドちゃんの注意を思い出す。
『ただ最大の問題は、倒して一件落着したかと思った後にやってくるのです』
『紺音ちゃんも、火や炎、熱攻撃に弱いのです。これは絶対に意識から外さないで欲しいのです』
私の攻撃は熱線、つまり紺音が苦手とする攻撃。
ならカドちゃんの言った最大の問題とは、きっと今の状況だ。
解決方法も、カドちゃんは言っていた。
『ヤバいと思った際は、Orryxに呼びかけて自分の意思を伝えて欲しいのです。多分それで何とかなるのです』
私は必死で呼びかける。
あれは敵じゃない。神の勢力としては同じ側ではないけれど、少なくとも紺音本人は敵じゃない。
だから撃たないで、お願い。
ついに顔まで見えた。間違いない、紺音だ。
左手が左右に動いて、照準をあわせる。
待って! 撃たないで! 撃つくらいなら暴発して! 紺音に届かないで!
そう思った瞬間、いや世界が変わった。
ゴツゴツした平らな岩が延々と続く大地と、暗い空。
その地面から空へ向かって伸びていく、白と紫に輝く巨大な炎の柱。
瞬間移動したわけではない。自分の身体が見えないし感覚もないから。
私の意識だけが宙に浮いて、炎の柱を見上げている感じだ。
炎の柱が何なのかは、直感的に理解した。
神だ。私に力を与えた、張本人。
言葉は無い。それでも意思は伝わってくるし理解出来る。
あれは敵だ、何故撃つなと判断したのか。
そう伝わってくる。
強烈な圧力を感じる。それでもここで引き下がる訳にはいかない。
だから私も必死に呼びかける。
声ではないけれど叫ぶくらいのボリュームで、伝えるべき意思を意識する。
紺音は私の敵ではなく味方。
あの場所へ私を移動させ危険にさらしたのは別の人。
紺音自身はその件に関わっていないし、此処に来たのはきっと私を助ける為。
だから紺音を攻撃する気はないし、したくない。
炎の柱が、一瞬揺らいだように感じた。
笑みを浮かべた、あるいは苦笑しつつ頷いたように私は感じる。
もちろん人間とは違う存在だから、私の錯覚かもしれないけれど。
また景色が変わった。
元の石造りの廊下、あの空間から意識が戻ってきたようだ。
ふっとしゃがみ込みそうになって、慌てて足に力を込める。
自分で身体を動かせる様になっている。
でももう、倒れるのを防げない。
それでも紺音を攻撃するよりはましか。
そう大した怪我にはならないだろう。
でも顔に傷が出来ると嫌だな。
そう思ったところで、私は抱き留められた。
誰の腕か考えなくてもわかる。
「彩香、大丈夫?」
紺音だ。いつもと比べると、少し声が高くて言葉が速め。
「ありがとう。こっちは大丈夫」
助かった、本当に。
なんというか、ほっとした。
また力が抜けそうになるけれど、何とか足に力を入れる。
「良かった。立てる?」
「うん」
私が自力で立ち上がったところで、彼女は銀色の鍵を取り出した。
十二糎位と大きい、古めかしい感じの鍵だ。
「その鍵っぽいのは、何?」
「移動用の神器。複製品だけれど、地球の表面を移動する程度なら問題ない」
移動用の神器で、地球の表面を移動する程度か。
それってど○でもドアみたいなものだろうか。
よく考えると、とんでもない代物だよな、私の理解通りなら。
そう思ったところで、紺音がさらに付け加える。
「滅多に使わない。使いすぎると人間らしい感覚が壊れる。でもここから日本まで普通の方法で帰るのは難しい。だから今回は仕方ない」
『日本まで普通の方法で帰る』ということは、此処は日本ではないのだろうか。
確かに日本っぽくない雰囲気ではあるけれど。
「ここって、どこ?」
「Alaozar。ミャンマー北部の山岳地帯」
思い切り国外、東南アジア方面だ。
確かにそれなら普通に帰るのは難しい。
飛行機代は高いだろうし、そもそも綿素はパスポートを持っていないし。
「途中で飛ばされないよう、手を繋ぐ。到着まで放さないで」
近づいてきた紺音が左手を伸ばし、私の右手を掴んだ。
触れている部分が熱いのは、ぎゅっと握っているから。
ここで手を離すと日本に帰れなくなるからで、少なくとも私には他意は無い、きっと。
紺音は右手の親指と人差し指で鍵の軸を持って、くるくると回した。
景色が灰色に消える。足が地に着かないような浮遊感。
5つ数える位で、周囲に色が戻った。着地したという足裏の感触。
回りを見回す。
スチールロッカーで区切られ、パソコンやプリンタ、作業用の長机が置かれたごちゃっとした部屋。
そして見覚えのある、ポロシャツにプリーツスカート姿の小柄な女子生徒。
「無事到着、お疲れ様なのです」
そう、カドちゃんだ。
「此処は?」
「第五生徒会室というか、新聞部の部室なのですよ。今日は休日で業務お休みなので、私以外誰もいないのです。人目につかない移動場所としては悪くないのです」
なるほど。
確かに瞬間移動で出現なんてのを見られたら、常識的にまずい気がする。
この学園島にどこまでそういった一般常識が通用するのか、まだ私は把握し切れていないけれど。
「と言うことで、おしおきの準備なのですよ。今回の陰謀は第二生徒会の日布野会長と吉森副会長が黒幕で、元第六生徒会書記の高梁がAlaozarに通じる罠を仕掛けたという形なのです。
という事でイス人である第五生徒会認定の事実証明をつけて、この3人を決闘に引っ張り出し、おしおきするのですよ」