18 異郷の戦闘
通称カドちゃんの常識から逸走した話は、彼女のスマホからの通知音でやっと止まった。
カドちゃんはさっと画面を確認した後。
「時間というか用事が出来たのです。それではこれで失礼するのです」
そう告げて、あたふたと部屋を出て行った。
何の用事が出来たのかは、わからない。
でもあれがクラスメイトの生活というのは、正直大丈夫なのだろうかと思ってしまう。
それでも多分、中学時代のぼっち生活よりましだろうけれど。
とりあえず本も読んだし、時間も出来た。
なら中高等部に付属している方の食堂や購買部を見てこよう。
今日の帰りに見た限りでは、そこそこ生徒らしい人がいた。
そういった他人の目があるところでは、いきなり襲ってくる可能性は低いだろう。
私は学生証が入ったカードケース入りポーチに折りたたみ式のエコバッグを入れて、部屋を出る。
寮内では特に人にあわないまま渡り廊下まで出て、そして学校付属の購買部方向へ。
ここまで来ると、他に生徒がちらほらいる。
大部分は先程のカドちゃんと同様、ポロシャツにスカートとか、男子ならチノパンといった服装だ。
学校からの資料でも『上は白か薄い色、もしくは紺のポロシャツ、下はチノパンやプリーツスカートが多い』となっていた。
この学校は制服が無いから、何を着てもかまわないとはなっている。
それでも紺音とか第六生徒会の連中のようなユニークな服装は、少数派のようだ。
私はスカートが苦手だから、それっぽいスラックスを持ってきている。
それでも多分、それほどの違和感は無いだろう。
なんて事を考えながら、渡り廊下から食堂や売店がある厚生棟の手前、テラスっぽい部分を歩いていたところで。
ふと上空に、異形な何かが見えた気がした。
何だろう。そう思った次の瞬間、ふっと足下にある筈の地面の感覚が消える。
周囲の風景も揺れて、色そして明度を失い灰色一色になった。
何が起こったのだろう。何かの魔法かな。
そう思ったところで、周囲が再び明度と形を取り戻した。
しかし見えたのは、厚生棟前とは明らかに違う風景。
壁、天井、床全てが煉瓦っぽい石で造られた、広間っぽい部屋。
広さは概ね中学校の体育館くらい。
窓はないが、壁の所々に緑色の炎をあげる蝋燭みたいな照明があり、周囲を見るのに困らない程度には明るい。
どう見ても現代の一般的な建物ではなさそうに思える。
ダンジョンか古代遺跡か、そういったものを模したアトラクションだ。
ここでカドちゃんが言っていた、ガチの戦闘になるのだろうか。
そもそも此処は何処なのだろうか。
どうすれば帰れるのだろうか。
周囲は石壁に囲まれていて、五米くらい後ろに部屋への入口らしいアーチ状の穴があいている。
向こう側は廊下のようで、入口の少し先にこの部屋と同じ壁があるのが見えた。
一方前方、広場の中央には、下へと続きそうな穴と階段がある。
穴へと続いていく階段まで、およそ十米。穴の直径は五米くらいだろうか。
その穴の方から、何か音が聞こえ始めた。
ゼイ、ゼイ、ゼイと、酷い風邪を引ひいた患者の呼吸のような音。
そして軽い足音のような音。
背後の通路から逃げようか。
しかし知らない場所で不用意に動いて、この場所に戻れなくなったら困る。
飛ばされた場所が此処なら、元に戻れる場所も此処かその至近にあるというのが定番。
それにカドちゃんは、こう言っていた。
『逃げる事も話し合う事も不可能なので、相手を殺す事を認容する必要があるのです。それさえ出来れば、戦闘力そのものは彩香氏の方が高いのです』
この言葉は、おそらく今の事態についてなのだろう。
ならば今は此処にとどまって、戦うのが正解だ。
穴の中から子供が出てきた。
小学生一、二年生くらいだろうか。
そう思った私は、次の瞬間に間違いに気づく。
人間にしては、ちょっと醜悪すぎる外見だ。
やや緑がかった黒色の肌に、髪の毛がない頭部。
黒いボロボロの腰蓑風衣装を纏っていて、片手に湾曲した剣を持っている。
ファンタジーではゴブリンと読んでいるような、人類とは異なる種族だと。
五体程が穴から出てきて、私と目があった。
ギュオー! ギャオー!
こちらを剣で指し、何やら叫んでいる。
おそらくこれも使役生物なのだろう。
昨日襲ってきた悪魔もどきや、紺音と模擬戦をやったときに出てきたものと同様に。
ゴブリンなんて使役生物はいないだろうから、別の名称とは思うけれど。
カドちゃんは『話し合いは不可能』と言っていた。
でも人型だし、一応は聞いてみる。
「戦いたくはないの。剣を治めて」
駄目だ、聞いちゃいない。
剣を振り上げてこっちに向かってくる。
日本語だったから駄目なのだろうか。英語も通じない気がするけれど。
なんて考えている間にも近づいてきている。だから仕方ない。
左腕を伸ばして、ゴブリン(仮)の移動予測位置に向け、熱線を発射。
五匹ともあっさり炎に包まれた。
このゴブリン、確かに弱い。
しかしまだ敵がいると、私の勘が告げている。
もっと強大な敵が、穴から出てこようとしている。
ゼイ、ゼイ、ゼイという呼吸音っぽい音が、穴の中方向から次第に大きくなってきた。
更には勘というか、私の中の何かが危険を知らせる。
私は左手を穴に向ける。
何もまだ出ていないのに、移動場所予測が出現した。
対応しないと危険、そう感じたので左手を向け、熱線を発射。
何かに命中して、炎が上がった。
声とは表現出来ない、何か怒りを込めた振動が振りまかれる。
更には穴から緑色の何かが伸びて、私の方へ向かってきた。
考えるより先に熱線を連射して、こちらに届くのを防ぐ。
十数本の何かを炎にしたところで、穴から何かが這い出て来た。
緑色のスライム、と表現すればいいだろうか。
ゲームに出てくるような愛くるしい形ではなく、不定形の粘液が蠢いている感じだ。
ただの液体とは違い厚みがあり、動きに何らかの意思を感じる。
ふっと風のような何かを感じた。
何だ今のは、そう思ってそして気づく。
私の足が勝手に動いて、前に進み始めたことに。
私の足はゆっくりと、あのスライムの方へ向けて歩いている。
やだ、そっちは危ない!
そう意思では思っているのだけれど、足がいうことをきかない。
何が起きているのかわからないが、これはまずい。
更に先程潰したのと同じ緑色の何かが、正面から伸びてきた。
一本では無く、数十本が一気に。
足がいうことをきかないので、左腕で光線を放って消滅させる。
それでも本数が多すぎて、間に合わない。
まずい!
本気で焦った瞬間、私の中の何かが弾けた。
真っ直ぐ歩くだけだった足がいきなり地を蹴る。
私が意識するより速く、身体が右へと動く。
こちらの感覚は知っている。
かつて私が力を制御できず、犯罪者を再起不能にした頃と同じだ。
身体が勝手に動いている。
私はただ見ているだけ。
自分の身体とは思えないほど動きが速い。
意識が現実に追いつかない。
ただ高速で移動しているだけではない。
私の左手が、私自身が意識するより早く狙いをつけて、熱線を連射している。
スライムから伸びた大量の何かは、炎を上げて燃え尽きた。
もう何も伸びてはこない。
緑色の分厚いスライムが、じわじわと蠢いているだけだ。
私の右手が左手を手首で掴んで支える。
さらに両足が膝を軽く曲げて踏ん張って、左腕がスライム本体へと向いた。
今までのものと比べものにならない反動とともに、熱線が発射される。
緑色の小山のようになっていたスライムに命中。
怒声のような衝撃が周囲に響く。
一瞬後、スライムは巨大な炎柱と化す。
紫色の炎の中で身をよじって、黒変し更に粉々になって……
そして消え失せた。