「焚き火の夜、語られぬ痛み」
夜風が冷たい。
鉱山地帯から少し離れた丘の上、ユートたちは野営の準備を整えていた。魔改獣を撃破した直後ではあるが、山の麓で眠るには魔力の濃度が高すぎる。あえて離れた安全地帯を選んだのは、カイルの判断だった。
「ここなら襲撃の心配もねぇ。……オレがいる限りはな」
火を囲み、三人は温かいシチューを回しながら、それぞれの静かな時間を過ごしていた。
「しかし……まさか、あんな戦い方があるとはな」
カイルがぼそりと呟く。彼の視線は、火の向こうに座るユートの背に向けられていた。
「あんな魔物を……魔力痕ひとつ残さず“消し去る”なんて。どんな理屈だ?」
「えーと……理屈? あるっちゃあるけど、オレもよく分かってない」
「自覚、なしかよ」
「無自覚最強系ってやつだね」
「聞いたことねぇよ……」
カイルが呆れたように息を吐き、シチューをすすった。
その隣、リリアは静かにカップを抱えたまま、口をつぐんでいた。火に照らされた彼女の横顔はどこか沈んで見える。
「リリア、食えてる?」
「……はい」
「いや、うそでしょ? 三口目から止まってるってば」
ユートがからかうように笑うと、リリアははっとして視線を逸らした。
「……ごめんなさい。なんでもありません」
「なんでもなくねぇ顔だな、それ」
ユートが真顔で言う。
「……なにかあった?」
「…………」
沈黙が落ちる。焚き火のパチパチと弾ける音だけが、夜空に溶けていく。
しばらくの間、誰も言葉を発さなかった。
「……小さいころ、私は森の奥の集落で暮らしていました」
ぽつりとリリアが呟いた。
「ハーフエルフの、狭くて静かな村。人間にも、純血のエルフにも歓迎されない、どこにも属せない人たちが集まる場所でした」
「……」
「でも、ある日、魔族が襲ってきて。村は……焼かれて、家族も……皆……」
かすかに震える声。膝の上で握られた両手が、小さく爪を立てている。
「私は、たまたま離れた場所にいたから、生き残っただけで……。あのときの炎の匂いと、音と……悲鳴は、ずっと……」
そこまで語ると、リリアは唇を噛み締め、言葉を止めた。
カイルは静かに視線を下ろした。
そして、何も言わなかった。
それが、彼なりの“肯定”であることを、彼は知っている。
「……ごめん、暗い話して。せっかく、こうやって旅をしてるのに」
「いや、気にすんな。むしろ、ちゃんと話してくれてありがとな」
ユートは火越しに、彼女をまっすぐに見た。
「過去がどうとか、オレにはよく分かんないけどさ。オレが知ってるリリアは、ちゃんと前見て歩いてる人だよ」
「ユートさん……」
「だからもう、無理して笑わなくていい。泣きたきゃ泣けば? 泣くのって、弱さじゃねーし」
リリアの目に、涙が浮かんだ。
だが、それは静かに、こぼれなかった。
「……泣きません。泣いたら、あなたが調子に乗るので」
「おお、的確なツッコミありがとう」
「うるさいです」
笑いながらも、リリアの声は少しだけ、震えていた。
◆
その夜、ユートは一人、夜空を見上げていた。
三つの月。
どれも違う大きさで、違う軌道を描いている。
不思議と、見飽きなかった。
「神に選ばれし勇者」と呼ばれながら、彼には何の使命感もなかった。
けれど、リリアの話を聞いて、少しだけ心に熱いものが灯っていた。
「……誰かのために剣を振るうとか、マジでガラじゃないんだけどな」
でも――
もしこの世界が、彼女のような存在をまた傷つけようとするなら。
「オレがやるしかねーか。最強だしな」
静かにつぶやいたその言葉は、誰にも聞かれなかった。
だがその瞬間、どこか遠くで、確かに“何か”が軋みを上げていた。
――世界の歯車が、確かに一段、深く噛み合った。