「動き出す影、揺れ始める王国」
王都ファルメリア。
朝日が石畳を金色に照らす中、王城の一角――軍事執務棟では、緊張感の漂う報告会が行われていた。
「……先遣の斥候より報告。ネルヴィル村周辺に出現していた黒革ゴブリンは、すべて壊滅。村人への被害はゼロ。全個体の死因不明、現場には魔力痕すら残されておらず……」
「痕跡のない殲滅、だと?」
報告を受けた副司令官・セシリア=グラントは眉をひそめた。
銀髪の長髪を後ろで束ね、騎士鎧を纏うその姿は王国屈指の女傑として知られていたが、今は一人の軍人として、明らかな“異常”に直面していた。
「……あの少年がやったというのか。たった一人で、あの数のゴブリンを。しかも……無詠唱、無発光、無残留痕……“抹消”に近い」
彼女は静かに目を閉じ、つぶやく。
「――あれは、もはや戦闘ではない。“結果の上書き”だ」
◆
一方その頃――
遥か東方の山脈の先、常に黒い雲が渦巻く魔王領の中心。
大地は枯れ、空には雷が走る。そこに建つ漆黒の塔「ヴァル=ディア」は、魔王ゼクルスの居城である。
「……“影”が消えた?」
玉座の奥、深紅の瞳を持つ男が冷たく言った。
その存在こそが、“魔王ゼクルス”。
人の形を保ってはいるが、放たれる威圧感は世界そのものを圧するような圧倒的な重みを持っていた。
「はい。派遣した“監視者”が……完全に消滅しました」
膝をつくのは、魔王直属の幹部――“災厄の騎士”カイゼル。
全身を黒鎧で覆い、瘴気をまとうその姿は、生者よりも死者に近い。
「……奴は、“勇者”か」
「ええ。だが、これまでのどの“勇者”とも異なる。情報では、戦闘行為というより、“因果の介入”に近い現象が……」
「ふむ……“神の領域”か」
魔王ゼクルスは静かに立ち上がった。
「面白い。ならば、その魂を踏み砕き、その力を我がものとしよう。……この世界を完全に支配するには、神すら凌駕せねばならぬ」
「次なる策は?」
「“封印の地”を開け。そろそろ、“深淵の子ら”を目覚めさせるときだ」
「……了解」
◆
その頃、王都に戻ったユートとリリアは、街道の茶屋で一息ついていた。
「いやー、やっぱ飯は都市部がうまいな!」
「……そうですね。でも、急にまた王都に戻るなんて」
「いや、なんとなく。あの“影”の気配が気に食わなかったし。どうせ、こっちにもなんか起きるでしょ」
ユートは唐突に勘で動く。しかしその“勘”は、本人も知らないうちに、因果そのものが警告しているようなものだった。
「……正直、怖くないんですか?」
「何が?」
「魔王。ゼクルス。世界を滅ぼそうとしている存在に、あなたは一人で立ち向かうんですよ」
「いや、立ち向かうとは言ってないけど?」
「えっ?」
「むしろ、あっちがオレに向かってくるなら、適当にいなして終わりじゃね?」
「…………」
リリアは目を伏せて、笑いを堪えた。
「なにそれ、勇者っぽくない」
「でしょ? でもまあ、いざって時は、守るもんは守るさ」
「……じゃあ、私もその中に入れてもいいですか?」
「うん? 守るもんリスト? ……って、え、なにそれ、プロポーズ?」
「ちがいますっ!」
紅潮したリリアが慌てて顔をそらす。
ユートは楽しそうに笑いながら、空を見上げた。
◆
その空の、はるか彼方。
“神の座”と呼ばれる領域では、また別の存在が目覚めようとしていた。
「……因果律の干渉値が、閾値を突破しました」
「やはり、“あの少年”か」
神々の間で、ひとりの少年――ユートが議題に上がる。
「世界の構造そのものに介入しうる因果存在。放置すれば、“神格”に至るやもしれぬ」
「では、審判を?」
「否。まだ見届けよう。“この世界が、彼に何を望むのか”を」
そして世界は、再び静かに回り始める。
かつてない“勇者”を中心に。