「英雄の代償 ― 変わる世界、変われない日常」
蒼塔が沈黙してから、三日が経った。
ゼクルスとの激突によって、霧の断層にあったあらゆる“魔の因果”は浄化され、結界が崩壊した蒼塔も、リリアの精霊核を核として再び“安定した記録域”へと移行していた。
現在、塔は“半封鎖状態”。
外界との接続は最小限にとどまり、塔の中心にある《記録の間》へアクセスできるのは、リリアのみ――
その情報が、王国全土へ伝えられるのに、時間はかからなかった。
「おいおい、英雄様ってのは大変だな」
ユートは小屋の前で、薪を割りながらぼやいた。
彼の前には、王国からの使者が置いていった分厚い巻物と、貴族からの推薦状が束ねられていた。
「“新設された王国魔術院の外部顧問”とか、“因果理論に基づいた予知魔法の監修”とか……どれもこれも、全部オレにやらせる気かよ……」
「断るんですか?」
リリアがそっと湯気の立つ茶を手渡す。
彼女の表情は、前よりも穏やかだった。
ゼクルスとの激突で“自身が何者か”を知った今、その迷いの霧は晴れていた。
「そりゃ、全部はムリだろ。つーか、これじゃ旅できねえじゃん」
ユートは茶を一口すすって、ふうと息を吐いた。
「けど……分かってんだ。これ、オレたちの“影響力”がバレ始めたってことだ」
――世界が、動き出している。
ゼクルスとの戦いは、「霧の断層の大爆発」という曖昧な形でしか王国には伝わっていなかった。
だが、その背後で動いていた“塔の覚醒”と“巫女の再来”、
そして“勇者ユートの存在”は、すでに大陸各地に波紋を広げていた。
◆
「王国評議会からの報告です。“勇者”に関する定義が、変更されました」
カイルが淡々と伝える。
彼は今日も王国の使節と情報調整を行っており、顔つきは少し硬くなっていた。
「従来の“召喚勇者”から、“定義外勇者”へ。お前の存在は、もはや制度から外れた特異点とみなされた」
「つまり、“自由だけど監視対象”ってわけか」
「そういうこったな。しかも、各国が密かにお前の“因果演算能力”を模倣しようと動いてる」
情報は、武器となる。
そしてユートの持つ《特異演算》《因果再定義》の力は、もはや“戦争すら左右しうる”と恐れられていた。
「お前、あれだな。人類の味方っていうより、“世界そのものの敵”みたいにされかねんぞ」
「上等じゃん。味方なんて、勝手に名乗られるもんだろ。オレが守りたいもんは、自分で決めるよ」
ユートの言葉は軽く聞こえるが、その裏には確かな“決意”があった。
ゼクルスとの戦いを経て、自分の力が“何を起こせるか”を、身をもって知っていたからこそ。
◆
その夜、リリアは蒼塔の記録室にいた。
彼女は“巫女”として、塔に刻まれた古き時代の記録を読み解く役目を正式に引き継いでいた。
「……また、“失われた神”の記録……」
彼女が開いた記録水晶には、ひとつの名前が記されていた。
『神格転移計画・対象個体:No.03《篠原ケイ》』
「……え?」
その名前を見た瞬間、彼女の全身に緊張が走った。
篠原ケイ――それは、かつてユートと同じ世界にいた、もう一人の“転移者”の名前だった。
記録によれば、ケイはユートよりも二年前にこの世界に召喚されていた。
だが彼の召喚は“意図されたもの”ではなく、神格そのものを移植する“器”として選ばれた存在だった。
「じゃあ、ユートさんは……そのケイさんの“後追い”だった?」
全てがつながり始める。
なぜユートの力が“世界の定義を書き換える”特異性を持っていたのか。
なぜ彼が召喚された瞬間、ゼクルスの干渉が起きたのか。
そして――なぜ、ケイの記録がこの塔に“封印”されていたのか。
そのとき、塔の入口から一陣の風が吹き込む。
淡い青の衣をまとった青年が、静かに姿を現した。
「久しぶりだな、リリア。いや、“記録の巫女”と呼ぶべきか」
「あなた……」
彼の背には、漆黒の小剣と、奇妙な“歪んだ魔力の核”があった。
――篠原ケイ。
かつての日本の高校生にして、“神の器”にされた存在。
「ユートに、会わせてくれないか。……話したいことがある」
彼の声には、戦いの匂いはなかった。
だがその足取りは、明らかに“何かを終わらせる覚悟”に満ちていた。