「記録の果てにて、神は眠る」
蒼塔の第五層。
空間の色は、蒼から銀白へと変化していた。
重力は希薄になり、歩くたびに地面が軽く浮遊する。
天井の代わりに、無数の情報粒子――“文字にならない記録”が、降り注いでいる。
「……この層は、“思考”を媒体に構成されてるな。物理空間じゃない。概念構造に近い」
ユートは目を細めながら、空間の構造を読み取っていた。
「つまり、ここでは“何を思うか”が、現実に影響する……?」
「そう。言い換えれば、“真実”しか生き残れない階層ってことだな」
リリアの足元が、ふと鈍く軋んだ。
彼女の周囲だけ、記録粒子の動きが乱れている。
「……やっぱり、呼ばれてる。ここには、私の何かがある」
「お前の魔力がこの層に共鳴してるってことは……ここが“保管場所”なんだろうな。お前自身の記録の」
「でも、正直、怖いです。――自分の知らない“自分”に、向き合うのは」
「それでも進むのが、お前だろ?」
カイルが、黙って先に進みながら言った。
「お前は、“逃げなかった”奴だ。だったら、自分の過去だって、きっと越えられる」
「……ありがとう」
やがて、塔の最深部に到着する。
そこには“記録の玉座”と呼ぶにふさわしい巨大な装置があった。
高さ三十メートルにも及ぶ石柱群が螺旋を描き、中央には“浮遊する水晶の繭”が封じられている。
リリアが近づいた瞬間、それが反応を始めた。
「リリア・セラ=アウリオン。精霊核承継体、確認」
「承認コード:起源相続 第十四代“記録の巫女”」
塔が喋った。いや、“塔そのものが知性を持っていた”。
「……第十四代……?」
「巫女……だと?」
カイルが驚愕する。
「……そんな記録、王国史にも魔族文献にもないぞ……」
「そりゃそうだ。“神々が消える前”の話だからな」
ユートが、塔の情報を読み取るように目を閉じる。
「記録によれば……お前は本来、“この世界の神々と精霊を繋ぐ媒体”として、永く塔に保管されてた存在だったらしい」
「……でも、私は森の村で拾われて……奴隷商に……」
「その間に“記録遮断”が起きた。……誰かが、お前の存在を“削除”しようとした」
「誰が……?」
塔の装置が、低く唸るように反応する。
水晶の繭の中に、浮かび上がるひとつの影。
それは、蒼衣をまとった女性。
神々の使いと呼ばれた“最初の巫女”、アリア=アウリオン。
リリアと、瓜二つの容姿。
「我が子よ……リリア……。お前は、かつて“神の声を宿す巫女”としてこの塔に生まれた。だが、神々は滅び、塔も封じられ、記憶の流れは遮断された」
映像が語る。
神々はこの世界の因果構造に干渉しすぎたことで、“世界に拒絶”され、次々に消えていった。
だがその記録を保つために、“精霊核”をもつ者が用意された。それが巫女。
そしてリリアは、“最後の巫女”。
「私……人間でも、エルフでも、ただのハーフでもなかった……」
声が震える。
「じゃあ、私は……何なんですか……?」
ユートが、そっと彼女の手を取る。
「“お前が誰なのか”は、これから決めるもんだろ」
「……っ、でも、私は……」
「お前は、リリア。俺の仲間だ。それ以上でも以下でもない」
その言葉で、リリアの目から静かに涙が落ちた。
「……ありがとう、ユートさん……」
そのとき――塔の外部が揺れる。
轟音。振動。
そして、塔を覆う魔力障壁が一部崩壊した。
「っ、敵襲……!?」
浮遊スクリーンに、魔王軍の兵団が映る。
先頭にいるのは――黒衣の将、ダナトス。
そしてその背後に現れた、圧倒的な“気配”を放つ存在。
「……ついに来たな」
ユートが、つぶやいた。
「魔王ゼクルス。……初めて姿を見せたか」
映像の中の“影”は、人の姿を模した巨躯。
だが瞳には“世界そのもの”が映っていた。因果そのものを俯瞰している者の目――
そして、ゼクルスが初めて言葉を放った。
「記録の巫女よ。目覚めたな。ならば、この世界を“再定義”しよう」
「全ての記憶を、我が手に。すべての存在に、“魔の名”を刻むのだ」
「ふざけんな」
ユートが一歩前へ出る。
「この世界の記憶は、お前のもんじゃねぇ。リリアのだ。――それを消そうとするなら、オレが書き換えてやるよ、“世界の理”ごとな」
――塔の結界が、限界を迎える。
物語はついに、真正面から“魔王”との接触段階へと入る。
ユートとリリア。記録の巫女と、世界の因果を歪める存在。
二人が並び立つその姿は、まさに“異世界に生まれた、もう一つの神話”のようだった。