「災厄の姫君、夜の王都にて」
静寂に包まれた王都の裏路地。
魔王軍幹部“災厄の姫君”を名乗る女が、ゆったりとした足取りでリリアとカイルに近づいてくる。
「初対面だから、礼儀正しくいきましょう? 私の名はアーヴィア。魔王ゼクルスに仕える、六災のひとり。“絶滅の魔眼”を司る者よ」
その声は甘く、滑らかで、どこか血の匂いがした。
ドレスの裾が地面を滑るたびに、黒い霧が広がっていく。
路地の壁がじわじわと腐食し、石畳が悲鳴を上げるように軋む。
「カイルさん……距離を……」
「分かってる。完全に“戦闘態勢”だ。――来るぞ!」
アーヴィアの手が、優雅に振るわれた瞬間。
闇が弾けた。
◆
「“絶滅の魔眼”《レイ=ヴァレム》」
発動と同時に、空間が歪む。
リリアが咄嗟に魔力障壁を張るが、それすら通り抜けるように“視線”が襲いかかる。
「ぐっ……!」
リリアの体が弾けるように吹き飛び、壁に叩きつけられた。
「チッ、目を合わせるだけでこれか……!」
カイルは剣を抜き、疾風のように駆ける。
魔眼の射線を避け、相手の横から切りかかる――が、
「うふふ、“空間がどこに繋がっているか”、思い込みに依存するのは愚かよ?」
剣先が、虚空を斬った。
アーヴィアの姿はその一瞬で霧散し、別の位置に現れていた。
「次はあなた。――誇り高き元騎士さん」
「ふざけるなッ!」
だが、彼女の指がカイルの眉間を正確に射抜くように向けられたそのとき――
大気が、弾けた。
「……そこまでにしとこうか、“お姫様”」
アーヴィアの魔眼が振り向いた先。
そこには、真顔のまま立つユートの姿があった。
王城の訓練場からここまで、わずか五分。
リリアとカイルの危機に反応した彼は、理屈も距離もすべて無視して、ただ現れた。
「……来てくれたんですね……!」
リリアの声が震える。
カイルは唇を噛み、剣を納めた。
「遅ぇぞ、最強野郎」
「遅れてヒーローは登場するんでしょ? 演出ってやつ」
ユートの足元で、大地が震える。
視線ひとつで、空間の構造が変化し始めた。
「貴方が……“最初の勇者”……」
アーヴィアは、まるで甘美な宝石でも眺めるような目で彼を見た。
「……“神に届くほどの因果”を持つ存在。噂以上ね」
「じゃ、そっちも名乗ってくれたし、こっちも技名付きで応えてやろうか」
ユートがゆっくりと右手をかざす。
「――“現実操作:特異演算式”」
地面が逆巻き、空間がたわむ。
アーヴィアが即座に回避を図るが、逃げ先の座標そのものが“消えて”いた。
そして、彼女がいた空間ごと、まるで映像の一部を切り取るように――破れた。
「な……に……これ……」
「“攻撃を回避する場所”が存在しないって、キツいよね」
だが、アーヴィアは微笑を崩さなかった。
ぼろぼろに砕けたドレスの下から、無数の呪紋が浮かび上がる。
「まだまだ、ここで倒れるわけには……」
その瞬間、リリアが目を見開いた。
「ユートさん、下がってください! あれは“連鎖呪毒”! 周囲の魔力を汚染して……!」
だが、ユートは下がらなかった。
「大丈夫。オレの世界には、汚染も、毒も、意味を持たない」
そして、彼が静かに呟いた。
「“結果:解毒。状態:正常。範囲:全域”――はい、世界ごと回復っと」
空気が、一瞬で澄んだ。
夜風が、静かに流れる。
アーヴィアは膝をつき、咳き込んだ。
「ば……化け物……」
「ありがと」
そのまま、彼女は霧のように姿を消す。
完全な敗北――しかし、その目には確かな“執着”が宿っていた。
◆
その後、ユートたちはリリアの手当を終え、宿に戻っていた。
窓辺に座るユートの横に、リリアがそっと寄る。
「……本当に、来てくれてありがとうございます」
「リリアがいたからな」
「私は、弱いです。何もできない……だから……」
「違うって。弱いやつは“守られよう”ともしない。ちゃんと怖がって、必死に叫ぶやつこそ、一番大事なんだよ」
その言葉に、リリアはそっと目を閉じる。
そして、ほんの少しだけ、彼の肩に頭を預けた。
――異世界は、静かに深く、そして騒がしく動いていく。
最強の勇者。
最も“理想的な勇者”。
そして、“魔王軍の本隊”。
物語は今、核心に踏み込もうとしていた。