「ようこそ異世界。されど歓迎なし。」
目を開けた瞬間、そこは――教室ではなかった。
灰色の石造りの天井。鼻をかすめる香の煙。巨大なステンドグラスから差し込む光が、祭壇らしき場所に集中している。視界の端には、荘厳なローブを纏った神官らしき老人と、緊張に満ちた武人たち。そして──王冠を被った壮年の男が玉座に座っていた。
「……おぉ。我が言葉が通じておるか? 勇者殿よ」
静寂を破って、王が重厚な声を響かせる。
「……ん? あれ? てか、ここどこ? あれ、オレ今、授業中……え、寝てた? って、いや、いやいやいやいやいや、なんでみんなコスプレしてんの? 演劇部? って、違うか、ここどこ!?」
神殿に響き渡るユウトのツッコミに、その場の空気が一瞬だけ凍った。
「勇者よ。驚かれるのも無理はない。我々は貴殿を『世界の救い手』として、遥か異世界よりお呼びしたのだ」
「いやいや、マジで呼び方ラフすぎない!? 召喚するときってさ、もっとこう……“契約の刻印が刻まれし者よ”とか、“汝の魂を捧げよ”とかあるでしょ!? オレ、机に突っ伏してたら転移したぞ!?」
「儀式は……神官長が略しました」
「オイ神官、サボんな!」
王の背後で縮こまる神官長。その光景に、王も側近も苦笑を堪えるのに必死だった。
◆
結局、ひと通り説明を受けた。
この国は「ファルメリア王国」。世界は「魔王ゼクルス」によって滅亡の危機に瀕しており、王家に伝わる古の儀式により「異世界の勇者」が召喚された……というわけらしい。
「ま、ここまではテンプレだな。あるあるあるある」
「勇者殿。貴殿には魔王討伐の任を。準備が整い次第、旅立っていただきます」
「おう。じゃあまず、宿な。飯つきで」
「……予算が、足りませんので……」
「は?」
「支給できるのは、こちらの“冒険者の基礎知識”冊子と、旅路の地図、あとパン一個です」
「雑う!! なんで勇者が自腹で泊まるんだよ!? パンって! 中学生の購買か!?」
もはや誰もツッコめなかった。
◆
こうしてユウトは、勇者として異世界に召喚されてわずか一時間足らずで、王宮から放り出された。
所持金ゼロ。装備ゼロ。宿無し、食事もパン一個。唯一の武器は、地図と冊子と、謎のテンション。
「……あ〜、はいはい。異世界、舐めてんな? こっちのほうが舐めプだけど?」
とりあえず、街へ向かって歩く。衛兵も誰一人として見送らない。
「魔王討伐ってさ……この国、どんだけ人材難なん?」
◆
王都「リュクス」は、城下町にしては賑やかだった。石畳の道の両脇に並ぶ商店、喧噪と笑い声、香ばしいパンの香り。だが、歩いて数分でユウトは不穏な声を耳にする。
「こら! この娘、俺の財布を盗んだぞ!」
「ち、違いますっ……! 私は……!」
人混みの中で、髪を引きずられ、地面に叩きつけられている少女がいた。
ユウトは、足を止めた。
「……おいおい、なんだよ……」
あまりにテンプレな展開に、逆に困惑する。
「……いや、スルーしてもよくない? でも……」
少女の顔を見た瞬間、何かが引っかかった。
美しい銀髪。涙を浮かべる瞳。見れば、耳がわずかに尖っている。――ハーフエルフか。
「……やれやれ。……もうパン、半分しか残ってないってのに」
ユウトは、拾った小石を手に取る。
そして──投げた。
軽く、適当に。
それが見事に暴れていた商人の額にヒットした。
「いだぁぁぁっ!? な、なにを……!」
ユウトは、ため息混じりに言った。
「いや、なんとなく? てか、お前、顔がムカついたわ」
少女と商人の周囲にいた人々が、ぽかんと口を開けた。
◆
「……ありがとうございました」
そう言って頭を下げたのは、先ほどの少女だった。
名は、リリア。事情を聞けば、財布を拾ったのは彼女だが、すぐに返そうとした矢先に濡れ衣を着せられたらしい。
「……ふーん。まあ、あるあるだな」
「勇者様なんですよね……?」
「うん、たぶん。今のところ勇者らしいことゼロだけどね」
「でも……助けてくれたのは、本当です」
そのまま、彼女は少し俯いてから言った。
「お願いです。一緒に、行かせてください」
「え、宿ないからオレも野宿だよ?」
「私も……ありません」
「……はは、類は友を呼ぶってやつか。いいよ、行こうぜ。まずは、寝床探しからだな」
◆
こうして、世界を救うはずの勇者と、居場所を失った少女の旅が始まった。
魔王討伐? あー、それは明日考えるわ。
世界を救う勇者様の、最初の一歩は、どうやら寝床の確保かららしい。