表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/4

第3話「流行と静寂」




 午後のキャンパス。

 汗ばむような陽射しの中、学生たちの会話はどこか浮ついている。


「Masqueradeの新曲、聴いた?」

「もちろん。あれ、ヤバいよな。聴いた瞬間、頭ん中ぐにゃってなる」

「マジで“聴く麻薬”って呼ばれてる理由わかるわ。気づいたらループ再生してんの、あれこわいよ」


 芝生の上、輪になって座る学生たちが、興奮気味にスマホを見せ合っている。

 画面に映るのは、仮面を被ったシルエット。素顔も性別も年齢もわからない、正体不明の音楽家――Masqueradeマスカレード


 突如ネットに現れ、曲を投稿するたびに再生数が跳ね上がり、数ヶ月で世界的なバズを巻き起こした存在。

 歌詞はなく、ジャンルも定まらず。ただ、耳にした者の精神に強く作用すると噂されていた。


 その話題の只中を、アキヒトが無表情に通り過ぎていく。

 耳にイヤホンはない。スマホにも音楽アプリは入っていない。


 彼は知っていた。Masqueradeの正体が、オンパ――オトハであることを。

 だからこそ、彼は決して聴かない。聴いてしまえば、オトハの音に取り込まれてしまう気がして。


(お前の曲、人気すぎだろ、オンパ)


 スマホが一度震える。


 ――今夜、umbrella。



 陽が落ち始める東京の街。

 ビルの谷間に赤く染まる空を背に、細い路地を抜けた先にひっそりと灯る看板のない店がある。


 扉を開けた瞬間、涼しい空気と古い木の匂いが迎えてくれる。


「こんばんは〜。暑っ……マスター、タオルある?」


 アキヒトは手を振りながら、カウンターの奥にいる男に声をかけた。

 無言のまま、マスターが棚から白いタオルを投げてよこす。


「さんきゅ」


 アキヒトがそれで汗を拭いていると、後ろから気配もなく一人の影が現れる。

 オトハ。いつもの黒いフードを被り、無言のままアキヒトの隣に腰を下ろした。


 マスターは黙って、白い封筒を滑らせるようにカウンターに置く。

 アキヒトはそれを無言で受け取り、中身を確認せずそのままジャケットの内ポケットにしまった。


 マスターがさらに鍵を置く。

 アキヒトはそれを手に取り、隣のオトハの肩を軽くトントンと叩く。


「行くぞ、オンパ」


 オトハは小さく頷き、立ち上がる。



 車の中。

 東京の夜が、ガラス越しに過ぎていく。


 アキヒトが運転席、オトハが助手席。


 しばらくの沈黙の後、アキヒトが内ポケットから封筒を取り出し、中のメモを読みながら口を開く。


「整理対象は、元殺し屋。足がつく仕事を何件もやって、クライアントが処理を決めたみたいだな。潜伏先は、東側の廃病院。監視カメラにそれっぽい姿が映ったってさ」


 オトハは何も言わず、窓の外を見つめている。


「なあオンパ、お前のMasqueradeって、やっぱ“仕事のため”にやってんの?」


 オトハは視線を逸らさず、ぽつりと呟いた。


「……“音”で、先に、緩める。動かずに、済むように」


「精神を、ってことか。……やっぱそうか。けど俺は、聴かねーぞ。お前の音、強すぎるんだよ」


 小さく吹いた風が、窓の隙間から入ってくる。

 会話はそれきりだった。





 目的地の近くに車を停め、二人は無言で装備を整えた。

 オトハはケースを開き、黒革の手袋と共に一つの楽器を取り出す。


 艶やかな漆黒のクラリネット。

 マウスピースに細工が施されたそれは、一般のものとは違う音を奏でるよう設計されている。


 アキヒトはナイフを二本腰に差し、グローブのベルトを締めながら、ポケットから小型の通信機を取り出す。


「廃病院っつっても、3階建てだ。中は完全に電気止まってる。カメラはこっちで一部潰してある。……オンパ、お前はどう入る?」


 オトハは答えない。

 代わりに、建物を一瞥しただけで、靴音を立てず闇に溶けるように歩き出した。


 その後ろ姿を見て、アキヒトが小さく笑う。


「了解、俺が囮なわけね」



 廃病院の内部は、外観以上に荒れていた。

 壁はひび割れ、床には瓦礫と書類が散乱している。手術室の扉には赤茶けた血の跡。


 静寂。

 どこかで水が落ちる音と、自分の足音だけが響く。


 アキヒトは慣れた足取りで二階へ上がり、ナイフを構えて扉を開けるたび、空の部屋を確認していく。


 その頃、一階の廊下では、音もなく扉が一つだけ開いた。


 オトハが立っていた。

 左手にクラリネット、右手はポケットの中。


 室内の暗闇に目を凝らすと、奥に一人の人影が見える。

 だらしなく腰を落とした男。髪は伸び放題で、肌は不健康に黄ばんでいた。


「……来たのか。俺を殺しに」


 男がそう言った瞬間、空気がひとつ、震えた。


 音は、鳴っていない。

 だが、男の顔に違和感が走る。


 ぐっ……と眉をしかめ、頭を抱えた。


「ッ……な、にを……ッ」


 床に手をついた瞬間、男の体が揺らいだように見えた。

 耳の奥で音が反響し、視界がにじむ――そのまま、意識が暗転する。


 オトハはクラリネットを下げ、部屋の奥へ歩み寄る。

 男の胸元に手をかざし、鼓動の消失を確認した。



 そのとき、無線が震えた。


『オンパ、終わったか? こっちには何もいなかった。車、戻ってていいか?』


 オトハは小さく息をつき、無言で通信機のスイッチを押した。


 「……終わった」



 夜風が吹き抜ける病院の外。

 アキヒトが車へ戻る途中、軽く背伸びしながらポケットに手を入れる。


 そのとき、再びくしゃみがひとつ。


「……誰だよ、また俺の噂してんの」


 オトハの視線が、車の向こうから静かにアキヒトへ向けられていた。

 その顔は無表情だが、どこかほんのわずかに笑っているようにも見えた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ