第三王子の絵と顔に傷のある男 ~評論家気取りの醜い貴族は、無様を晒して引き下がる~
伯爵令嬢アイミーが描いた絵画の前には、赤い薔薇が山のように積まれていた。この展覧会では鑑賞者が作品を気に入れば、薔薇を添えるのが習わしだった。アイミーは誇らしくも恥かしかった。
彼女が描いたのは、先の大戦で敵国を打ち払ったルワード第三王子。剣を片手に手綱を引き、白馬に跨る姿は英雄そのもの。姿を見せぬ幻の王子としても有名だったが、大戦では危険を顧みず最前線に立ち、劣勢を覆したことで更に名を馳せていた。
「素晴らしい作品ね、薔薇をどうぞ、アイミーさん」
「あ……ありがとうございます……」
次々と薔薇を添えていく貴族たち、しかしアイミーは感じていた。これは過分な評価、まだまだ未熟な自分の絵に、ここまで褒め称えられる価値は無いと。しかも第三王子は見たことも無く、噂を元に想像で描いた、空想の産物に過ぎない……
アイミーは思い違いをしている。
鑑賞者は絵画の完成度を吟味して、芸術作品としての評価を薔薇に託しているわけではない。まだ幼さの残る貴族令嬢が、展覧会に向け憧れの英雄を描く微笑ましさに、心動いた証の薔薇なのだ。
絵画に描かれたルワード第三王子は理想的すぎて現実感に乏しい。しかし稚拙さの残る作品であっても、力強い躍動感と芸術に対する真摯な誠意が表現されている。大人はそれを美しいと感じ、愛でるのだ。
しかし世の中には、年はとっても大人になれなかった者もいる。たとえば先の大戦で武功を上げ副将軍に昇格された貴族、オズボーヌ公爵だ。彼も展覧会に足を踏み入れ、いつものように目に付いた作品のあら探しを始めるのだった。
◇◇◇
「これはこれは、下手くそな落書きですな」
オズボーヌ公爵は聞こえよがしに大声を上げた。周囲の鑑賞者に聞いてもらいたいからだ。彼は作品をけなすことで、自分が審美眼を持つ人間だとアピールしたいのだ。実際は真逆の効果しかもたらさないが、そこに気付くほどの知恵はない。
「馬はこのような筋肉をしておらぬ、これは駄馬じゃ」
オズボーヌ公爵は絵画の前に、高く積まれた赤い薔薇がお気に召さないらしい。彼のあら探しはヒートアップしていった。なお、オズボーヌ公爵も自作の絵画を出展しているのだが、絵を見た鑑賞者と主催者が勘違いして、ゴミが高く積まれている。
相手を選んで批評と称して、作品と作者を傷つける。言葉の暴力を我が能力と思い込むオズボーヌ公爵の戯言など聞き流せばよいものを、素直なアイミーは正面から受け止めてしまった。涙を浮かべ、うつむくばかり……
「そもそも、あのような大剣、片手で持てるはずもない」
「いや、それは貴公の思い込みであろう」
粗末な身なりの若者が、オズボーヌ公爵の講釈に異を唱えた。彼はオズボーヌの隣に立ち、アイミーの絵画を鑑賞していた。
「なんだ貴様は、私に対して無礼であろう」
「貴公こそ作品に対して無礼であろう」
「いやいや私は作品のディテールに矛盾を感じその芸術的感性の表現に対するアート的側面と様式美の解釈について哲学的な視点に立脚する崇高にして高尚たる忌まわしき名状し難く悍ましき深淵にして赫赫たる冒涜的なルルイエの外なる……」
「貴公、自分が批判されると必死だな」
周囲の鑑賞者がクスクスと笑う。
「き……きさま、タダで済むと……」
オズボーヌ公爵は若者を睨み付けた。しかし彼の顔を見てひるむ。大きな傷、それも致命傷になりかねない刀傷 (かたなきず) を受けた痕 (あと) があり、事実片目は失明していた。
「貴公、タダで済まぬと言うなら何とする」
「あ……いや……その……」
「貴公、この程度の剣、片手で持てぬと申したな」
「ひ……ひぃ、ま、まさか……」
「貴公は副将軍であろう、剣術指南を仰ごうか」
「わ……わたしに暴力をふるうのか!」
「貴公は作品に言葉の暴力をふるったであろう」
オズボーヌ公爵は腰を抜かして座り込んだ。実は彼の武功など戦後行方を眩ませたルワード第三王子の手柄をかすめ取ったものであり、実際は作戦本部のすみっこで戦争が終わるまで隠れていただけ。ゆえに少しの脅しで、かくも怯えて無様を晒す。
もはや一人では立てぬオズボーヌ公爵を、後ろから駆け付けた公爵の執事と衛兵が担ぎ起こす。膝が震えて足元がおぼつかないオズボーヌ公爵は彼らに引きずられ、そのまま展覧会を後にするのだった。公爵は執事に命じる。
「おいハスター、軍に連絡し兵を出してあの者を捕らえよ」
「それはなりません、ご主人さま」
「執事の分際で私に逆らうのか」
「いいえ滅相もない、それより王宮から呼び出しです」
オズボーヌ公爵と執事ハスターの前に現れたのは、犯罪者を護送する武骨な馬車だった。どういうわけか公爵の嘘がバレたのだ。彼はこれから厳しい尋問を受ける。必死で抵抗するオズボーヌ公爵、いやがる彼を馬車に押し込める執事ハスター。
「いや! いや! ハスター!」
オズボーヌ元公爵の名状しがたい叫び声は、展覧会のすみずみまで響いていたと後世に語り継がれる。
◇◇◇
顔に傷のある若者は、伯爵令嬢アイミーの前にひざまずき、一輪の赤い薔薇を差し出した。
「このような場で騒ぎを起こし、面目次第もありません」
彼はそう言ってアイミーに詫びた。
彼女は震える手で薔薇を受け取った。
「されど、この絵には私も不満があります」
頭を下げたまま告げる若者、アイミーは問う。
「ぜ、ぜひご不満をお聞かせください」
若者は真っ赤な顔を上げ、こう告げる。
「王国第三王子ルワード、かような美男子ではありません」
栗色の髪、長い睫毛、切れ長の瞳。若者は噂に聞くルワード第三王子そのものだった。アイミーの描いた絵画との違いは、大きな傷跡の有無にあらず。実物はもっと精悍で逞しく、そしてちょっぴり恥ずかしがり屋なのだ。
周囲の鑑賞者が歓声を上げた。
王国万歳を叫ぶ者もいた。
ルワード王子の出現を喜ぶ声や、若い二人を囃し立てる声がいつまでも続く。アイミーの顔も赤くなり、とてもこの場に居たたまれない。元より顔の赤いルワードが彼女を気遣ってテラスに誘導した。
「アイミーさま、場所を変えて芸術論を語りませんか?」
「ささささ、さまは不要です、アイミーで」
背に受ける歓声に身を縮ませ、二人はその場を去った。
◇◇◇
アイミーの絵画は後に王宮で飾られるのだが
今は見ることが出来ない
なぜなら王国民と来訪者が
そして和平を結んだ諸外国も
アイミーとルワードの婚姻を祝い
今も薔薇を積み上げているのだから
おしまい。