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9. 避けて通れないもの


 その週の土曜日。買い物に付き合えと正宗が言った。桔梗は久々のデートだと思って喜んでついていくと、オーダースーツの専門店の前だった。


「何か特別なことがあるの?」


 桔梗は足を止め、迷いなく入店しようとする正宗のパーカーの裾を掴んだ。正宗は体格がいいから既製品では不恰好になるのかもしれないが、桔梗には馴染みのない場所で少し入りにくい。


「結婚の挨拶。あれ。娘さんをくださいってやつ」

「え、いる……?」

「いるだろ。お前は両親揃ってんだしよ。そういう礼儀とかは飛ばしちゃ駄目だろ」


 正宗は怪訝な面持ちで寝耳に水のような顔をした桔梗を見た。


「二人とも成人してるんだし、親の許可なくても結婚できるよ」

「それでもだよ。筋は通さねぇと」


 桔梗は難しい顔で黙り込んだ。両親を尊重してくれているのだから、一般的には喜ぶところなのだろうということは解っている。だが。


「なんだよ」


 正宗は困惑したように言葉を促す。


「……なんか。きっと。多分じゃなくて凄く失礼なこと言いそう。絶対言う。正宗さんに」

「そりゃあな。俺みたいのがお前みたいなお嬢様と結婚しようってんだから、そういうもんだろ」


 正宗が平然としていても、桔梗の気が進まない気持ちが晴れることはない。眉が寄る。


「私全然お嬢様じゃないけど」

「俺から見りゃ、十分お嬢様だよ」

「え、馬鹿にしてる?」

「そうじゃねぇ。……けど。なんつうか。育ちいいしさ。高校も大学もいいとこ行ってるだろ。普通にしてたら俺とは接点ねぇ人種だ」

「……それはそうだけど」


 桔梗は頷かざるを得ない。あんな出会い方で、その後も関わり続けようとすること自体があまり一般的ではない。


「だからそのつもりで行く」

「ええー。そういう覚悟しちゃうの」


 男気があると表現すべきなのだろうが、桔梗の声には単純に喜ぶことができない残念さが滲み出る。


「そりゃすんだろ。お前の両親にとっちゃ、急に出てきた不審な野郎だからな。それにヤカラ感が抜けてねぇのは解ってる。だからせめて身なりくらいはさ。どういうのがお前の両親にウケがいいのか、教えてくれよ」


 正宗は大分険が取れたと桔梗は思う。ただそれは、出会った当初からの比較である。正宗は基本的にガラが悪いように見えるのだ。身体も当初よりいかつくなった分、威圧感が増している。スーツを着たくらいで軽減できるものなのか。


「無理じゃないかな」


 桔梗は悲哀の滲む目を逸らした。


「どういう意味だ」

「スーツ着たらその筋の人みたいな空気になりそう」


 桔梗は語尾を優しくしたが、喪服姿の正宗を思い返すと答えは濁しようもなかった。


「まじか」


 正宗は絶望感漂う顔になった。


「私は格好いいと思うけど、一般受けは諦めた方が」

「じゃあ何着りゃいいんだよ」

「何着てても言われることは変わんないと思う。だから挨拶は行かない方が」

「おいお前一番言いたいことそれだろ」

「だってさあ。和やかに受け入れる流れにはなんないよ。結婚の話はしたことないけど、見た目とか学歴とか肩書きで人を見る人達だから……やめようよ。絶対貶される」

「最悪受け入れられなくても、挨拶に行ったって事実は必要だろうよ」

「反対はされてもいいけど正宗さんが傷つけられるのは嫌」


 桔梗は懇願の目で正宗を見上げた。正宗の不機嫌そうな顔には弱ったような気配が見え隠れしている。


「傷つかねぇよ。あって困るもんじゃねぇからな。スーツは作る。入るぞ」


 まだ店の入り口にすら入っていなかった。問答が長引くと営業妨害になりかねないと、正宗は桔梗の手を引いた。



 結婚したい相手がいる。挨拶がしたいと言うから、時間を空けて。

 桔梗が両親にそうメールを送ってから、三週間後に森本家への訪問日が決まった。



 正宗の身体にぴったりと合った、襟なしベストの三つ揃えダークスーツ。何を着ても同じならと、桔梗は自分の好みで口を出したから出来栄えには満足していた。だが当日正宗はベストを着用せずツーピースとしての着こなしを選んだ。カウンセリングを担当したスタイリストから、若輩者のスリーピースは目上の人間には生意気に受け取られることもあると聞いたのだ。ドレスアップした正宗と歩くからと、桔梗は少し気取ったオフホワイトのワンピースを着て迎えにきていた。残念な気持ちで眉が限界まで下がる。


「スリーピース……格好よかったのに…正宗さん細かいこと気にしすぎじゃない?」

「気にしすぎってこたぁねえんだよ。俺はハンデ抱えてるからな。気にできるとこは気にする。ネクタイ曲がってねぇか」


 なるべく威圧感のない組み合わせをと、シャツはコントラストを和らげるべく淡い水色。ネクタイは無地のベージュと、落ち着いたものを選んでいる。正宗は結び慣れていない不安から桔梗に確認を促す。曲がってはいなかったが、桔梗は少し直すふりをした。


「ハンデじゃないから。価値観が違うってだけだから」

「お前がそう思ってくれてるだけでいいからさ。機嫌直せって。口尖ってんぞ。食われてぇのか」

「違うわ」


 正宗は痛くない拳を二度ほど受けて出発した。




 正宗を迎えた桔梗の両親は、目に見えて怯んだ。

 彼らは連絡時、詳細を訊かなかった。今まで桔梗が彼らの期待を裏切ったことはなかったから、おそらくは油断していたのだ。反応を見ると、桔梗がメールで送った「見た目は怖いけどまともな人だよ」という言葉はあまり効果がないようだった。


「初めまして、津田正宗です。本日はお時間をいただきまして、ありがとうございます」


 丁寧な言葉遣いで威圧感が増すなんて不思議だなと桔梗は思った。そんなことがないと解っている桔梗でも、腹に一物あるのではと勘繰りそうになる。

 居間に通したはいいが、手土産を受け取る母、恵の腰が心なしかひけている。


「……用件は、その、あれだな」


 父、京介の表情も硬く、促す言葉は困惑しているように聞こえる。


「はい。娘さんとの結婚を許可していただきたく、ご挨拶に伺いました」


 正宗も緊張で表情が硬い。受け入れてもらおうという気概からなのか、その筋の人のような威圧感が出てしまっている。桔梗はこのまま怖気付いて押し負けてくれないかなという期待をちらりとしたが、そうはならなかった。

 表面上は落ち着きを取り戻した京介が、職業、学歴、家族構成と根掘り葉掘り聞き出し、恵がそのどれもに顔を顰める。


「私は反対です。桔梗。どこで知り合ったのこんな人」

「こんな人ってどう言う意味」


 言いそうなことは解っていたのに、反射的に訊き返してしまうほど桔梗はカチンときた。本人の前でする言動ではないことぐらい、外面を気にする恵が解っていないはずがない。気にする必要がないと判断するほど、正宗を見下しているのだ。


「定時制なんて……まともに高校も出てないから土建屋にしかなれなかったんでしょう」


 言葉を向ける先が桔梗なのはおそらく、正宗が怖いからだ。


「お母さん、失礼通り越して」


 喧嘩腰になる桔梗の腕を、隣に座る正宗が掴んだ。


「何!」


 桔梗は恵に向けていた険のある目で正宗をそのまま睨んだ。正宗は首を振り、恵に向き直る。


「俺は土木がやりたくて土建屋を選びました。誇りを持って仕事をしています。土建屋に高い学歴が必要ではないのは事実です。でも現場は危険が多くて、どうすれば安全に効率良く作業を進められるのか考える必要がある仕事です。馬鹿ではできません。それに街を造り維持する土建屋は、人間の生活に欠かせないものです。人間の生活がある限り、食いっぱぐれることもありません。金銭面で娘さんに苦労をかけることにはならないと、お約束できます」


 恵は怯んで身を引いた。正宗の真摯さに感銘を受けたというより、気迫に押されたといった様子だ。正宗の目つきが一段と鋭くなっていた。


「だが君はその」


 京介は言葉を発した瞬間に向けられた正宗の眼光に言葉を途切れさせた。直ぐに虚勢を張るように腕を組んで胸を張り、続ける。


「うちの桔梗は上品に育ってな。君とはいずれ、合わなくなることは目に見えているよ。今までは交際だけだったから良かったのだろうが、結婚となるとね」


 京介は首を振った。言葉を包んではいるが、失礼さは変わらない。(いき)り立ちそうになる桔梗の手が、大きな手で握られた。正宗の手だ。桔梗はテーブルの下のそれを見て、憤懣を抑え込むように喉奥を軋ませる。


「確かに俺は、育ちは良くありません。そのまま育っていたら、碌でもない人間になっていたと思います。娘さんと出会えたから、娘さんが根気強く俺に寄り添ってくれたから、今、まともな生活ができています。俺には娘さんが必要なんです。どうか、俺に娘さんをください」


 正宗は深々と頭を下げた。


「君には必要かもしれないが、桔梗には必要ではないよ。苦労すると解りきっているところに嫁にはやれない。帰ってくれ」


 京介は正宗の視線から解放されて安堵したように息を吐き、高圧的に言い放った。


「桔梗。父さんがちゃんと相応しい人間を連れてくるから、別れなさい」


 反論を許さない声だった。

 両親へのどうしようもない憤りと、正宗の言葉への喜び。どちらによるものか判らない湿り気が桔梗の瞳に膜を作る。


「お父さん、お母さん。私ずっと、寂しかったの」


 そう口にしながらも涙を見せたくなくて、桔梗は何度か瞬きをして湿り気を飛ばした。


「二人とも、気にするのは私の成績と評判だけ。私が何に喜んで、何に悲しんできたかなんて、知らないでしょ。私がいつ家にいていないのかだって、気になんなかったでしょ。リストカットしたことだって、気付かなかったでしょ」

「は!?」


 正宗がぎょっとして桔梗の手を持ち上げた。晒された手首に傷はない。


「浅かったから残ってない。痛いの駄目だったの」


 桔梗はなんでもないことのように流す。正宗は絶句した。京介も恵も驚きで時が止まったような状態になっているが、桔梗は構わず続けた。


「正宗さんといると、息が楽なの。ちゃんと私自身を見てくれるから、安心なの。私ここにいるなぁ、って思えるの。都合の良いお人形にしか興味のないお父さんとお母さんに、反対する権利なんて、ないからね」


 桔梗は正宗の手を引いて立ち上がった。衝撃から抜けきれていない正宗は引かれるがままに立ち上がる。


「私は挨拶なんていらないって言ったの。でも正宗さんが必要だって言うから。正宗さんが筋を通すって言うから。だから来ただけ。正宗さんのために来たの。私はお父さん達の許可なんて必要としてない。反対だからってなんかしたら絶縁するからね」


 他人に対するような冷たい声を残して、桔梗は正宗を連れて居間から出てゆく。


「ま、待ちなさい!」


 慌てる京介の声が聞こえたのは、玄関の扉が閉まる時だった。






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