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8. 悲しくなくて悲しくて


 桔梗がそこそこ名の知れている地元の会社に就職し、新人とは言われなくなった頃、正宗の父親が死んだ。心筋梗塞だった。

 正宗は直葬だから来なくていいと言ったが、桔梗は喪服を着て火葬場を訪れる。親戚関係も酒の所為で壊れたと言っていた。送るのは正宗一人なのだろうと思うと、心配になったのだ。

 火葬はもう始まっていて、正宗は控室にいた。室内には正宗の他にも喪服の男がもう一人いて、桔梗の足は入り口で止まる。


「伯父さん」


 正宗が簡潔に紹介するので、桔梗は頭を下げる。


「正宗さんと親しくさせていただいています。森本桔梗と申します」

「正宗君の父親の兄、津田史紀です。……そうか。そういう人が、ちゃんといるんだね」


 柔和な顔をしているから正宗とは血の繋がりがあるようには見えない。よく見れば鼻の辺りが似ているかなという程度のその人は、ほっとしたような呟きを漏らした。桔梗は拍子抜けをする。親族でもないのに火葬場に入ったことを咎められると思っていたのだ。正宗が能面のような顔のまま何も言わないから、会話は途切れた。史紀も無理に話そうとはしなかった。少し離れた場所に座っていることも微妙な関係を示している。だから桔梗も、黙って正宗の隣に座っていることにした。

 一時間程気詰まりのする沈黙を過ごし、粛々と骨上げが行われる。埋葬許可証と骨壷は史紀が受け取った。正宗が何も言わないところをみると、事前にそう取り決めてあったようだった。


「ありがとうございました」


 火葬場から出ると、正宗は平坦な声で口にし史紀に頭を下げた。


「今まで何もしてやれなくて、すまなかったね」


 史紀は返事を待つように沈黙した。正宗は頭を下げたまま無言でいる。史紀は悲しいように眉を下げ、桔梗に会釈をして踵を返した。その背中にはやりきれなさが滲んでいるように見える。だが桔梗は同情はしなかった。正宗の態度を冷たいとも思わない。おそらく史紀は、何もしてこなかった罪悪感でここに足を運んだ。弟が死んだ今だから近寄ってきたということだ。面倒をかけられることがなくなった、今だから。


「……直葬代。出してくれたんだ」


 走り去る史紀の車を目で追って、正宗がぽつりと言った。


「そっか」


 実際に足を運んで骨壷も引き取ったのだから、金だけ出したとは言わないかもしれない。だが桔梗は同じことのように思えた。正宗がただ報告をしただけのような調子で、声には何の感情も乗せていなかったから。正宗にとってあれはきっと、独りよがりの罪滅ぼしをしていった人だ。


「大丈夫?」


 桔梗はそっと正宗を見上げた。


「問題ねぇ。なんも」


 正宗は車が見えなくなった場所を見たまま動かない。


「全然、悲しくねぇんだ」


 短く吐いた息が、自嘲するように震えた。


「だんだん、弱ってきててさ。歳とか、酒の所為で。俺も子供のままじゃねぇからさ。身体はでかくなって。いつの間にか力じゃ完全に、俺のが上になってた。……いつか。俺が殴り殺しちまうんじゃねぇかと思ってた。……安心してんだよ、俺」


 正宗は歪む表情を抑えるように片手で目元を覆う。


「あいつの。怒鳴り声が嫌いだった。酒臭ぇ息が…母さんを殴る手が、嫌いだった。俺を、殴る手が」


 手の隙間から涙が伝って、地面に染みを作った。


「うん」


 桔梗は小さく頷いて、そっと身を寄せ正宗の背中に手を添える。


「親が死んだのに、悲しくねぇんだ」


 正宗は傷ついているようだった。悲しむことができない自分を、恥じているようだった。


「うん」

「嫌いだったんだ」

「うん」


 桔梗は両親が死んだら泣けるだろうか。幼い頃なら、泣いたと思う。どうしたら両親に構ってもらえるか考えていた頃なら。死を思って、喪失感で泣けたのではないかと思う。でも今は。桔梗に関心がない人達の為に正しく泣けるかは疑問だった。本来ならば別れの時に一気に押し寄せるのだろう喪失感は、知らないうちに少しずつ降り積もって、いつの間にか弾けて消えてしまっていた。あれはただの、桔梗を飼育している人達だと理解してしまっていた。正宗のように、薄情だと嘆くこともないかもしれない。


「私もきっと、親が死んでも悲しめない人間だよ」


 なんの慰めにもならないのは解っていた。だが少なくとも、正宗を追い詰める人間ではないことを示したくて言葉にした。

 桔梗はただ寄り添い、その夜は正宗の家に泊まった。正宗は桔梗を抱いた。めちゃくちゃに抱いた。


「桔梗」


 正宗は散々疲れさせた桔梗をきつく抱き込んだ。縋るように。


「結婚しよう。お前を殴るようなクズになったら離婚してくれていいから。だから結婚してくれ」


 正宗は父親を嫌悪している。憎悪かもしれない。だが血が繋がっている。同じ遺伝子が正宗の中にもある。なにより暴力が身近にあった。正宗は怖いのだ。父親のようになりそうで。それなのに───だから、桔梗を手放すことができない。


「いいよ。一緒にいよう。ずっと」


 桔梗は愛おしむように正宗の背中に手を回した。






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