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7. 土建屋の木嶋さん


 体を繋げるようになっても、どちらもその関係に名前をつけるようなことはしなかった。正宗の触れ方は優しい。普段の態度が急激に変化するということもなかったから、やれる女だから優しくしているのではないと判るのが桔梗は嬉しかった。

 やがて桔梗が地元で最難関の国立大学に通い始め、正宗が高校卒業資格を得る頃になると、いつの間にか正宗の休日が水曜日ではなくなっていた。


「正宗さん仕事変えた?」


 暫く会えない日が続いた後、改めて指定されたのが日曜日だったのだ。久しぶりに見た正宗は昨年より日焼けの色が濃い。その上正宗の部屋に作業服が干されているのを見れば、明白だった。


「今土木やってる」


 正宗は桔梗の持ってきた弁当を頬張りながら頷く。白米は正宗が自分で炊くと言うので桔梗が用意したのはおかずだけだが、いつもより多くと要望されて桔梗にとっての三人前を作っている。食事量が増えた事情も直ぐに判明した。


「土木ってあの土木?」

「道路造ったりトンネル掘ったりするあの土木」

「凄い! 災害の時ものの数日でしかもめっちゃくちゃ綺麗な道路作って物流通したあの土木! を! やってるの!?」

「……それは俺やってねぇな」

「でも凄いよ! あれができる人になるんでしょ! 凄いね格好良いね!」


 正宗は白飯を掻き込んで自分の口を封じた。照れ隠しかと思うと、桔梗の口からは機嫌の良い笑い声が出る。睨まれても怖くない。胸が躍るままに身を乗り出した。


「今どこ造ってるの? 見に行っていい?」

「道路の補修工事だからお前が見ても面白いことはねぇよ」

「正宗さんが働いてるとこが見たいの。作業服着てるとこ! 厨房じゃ見に行けなかったけど、外だから見放題だね!」

「なんだよそれぜってぇ教えねぇ」

「ええなんで! お弁当持ってくよ!」

「お前だって講義あんだろうが」


 正宗が口に入れようとしていた唐揚げを桔梗の口に突っ込んだ。桔梗は使えなくなった口の代わりに拳で抗議する。軽すぎるそれに全く堪えた様子もなく、正宗は勝ち誇ったように口端で笑った。桔梗は拗ねながら咀嚼し、冷めた番茶で口の中のものを流し込む。


「もー。でもなんで転職したの?」

「……高校ん時の同級生の木嶋さん」


 知ってるだろと確認する目に、桔梗は頷く。正宗の話に出てくる高校の同級生はきまって木嶋で、アパートを借りた時の保証人にもなってくれたということだった。


「あの人、土建屋でさ。ちょくちょく仕事の話は聞いてたんだ。何年も後に……俺が死んだ後も残る仕事やってんだなって思ったら俺もやりたくなったんだよ」


 桔梗の入れた番茶を啜り、正宗は視線を遠くにやった。


「俺が転がってたあの土手。あれとか。地滑り対策とか。水道管とかガス管修繕すんのに道路掘り返すのも土木なんだよ。街の人間の生活守ってんの。家だってさ、土台がしっかりしてなきゃ何十年も建ってらんねぇだろ。凄ぇんだよ、あの人達。どこもかしこもあの人達の手が入ってる」


 正宗は感慨深げに深い息を吐く。


「人手不足だって言うし。俺は体力だけはあるから」


 言葉を切ると、正宗は空にした弁当箱を見た。それからちらりと桔梗を見て直ぐに目を逸らす。


「俺が変わるきっかけくれたの、木嶋さんなんだ。自分が幸せだと思うこと見つけろって言われてなきゃ、俺はあのまま腐ってた。恩返しもできると思ってさ」


 桔梗は息を呑んだ。今、この時が幸せだと言われたような気がしたのだ。

 桔梗は正宗が喧嘩をやめたのも、おそらくあった、半グレになる可能性を回避できたのも自分の手柄だとは思っていない。指針となるような人がいたからだ。その木嶋の言葉も消えかける時があったようだが、まだかろうじて胸の内に残っているうちに丁度よく桔梗が滑り込んだに過ぎないのだろうと思っている。


「私も木嶋さんに会いたいな」


 きっと僅差で間に合ったのだと思うと、桔梗は呟いていた。


「……あの人結婚してるぞ。惚れても不倫だからな」


 桔梗は驚いて正宗を見た。その顔は思いの外真剣で、出そうになった笑いを噛み殺す。


「大丈夫だよ、お礼言いたいだけだよ」


 喜びを表そうとする口角を無理矢理押さえ込んだ桔梗の顔は、微妙に引き攣っている。正宗は苦虫を噛み潰したような顔をして目を逸らした。


「あの人格好いいからさ」


 言い訳のように口にするのが可笑しくて、桔梗はとうとう笑った。


「大丈夫だってば。私にとって一番格好良いのは正宗さんだから」

「そうかよ」


 正宗は弁当箱と飯茶碗を重ねて立ち上がり、そそくさと流し台に向かった。桔梗は不貞腐れたような照れたようなその表情を見逃さなかった。






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