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帝國の命運  作者: 藤原秀光
二・二六事件異聞篇
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第7話 / 雪解け

 銃刀を携えた兵士が日本の頭脳たる霞が関、永田町近辺を掌握している状況下で、暖気に満ちた部屋で茶を呑む兵士あり。岩間は、自らが置かれている状況に若干のもどかしさを募らせつつも師の話に応じていた。


 本事件の主な蹶起将校は北一輝の思想的影響を受けていた。鈴木貫太郎邸を襲撃した安藤輝三大尉(陸士三十八期)が麻布歩兵第三聯隊所属していた頃に、昭和天皇の弟宮・秩父宮親王も歩三に在籍していたことから、蹶起将校と秩父宮親王との間に交流もあったのだ。北一輝という「思想」、そして天皇の弟宮、秩父宮親王という「カリスマ」を青年将校は共有していた。


 北一輝だけではなく、蹶起将校は西田税陸軍予備役少尉(陸士三十四期)とも親密な関係であった。北一輝の門弟である西田も陸軍士官学校同期生の秩父宮親王と密接で、蹶起将校との接触を積極的に図っていた。


 大泉からは、事件発生を受けた秩父宮親王は所属先の弘前聯隊を離れ、すぐさま上京を果たしたこと、そして上越線水上駅から高崎駅までの車中で親王と当事件に関する意見を述べたことを岩間と田村に明かされたのであった。


「どうも青年将校が、秩父宮殿下と親密だという話は以前より耳にしておりました。至急、連絡をとりまして水上駅にて殿下の列車に畏くも陪乗させていただきました。陸軍はこのような事態を起してはなりませんでしょうとお話を畏れ多くも、申し上げました。同情的姿勢では何ら解決はしないでしょうから。それに実は西山さんを連れ立って、荒木さんの下にも出向きました。撤兵説得をどうかしていただきたいと依頼をしたのです」


 大泉は湯浅倉平宮内大臣には敬遠されてはいたが、昭和天皇にも御進講を務めたことがある。宮中勢力にも戸惑うことなく、大泉は意見を述べたというのだ。しかも門下生の陸軍の思想教育担当である西山雅陸軍教授を伴い、蹶起将校の支持を受ける荒木将軍に説得を願ったと云う。


 相手が皇室だろうが、蹶起将校の支持を集めたる人物だろうが、自ら意見を云い述べることから、岩間の眼には大泉が恐ろしいまでの行動力を纏っている怪物に見えた。


 明日からは砲工学校再開というので岩間と田村の両人は話を適当に切り上げ、塾を辞去した。玄関先では「では、別命無ければ明晩六時に」と確認の為か、大泉から一言あった。


「全く恐ろしい程よ。平気で秩父宮殿下とお会いになれるとは。伊達じゃないぞ」


 寒さに身を震わせながら二人は夜道を歩き出すと、岩間はそう呟いた。


「只者じゃない筈だよ。大体、天誅だと云って、敵陣に斬り込みを掛けるだなんて云うとは思わなかった。先生は本気で死に者狂いで時局収拾しようとしているのが分るがナ。岩間、俺に一つ考えがあるのだが、周りの同期にも呼び掛けてみようかとも思わなくもない。先生だけとはいっても、非軍人たる学生に()やれるはずは無いのだから。冒険的過ぎる。徒手空拳に過ぎない」


 素人が軍事の専業者に何ができるのだと思い詰めて、田村は一考する余地があると断じた。


「俺はこの時代に於いて、師弟関係が生死を懸けることなぞできるなんて面白いと思った。最初、先生から打ち明けられた際、なんて無謀でバカな、と思ったのだけれど、いざとなれば助太刀するしかないだろう。蹶起将校と斬り合うなんてことは起きるとは思えないが、師を嘲笑うようなことはしたくない。先生は本気なのだ。変に周囲を巻き込むことは止めにしよう。俺達だけで充分だ」


 青魂塾を後にしてからは岩間はフワフワとした、落ち着かない感覚に陥った。師から斬奸計画を打ち明けられ、そして死を共にして欲しいとまで云われた。吉田松陰の松下村塾を思わすような、あの時代の志士に倣おうと岩間は己惚れていた。


(大泉先生が松陰先生、そして俺は……)


 岩間は道中に円タクを拾い、田村と別れた。


 真夜半の寒さで軋む下宿部屋に岩間は戻ると筆を執った。一つ間違えれば落命するやもしれない斬り込み計画を翌日に控え、遺書を認めようとしたのだ。両親、所属部隊長、そして婚約者。岩間は気持ちよく死を迎えられるように準備をした。


 郷里の母には迷惑をかけ、父には同じ軍人として厳しく指導いただいたことを思うと胸にやや痛みを覚えた。部隊長宛てには全く個人的な行動であるが、これも國家の為で、一つの軍人の精華であり、世話になったと結びつける。やがて婚約者宛ての手紙になると、岩間は頭を抱えた。


 井野磐楠男爵(陸士十三期)の(むすめ)との結婚式を翌月に控えていたのだ。結婚を以て、婿入りする予定が若しも死んでしまったのならば、破算になってしまう。井野男爵家には無論、令嬢にも大変辛苦な思いをさせてしまう。


 あゝ無情なり。


 しかし、一度は決めた道だ。岩間は決心して再び筆を進めた。


 そのうち、外界が暗闇から白みを帯びつつあることに気づいた岩間は時計に目を遣る。


(もう朝か)


 遺書を書き終えると眠気があるのか無いのか分らぬうちに、二月二十八日を迎えたというのだ。岩間は本当に今日下手したら死ぬのかと思うと、永遠の眠りに就く前に現実世界での最後の睡眠をするべきだな、と自嘲した。 


 岩間は残雪を踏みしめ、砲工学校に着くと、学生は蹶起事件の話で持ち切りであった。今晩の斬り込み計画を誰にも吐露することなく、平静を装いながら岩間は学生の話に耳を傾けた。


 襲撃を受けた面々でも鈴木侍従長は一命を取り留めていたこと、湯河原の旅館光風荘に滞在していた牧野伸顕伯爵や首相官邸にいた岡田啓介首相は何とか難を逃れていたということが表立って報じられてはいたが、政府当局の姿勢は鎮圧行動に出るか、どうか不明瞭であるということを耳にした。


(へえ、そうかい。事態はどうなることやら)

 

 いつしか、学生の内では現状についての話を止め、あまり大声では云えぬような予想話に盛り上がりを見せつつあった。


 現内閣は閣僚の死亡及び事件発生の責任を以て総辞職。そして暫定政権がつくられるであろう。陸相官邸も占拠されているので、陸軍大臣川島義之大将(陸士十期)が暫定首相となる。


 いや、國體明徴を果たした蹶起将校は天皇親政の原理に基づき、天皇一元の國家体制となる。


 いやいや、そんな訳が無かろう。戒厳令が布かれ、討伐されるであろう、と――。


 ああでもないこうでもない。余りにも二日前の教室の雰囲気とはかけ離れた空間が醸成されていた。事件三日目を迎え、戒厳令下に置かれた青年の感覚は麻痺していたのだった。まるで他人事のように趨勢を無責任に決めつけようとしている。そして他人事ならざるを得ない程の流血事件が起きていたのだった。誰もが関わろうとしない、あまりにも一大事過ぎたのである。


 昼頃になると、奉勅命令を受けた戒厳司令部に動きがあった。蹶起部隊に対し、原隊復帰及び武力鎮圧の方針が確立された。つまり、蹶起部隊は明らかに「叛乱軍」と規定されたのだ。


「聴くところによると、遂に対決するようだ。あの人たちは鎮圧されるらしい」


 学生は教官から聴いた話を拡めた。岩間は呆気にとられることなく、どこか胸を撫で下ろしていた。


 ――遺書不要、これにて斬り込み計画は中止なり。


 それからの翌日、國家の為にと思い挙兵した青年将校の夢は当局の手により打ち砕かれた。蹶起失敗は恐ろしいまでの結末を招いた。のちの弁護官なしの暗黒裁判で蹶起首謀将校は「極刑」を宣告され、処されていった。北、西田も亦、同様の末路を辿ったのである。

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