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帝國の命運  作者: 藤原秀光
二・二六事件異聞篇
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第5話 / 潔白

 暫くすると、教官が「すぐさま教官室に向かうように」と、岩間正孝と田村兼五郎を呼び出した。


 全く嫌な夢だ。目を擦りながら岩間は階段を下りた。先を行く田村と教官室を前にすると、互いに顔を見合わせた。共通点が陸士同期で、奇遇にも同じ学び舎で研鑽を積む同志という共通点以外にもう一つあった。例の維新運動に関与していたことだった。


「岩間よ。貴様と俺は疑われている。そんなことがあってよいものか?」


「兎も角は真実を話すしか無いだろう。維新運動にのめり込んでいた訳ではない。少し(かじ)っただけだろうし、早抜けしたではないか。現に、我々は大泉先生の塾生だろ? 学校側から目をつけられていたのは何となくは感づいてはいたが、キッパリと無関係であることを云おう」


 田村は頷くと、恐る恐る教官室の扉を開けた。憲兵らしき将校と老学校長、そして教官の三人が待ち構えていた。学校長のみ腰を下し、左右両脇に憲兵、教官将校が立っていた。


「よいから座りなさい」


 老閣下に促されるままに、岩間ら二人は静かに腰掛けた。


「諸君は現在、混乱の心情にあり、酷であろう。しかし、この事態に関し、話してもらわねばならんのだ。なぜ呼ばれたか分かるか?」


「校長閣下、失礼いたします。話してもらわねばと仰った後に、あたかもこの事態に関与している体で、呼ばれた事由を訊き出そうとなさっておられるのではないでしょうか? 我々は、本件に何ら関係はございません。蹶起将校とは連絡をとっておりません」


 思い切った岩間に対し、憲兵らしき将校はただ無言で睨みを利かせた。


「そうか。岩間、貴様は分った。田村はどうなのだ?」


「恐らく相沢事件前後から目をつけられている維新派の連中の仕業だとするならば、一時でありますが、確かに自分は維新運動に傾きつつありましたのは事実であります。しかし、彼らと陰謀を企てることなぞ一切御座いません。時が経つにつれ、私は思想に違和感を抱いておりましたので、昨年秋頃よりは、個人的交流に限定されて、思想を介した交流は皆無であります」


 田村は只管(ひたすら)に関係がないことを強調した。


「関係はもう大分前からのことのようだな。個人名を出すと申し訳ないが、関東軍にいる明田寛士と貴様らの関係が深いことを知っている。明田は普通科在籍時に学生を革新思考を有する一派に勧誘していたようじゃないか。明田と貴様らは陸士でも同期で、特に田村は明田と共に同期生の中で中心核的存在だったという話も訊いておる。仲が良いのは結構であるが?」


 明田の名が出たことで、唇を歪ませたのは田村だった。陸軍士官学校四十五期のなかでは明田、田村が特に弁が立つ人間として一目置かれていた存在であった。明田が運動に興味を強く示しているから、片や田村はどうなのだ、という問題であった。明田は砲工学校普通科を卒業後は渡満し、関東軍山砲兵第九連隊に所属していた。


「そのような集団とは距離をとりました。社会動向に熱心であると感心はしましたが、実態はどうも維新一辺倒でありましたので、自ら集団から抜けました。自分の信条に相反する思想でありました」


 思想批判するかどうか、踏み絵をまざまざと見せつけられたかのようであった。田村は思想との関係を断ったことを語気を強めて述べた。それでも教官は無言で怪訝そうに彼ら学生を眺めていた。


「若い者は思想、思想と口にするようになってから自分の頭が考える策は政治家より優っているのだ、政治を動かせるのだという若者特有の万能感が相まっているように感じるが、貴様らはどう考える」


 と云って、校長の質問は猶も続きそうであった。


「政治家が軍人の道を邪魔することないように、軍人も軍人で憲政の道を妨害することないよう、軍人勅諭の「政論ニ惑ワズ政治ニ拘ワラズ」を兵士各々の胸に厳命すべしと思います。本件は、襲撃目標が政治運営者に向けられたるをみるに、本軍人は全くの外道と見做すべきであります」


 岩間は蹶起側の人間を厳しく評した。岩間は、嘗て軍人勅諭により、政治家の道を諦めることができたが、まさかこの場で軍人勅諭の一節が活用できるとは思わなかった。何にせよ軍人勅諭を持ち出すことで、誰だろうが何だろうが云わせない自信があった。


「我々は若き故、感化されやすい部分があります。その究極が相沢事件であり、時局を読み取れず、軍務局長を殺めるという暴挙に至るとは誠に未熟であります。思想集中し、大局が見えないのであれば、実戦でも恐らく活用できない兵士でありましょう」


「もうよい。此度の内容に附いては漏らすこと勿れ。戻れ、ご苦労」


 校長は二人を解放した。一礼し、踵を返した二人は部屋を退出した。


 教室に戻る為に階段を上ると、なんでもない階段であるのに「ハア」と息が上がるような、疲労感が二人を襲っていたのだった。


 この日は夕刻になり、漸く学生は学校の(くびき)から逃れることができた。寄り道厳禁を言い渡されたが、國家の一大事なのに誰が寄り道するのかという学生の具合であった。


「今夜、蹶起部隊に襲撃されたらどうしよう。実は砲工学校幹部は蹶起側と同じ思考で、内通していたり。それか明田らと共に危険思想を共有したことが理由で、憲兵や巡邏に寝床を襲われて身柄拘束か」


「冗談言えるくらいなら貴様は大丈夫だ。俺も大丈夫だ……。帰るぞ」


 支離滅裂な田村の言動に岩間は余計に疲れ切ってしまった。下宿に戻ると、すぐさま重い瞼が眼を覆った。二月二十六日、血染めの雪とは無関係な、潔白を訴える白雪の如き将校も亦、帝都に確かに居たのであった。

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