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帝國の命運  作者: 藤原秀光
激動の八月篇
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第18話 / 陸相訓示 (昭和二十年八月十日)

 八月十日朝の市ヶ谷台は騒然の場と化していた。


「九時三十分に地下防空壕への集合を命ずる」


 登庁した高級部員以上の陸軍将校は省内に響き渡る放送を耳にすると、只事ではない予感に苛まれながら早速朝九時三十分までに省内地下防空壕に集合を命ぜられた。


 参謀飾緒を吊り下げた者たちは口を一文字に閉じ、階段を駆け降り、地下を目指した。


 防空壕内に到ると、準備された台座横には陸軍首脳らが既に待機していた。整列した将校一同らは整然とした敬礼する。


「ご苦労。諸官らを呼集した訳であるが、昨晩より本朝まで開かれていた御前会議に臨まれた大臣閣下より訓示がある」


 吉積軍務局長が声を張り上げると、注目の的である阿藤大臣は壇上へ移る。


「ようし……」


 気合を入れるかのように陸軍総帥は大きく息を吐く。


「よく聴かれたし。昨夜二十三時より本朝三時まで御前会議が開催され、畏くも皇室の保全を条件としてポツダム宣言の内容の大方は受諾為される旨の御聖断を仰ぐに至り。然れども之が実効を見る為には皇室保全の確証が得られることを前提とするものである。私の力量、微力なるは遂にかかる帰結に至るは諸官に対し、申し訳なく、深く責任を感ずるも御前会議に於いて私が主張したることに就いては、諸官が私を信頼して呉れるものと信ずる。この上は唯大御心(おおみこころ)のままに進む外なし!」


 八月九日ポツダム宣言受諾の御聖断下る―――國家の執るべき道は定まったのだ。只事ではなかった事実に触れたとき、数多(あまた)の将校の頭上には「敗北」の二文字が浮かび上がろうとしていた。


「この際は諸官らに是非とも注意されたい。(ひとつ)、総てを捨てて厳粛なる軍紀の下団結し、越軌の行動は厳かに戒む。之が國家の危局に際し、國の戒むる要因となる。(ふたつ)、諸官は國民の動向を十分に観察し、之を把握し大御心に従う如く指導すること肝要である。國難である難局に立ちたる大和民族の方向を誤らざらしむること。(みっつ)、軍の自粛は必要なり。今も戦いの最中である海外軍隊の処理に就いては私も諸官と同じく最も痛心事である……。(よっつ)、今後の外交交渉の経過も考慮し、我が軍は和戦両様の態勢を以て臨む必要あり。以上である」


 総帥は将校たちの顔色の悪さを目にし、気が折れそうになるも訓示を終えた。心苦しい思いがこみ上げて致し方がなかったのだ。申し訳ない、申し訳ない……と。夜を徹し國の方針を決定した会議に臨み疲弊した身には余計、堪らなかった。


「降伏というのでしょうかッ!」


「嘘だ、嘘だろうよ」


 壇上から降りる総帥に向けられた声なのか、怒気が壕内に沸き上がる。吉積軍務局長は「静かにせい」と一喝して場を制すと大臣に代わって壇へ上った。


 松下はすぐさま義兄に駆け寄って憐れみをかけたいと思うと同時に、もはや本土決戦どころではないのではないか、と虚脱状態に陥り、俯くしかなかったのだ。壇上の軍務局長からの説明をうまく呑み込めず、何を云われたのか、上の空になりつつあった。


 ぼやぼやとした感覚のうちに、なんだか終わったようだ。白けた顔、怒気に満ちた顔、受け止める外ないと淡々とした顔、様々な顔が重い足取りで所属部署へ戻っていった。


 各部署の様子といえば項垂れて机に突っ伏す者がいれば、机を叩きつけ、異を唱える者もいる。軍務課では椎崎中佐、畑岡少佐の二人が松下の机に向かった。


「松下さん。先ほどの大臣閣下のお言葉、つまりはポツダム宣言受諾の御聖断とのことですが、決して諦観してはなりません。御聖断は絶対。御聖断は絶対でありますが、最後の方で和戦両様の姿勢を保つ要ありと訓示がありましたから、本土決戦堅持の道は絶たれた訳では無いでしょう。ましてや魑魅魍魎(ちみもうりょう)たる閣僚らの策略、口車により陛下が無理強いなさられた可能性だって捨てきれない。敗戦主義者の存在が一目瞭然となりました」


 椎木中佐は現実逃避の如く口早に説いた。松下は腕を組んだまま真正面を見続ける。一切、視線を遣らない。


「そうです。陸軍方針は飽くまでも継戦構想です。以前に高山中佐が仰っておられたように、やはり外地軍隊の武装解除は自主ではなく敵國の手によって行うとは本当に思いませんでした。到底承服できません。屈辱のほかない。閣下の訓示について現地軍に何と申せばいいのか」


「椎木に、畑岡。君たちは魑魅魍魎とやらの閣僚に大臣閣下が屈したとでも云いたいのか。何にせよ御聖断だぞ。それに俺は今晩、陸相官邸に赴き、御前会議の話を伺おうと考えている。まずは落ち着け……と云いたいところだが誰も冷静沈着にはなれん。我々共々、少しは頭を冷やそう。熱っぽいんだよ、自棄(やけ)にな。席に戻れよ、いいか?」


 松下は額を右手で覆う。自分の気持ちの整理を優先させて欲しいとの意思表示であった。


「わかりました……。ただ、憂いて、憂いて、憂いているだけなのです。國の存亡危急の(とき)なのですから」


 椎木は悲しげな表情で返す。畑岡も無言で頷き、二人は松下から離れていった。椎木は勢いそのまま廊下に出るや否や陸相訓示に呼集されなかった下級参謀の詰めている部屋へ向かうと、御前会議の結果を伝えた上で國體護持の為の敢闘精神を必死に訴えたのである。

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