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帝國の命運  作者: 藤原秀光
激動の八月篇
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第17話 / 懇談 (昭和二十年八月九日)

 目まぐるしく変動する情勢を目の当たりにした弟子たちは師を仰ぐ。相模原陸軍通信学校より同校教官の窪谷兼三少佐(陸士五十期)、東京帝大講師の鳥羽通明の2人は研鑽の場である青魂塾へ駆けつけた。


「夜分にすみません」


「気にせんでもよろしいでしょう」


 三人は畳の上に座すと、塾に詰めていた現役帝大学生から湯呑茶碗を受け取った。一先ず、茶を啜る。


「どうしても中央情勢を知りたくなりまして、こちらへ出向いてまいりました。すみませんね。今晩は鳥羽さんと一泊させていただきます」


「私もこのまま泊まらせていただきます。どうもすみません」


 窪谷少佐はいてもたっても居られず、相模原より東京へ向かった次第であると云う。


「うむ。貴殿らは皇國の行く末に不安を心中に募らせ、塾に来られたとみました。夜布団に入り、朝に目を開ける度に我が帝國の置かれている状況が一変しております。まるで激流に呑まれたようです。そしてその激流は(とど)まるところを知らない……。私も貴殿らと同じで、國家に対する憂いが日に日に倍増しております。畑岡さんにしても何日か前にこちらに訪れた際にも不安を吐露しておりましたネ」


「はあ、畑岡さんもお見えになられたのですね」


 同学の先輩である畑岡健二を窪谷は深く敬愛していた。彼の実直な生一本な性格、祖國日本への並々ならぬ熱い思いを抱いている姿に敬意を表さずにいられなかった。


 京は園部に生まれた畑岡は身内から軍人向きの性格ではないと云われる。第三高校への進学志望していた少年は難関校の一つである陸士への受験も試しに受けたところ、合格した。本命ですらない陸士合格に地元では小さな騒ぎになり、地元新聞では陸士合格を祝う記事まで掲載されてしまった。三高への希望は捨てきれずにいた畑岡は周囲の勧めにより、武人として生きる道を歩み始めた。勉学の道を絶ったのである。


「存亡危急の(とき)ですから門弟は師と面会したくなるのでしょうネ。我國の行く末への不安感。私は帝大で平柳さんと顔を合わすこと多し……ですが、込み入った話をするにはこの青魂塾が最適です。師以外にもこうして窪谷さんと門弟同士、顔を合わせられ、軍民の双方の意見を交えられますからね」


 鳥羽は胸を摩る。如何にも不安が募っている様子である。


「日本が無理矢理に未知の領域に吸い込まれていくような不安。これを絶つには見当がつきませんナ」


 平柳は後頭部を触り、やや前屈みに姿勢を崩す。抗う術がないことを悟った。しかし、彼らを前に「降参」などと軽々しく口にできる筈はなかった。後に続く言葉が思いつかなかった。


「戦局打開の策として、本土決戦の手があります。本土で敵を迎え入れ、破滅させる道があります。帝國の生きる道は最早、これしか無かろうかと思われます。椎木さんや畑岡さんといった中央幕僚の面々は日々研究なされ、決して諦めてはいないでしょう。現に我々も諦めてはおりません。議論を叩かせ、行動に出る、これこそが草莽崛起、志士の使命であります」


 窪谷は口を開くと、現況を覆すには本土決戦すべきではないかと云う。


「飽く迄も陛下の思し召しでなければなりません。皇軍独断の行為では許されませんでしょう。聖慮が絶対です」


 平柳は逼迫した状況だからこそ皇軍暴発を危ぶんだ。思えば二・二六事件が起きた当時の社会情勢もかなり逼迫していたと云える。窪谷は別に陸軍総意を表した訳ではないが、古今東西、こうした状況は強硬派が物を云わすと踏んでいたのだ。


 なにより大日本帝國軍は「皇軍」。天皇の軍隊である。大元帥である陛下の大御心なしには独断での軍事行動は忌避されるべきである。平柳は思うのであった。


 窪谷は「えぇ」と、どこか力のないように頷いた。


「先生、お電話です」


 学生から入電の知らせを受けた平柳は「少しばかし失礼」と云い、離れた。軽く頭を下げた窪谷と鳥巣の口元は歪んでいた。苦しそうな表情であった。


「もしもし、平柳です。ああ、島野さんですか」


 門弟の島野海軍技術少佐からの電話である。軍部と政府の情勢を師に伝えようと電話を架けてきた。


「先生のお耳に是非入れたきことがございまして、夜分に失礼いたします。満洲に於きまして、ソ聯が進撃開始し、関東軍との交戦が確認されました。未明の宣戦布告を以て、日ソ中立条約は破棄となりました。大本営はどうやら防衛戦の指示をしておりますが、難しい戦況との見立てとのこと。そして、長崎には新たなる新型爆弾による攻撃に晒されたというのです。私の知る限りでは被害状況は不明。政府の動きはよりポツダム宣言に関し、考えざるを得ませんでしょう」


「長崎に? あァ、あァ。なんと、なんということ。実は軍令部からお電話いただいた際にソ聯侵攻については知らされましたが、やはり厳しいのですか。長崎に二発目なんてどういうことでしょう」


「日本は厳しい、実に厳しいですよ」


「ご連絡どうも。島野さん。では」


「先生。我々も気落ちしないでいましょう。では失礼いたします」


 平柳は憔悴した。今まで幾人もの先人が積み重ねてきた「日本」という積み木がグラっと崩れる無惨な思いに至ったのである。

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