第16話 / 二発に沈む船 (昭和二十年八月九日)
昭和二十年八月九日。アメリカ空軍第五〇九混成部隊所属爆撃機、通称"ボックス・カー"が小倉への新型爆弾投下作戦を遂行せんと午前九時四十四分、小倉上空に達するも、天候不良や視界不良により作戦断念。帰路に就くも第二投下目標である長崎に急遽航路転換し、長崎も雲に覆われた天候不良も雲の隙間から街を目視され、投下された原子爆弾「ファットマン」は午前十一時二分、長崎市上空にて炸裂した。
空中から投じられた爆弾はピカッと閃光を放ち、轟音を響かせ、廣島と同様に長崎の地に大殺戮を起こしたのである。廣島への原子爆弾爆撃から僅かに三日後である。
ソ聯の満洲進撃の急変に次いで二発目の原子爆弾による爆撃。大本営附幕僚は陸軍省を右往左往し、血走ったような眼で各所へ駆け巡る様はまるで怒りに満ち溢れた猛犬の如し。
「露助の野郎ども!」
「もしもし、こちらロシヤ課だが……」
「誰か受話器取らんかいッ! 長崎の件はどうなんだ、長崎は!」
止めどなくじりじりと鳴り響く受話器と共に声を荒げる者多しである。最中、半狂乱的な大本営に現れたのは陸士・陸大と首席卒業した中堅将校きっての秀才、高山信武陸軍大佐(陸士三十九期)である。十八時三十分より開催されていた、東久邇宮稔彦王(陸士二十期)、朝香宮鳩彦王(陸士二十期)、第一総軍司令官・杉山元元帥(陸士十二期)、土肥原賢二陸軍大将(陸士十六期)に梅津参謀総長を加えた軍事参議官会同への同席を終え、大本営に戻ってきた。
混乱ぶりを目にし、一度顔を俯かせながらまるで各部員らに存在を知られたくないように静かに自席へと歩を進めた。高山大佐は、同僚らに会同の話がどうだの、なんだの教えてくれとせがまれるのがオチであると踏んでいたからである。
すると高山大佐の意に反し、一人、また一人と行く手を阻むではないか。
「高山さんが戻ってこられました」
「おい! 高山!」
幕僚らは軍事参議官会同に同席していた高山大佐を認めると一瞬にして、動きを止め、全視線を高山大佐に注いだ。まさに注目の的となった高山中佐は「なんだ!」と威勢よく振り切ろうとした。
何ら威嚇は通じやしない。幕僚連は一斉に高山中佐を取り囲んだ。
「大佐殿。ご苦労様ですとお伝えしたいところですが、首脳陣のお考えは如何です?」
「そうだ。大臣閣下や参謀総長殿の今度に於ける我が軍の指針とやらを何か耳にしていないのか? 最高戦争指導会議の内容でもいいが、なにか知り得た話は無いか?」
「ナアニ。俺は今さき程まで軍事参議官会同に同席させていただいただけサ。君たちが知りたいのは最高戦争指導会議での話でしょう? 話の内容はだナ、全くの極秘だ。君たちも察せよ。最戦会は最重要なる会議だろう。隅から隅までの内容なぞ先ほどまで軍事参議官会同に同席されていた梅津閣下も口を割る筈はないであろう」
先刻より催されていた最高戦争指導会議の内容を知る術がない幕僚連は無念さを滲ませながらも高山中佐を囲む輪を解かそうともしなかった。
(やはり梅津閣下のお考えを知りたくて仕方がないのか……)
高山大佐は猛犬連中に顔をゆがませた。
「ならば参謀総長閣下は同席された先の軍事参議官会同では何とご発言されたかッ?」
「どうせこのことだと思ったよ。参ったな……貴君らとやらは」
溜息をつき、高山大佐は周囲の幕僚を見渡す。諦めがついた。
「よいか。決して漏らす事なかれ。先の会同に於ける梅津閣下の仰せになられた陸軍側の意見だ。先ず、國體に関しては何ら変革を許さず、これを堅持すべし! 二つ、南方や大陸に展開する部隊の武装解除は現地に於いて行わず、必ず内地に於いて自國の手により執行すべし! 決して敵國軍の手によって行わせんとす。三つ、我が帝國領土は敵國による保障占領は一切受けず。進駐は断じて受容せず。四つ、先のポツダム宣言とやらに戦争責任者なる我が國首脳部に対する処罰と謳われているようであるが、これも断じて許さず。要は、大まかではあるが、以上の四条件が陸軍としての講和条件である。これを大臣閣下と共に最高戦争指導会議にて述べられたそうだ。外相の東郷閣下は席上にて、國體の堅持についてはご賛同されし」
聴衆はあっけらかんとした表情で四方八方に散っていくも、少数では陸軍首脳部への不信感を吐露したり、怒気を滲ませながら辛辣な意見を呈する者がいた。
漸く開けた道を進むのだが、高山大佐の心中には頑として言わなければよかったのか、はたまた、彼らの為に快く披露すべきであったかどうなのか悩みが生じた。どうも自席へ戻る足取りが重い。
(政治をやられている両閣下のお気持ちを少しは汲んでくれ。ポ宣言の受諾如何は時間がない。単純な訳が無いだろう。首脳部は最戦会中に長崎への新型爆弾投下の報にも接したのだから気が気でもないだろう……)
高山大佐は辿り着いた椅子に深く腰掛け、慮る。お仕えする阿藤将軍や梅津将軍を想うとどうも居た堪れないのだ。
「まさか閣下らは外地にて奮戦中の兵士を顧みずに、みすみす解散せよと仰るのか。皇軍は何処にいっても一心同体ではないのか? お見捨てになられたも同然ではないか。そして今日は今日とて長崎に新型爆弾が落とされたんやろうが。より戦う姿勢を見せずしてどうなんや」
畑岡少佐は敢闘精神が見られない陸軍意見に不満を述べた。こうした最中でも生きるか死ぬか、殺るか殺られるかの極限状態で闘っている前線兵士を無視などできず、猶更、承服できない。
「可能ならば阿藤閣下や梅津閣下には直にお聞かせ願いたい程だ。不意打ちとまでは云わないが、どうもだなア。敗退的意見としか思えない。行き着く先は陸軍解体なのか。そうだとしたら到底受け入れられる訳がないでしょうよ」
畑岡少佐以外にも軍事課編成班員の飯野裕幸陸軍少佐(陸士四十六期)も大いに不満を吐露した。飯野少佐も畑岡と陸士同期生にして、彼も亦、大泉私塾の塾生だ。
二人して「徹底抗戦」の他ないと口にした。
彼らの怒りは抑々、陸軍が講和を受け容れる前提で条件を提示したことに起因している。彼らにとって國體護持は当たり前でありながら、それ以外の条件についてはまるで戦後の動きを明示しているように見て取れた。継戦の意思が条件には反映されていないが為に、腹立たしさを憶えたのである。しかも、外地駐留軍の武装解除まで言及されていることから全軍武装解除の危機感……つまり「皇軍消滅」に対する憂いだった。
「いつまでもウダウダ文句を云ってもしょうがないぞ」
軍務課内政班長としての務めを果たそうと松下中佐は指揮を執り、軍務局員に臨機応変に対応が可能な編成を行った。自らに全般及び戦争指導輔佐を任じ、浴宗輔中佐(陸士四十三期)を内政班業務統轄、椎木中佐と畑岡少佐を政変対応、その他幕僚らを宣伝情報、戒厳法規、庶務に命じ、時刻を二十時を回ろうとした頃、臨時内政班会議が開かれた。