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帝國の命運  作者: 藤原秀光
激動の八月篇
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第14話 / 四年後の正解 (昭和二十年八月九日)

 八月九日午前七時頃、陸軍宿舎に充てられていた駿河台の渋井別館に控えていた軍務局軍務課内政班長松下正彦中佐は、同じ軍務課の岩田曹長に即座に登庁するように言われた。


「中佐殿、急を要するのでお急ぎ願います」


 岩田曹長は声を荒げて、慌てていた。明らかに異常事態の発生であると松下中佐は感じ取っていた。


「解った。急ぐよ」


 松下中佐は準備を早急に整え、いざ外へ出ようとした刹那宿舎舎内に電話が鳴り響いた。


「広瀬中佐より連絡ありッ! ソ連宣戦せり、至急登庁せよ!」


 受話器を握った将校が声を上げた。若松只一陸軍次官(陸士二十六期)の秘書官広瀬栄一中佐(陸士四十三期)からの連絡で、ソ連宣戦の報が陸軍省将校の耳に伝わったのであった。


 ソ連参戦により、日本は戦争終結のチャンネルを失った。大日本帝國政府は同盟國・独逸國が降伏した五月七日以降、外交方針として対ソ最重視に舵を切っていた。ソ連の参戦阻止とソ連による仲介講和の要請という「恐れ」と「期待」が同居した外交戦に注力していた。


 ただ、最早数か月継続してきた外交努力は水の泡となったのである。


「なんだと。曹長、急を要するとはこの事だったのだな」


「ええ。ですから松下さん、お急ぎ願いたい」


 松下は急いで陸軍省へ向かうと、大本営所属の山田一成大佐が貧乏をゆすりをしつつ待機していた。何とも落ち着きようがなかった。


「松下、不味いことになってしまった。早くに対処法を講ぜねばならんぞ」


 山田大佐に限った訳ではなく、憂慮していたソ連参戦という事態急変の報に接し、落ち着けと言われて落ち着けるのなら、疾うに戦争など終結できたのであろう。他の幕僚にも共通して余裕が無かった。


 緒戦の勝ちに勝って、「戦勝麻酔」という自己過信に陥った末に、帝國は冷静に物事を視る目を知らず知らずのうちに「失明」していた。


 帝國陸海軍は、一切、光が差し込むことのない常夜の如き深海に放り出されたのも同然であった。苦しいのは身を以て解るのだが、どうも苦境から抜け出せない、幾ら抗おうとするも全く浮上しない。帝國日本は「沈没船」と化したのだ。


「この状況下でソ連参戦だなんて、信じたくないものです」


 松下中佐と山田大佐は協議し、大本営として、八月九日はソ連に対処する為に一日の流れを策定。加えて、戒厳の施行や飽くまで帝國自衛の為に交戦を継続することを要領に盛り込んだ『ソノ参戦ニ伴フ戦争指導大綱』を作成した。


 大本営参謀らが対ソ問題に取り組むなか、午前十時三十分、最高戦争指導会議が開かれた。鈴木貫太郎総理大臣、阿藤惟幾陸軍大臣、米内光政海軍大臣、梅津美次郎参謀総長(陸士十五期)、豊田副武軍令部総長(海兵三十三期)、東郷茂徳外務大臣の六名からなる最高戦争指導会議(最戦会)は、午後十二時三十分の終了予定時刻を超過した。


 二発目の新型爆弾が、九州は長崎に投下されたという報が午後一時前、最高戦争指導会議に伝わった。廣島の原爆投下から僅かに三日後のことであった。八月九日は「ソ連宣戦」と「二発目の原爆投下」という忌むべき事態に至ったのである。


「おい、白木よ。軍務局のほうへ出向いて呉れよ。我々閣僚や迫水書記官長がどんな雰囲気でいるのか、こちらの状況をそれだけでもいいから局長に伝えて呉れ」


「閣下、軍務局長でしょうか?」


「そうだ。いいな? よろしく頼んだぞ」


 綜合計画局局長池田純久陸軍中将(陸士二十八期)が同局参事官の白木正辰陸軍中佐(陸士四十三期)に対し、吉積正雄軍務局長(陸士二十六期)と面会するよう命じた。


 ドアを静かに閉じ終えた白木中佐は壁に背をもたれ乍ら、口を半開きにし、「あゝ……」と漏らす。「日本敗戦」の事実が突きつけられようとも手の施しようがない無力さに襲われる。


(四年も前に明らかになっていた日米戦争の敗戦。今まさに目の前で起ころうとしている。一体全体、なにが活かされたというのだ……)


 昭和十六年四月一日、内閣直轄の國家総力戦を想定した研究を主目的に創設された「総力戦研究所」の研究生の一期生として当時、陸軍大尉であった白木は入所を果たしていた。國家に選ばれし民間・官僚総勢二十七名のうちの一人であった。


 二代目所長の飯村穣中将は、座学講義のみを良しとせず、朝はグラウンドでの運動から始まり、どこか軍隊色のあるカリキュラムに文官の一部は難色を示したが、やがて、その飯村所長の寛大な人柄に惹かれ、文官・武官の双方の人間は互いに知恵を振り絞り、総力戦研究に努めた。


 当時の内閣首班たる東條英機首相が毎講義に顔を出し、官僚たちは大いに緊張を覚えつつ、論戦を繰り広げた。


 白木正辰大尉は入所当時に平然と日本優越論を述べ、それも精神論であったのだから、文官からは冷ややかな視線が注がれ、志村正海軍少佐(海兵五十五期)が反駁した。


 同年七月十二日には模擬内閣の組閣が行われ、白木大尉は陸軍大臣に命ぜられた。仮想とはいえ、白木は己の手で一大組織を率いることにプレッシャーと並んで昂揚感をしきりに覚えた。なにより、表立つことの無い研究所に呼ばれている意味を深読みすると、自らがエリート官僚であるのを自認せずにはいられない。


「研究生諸君には青國政府の一員として総力戦を展開されたい。我々研究所員は統監部として演習全体の指揮監督を執り行うも統帥部として青國が取り得るべき戦略指導に関与する。研究生諸君らの優れたる知識、國家戦略に大いに期待したいところだ」


 研究所幹部の一声で、仮想戦の総力戦机上演習が行われた。青國政府は即ち帝國日本であり、統監部から課せられた日本の現況、そして現時点での國の保持しているであろう資源、物量を基に研究生は頭を駆使し、國が利する最良の答えを導き出そうとした。


 南方國家へ圧力をかけ、それでも猶、英米の影響が除去できぬ場合には米國との開戦止む無しと白木陸軍大臣は強硬な主張を繰り広げるも開戦否定派の志村海軍大臣ら閣僚の反論必至であった。


 しかし、統監部は既定路線かのように堂々と開戦強硬論を呈した。やがて仮想敵國との交戦に到る場合であるが、本土空襲や船舶の自由が利かずして石油等の資源確保は如何がするのか、抑々青國政府が依存している仮想敵國の石油を止められてしまえば航空機、船舶の動力を喪失し石油自体の底を着くのが見えているだのと悲観的結末しか至らなかった。


 閉塞感に支配された青國政府に対し、統監部は南方に於いて石油資源を確保した場合の國家の執るべき道はなんぞと有りもしないフェーズに推移していくのだ。


 軍事・外交・経済のエリートを以てしても、次第に青國は押されていく結果が目に見えていた。


 為す術無しの國家の無力さに苛立ちと悔しさを憶えた白木は、右手で一度机を強く叩いた。俯き加減の青白い顔をした研究生は一斉に顔を上げる。研究所幹部は固唾を呑んだ。


(日本必敗ではないか……)


 模擬総力戦は敗戦を迎える。文人研究生は半ば呆れ顔になると同時に、我が國家には米國を打ち負かす程の國力が無い事実を受け止める他なかった。


「斯くなれば次の演習ではこのような場合で想定される政策、対外戦略を考えてもらいたい」


 日本敗戦の結論はさして触れられることもなく、研究所所員の思い通りに二次、三次、そして四次へと研究生の仮想内閣は考え、戦わされた。


 結局、総力戦研究所は勝利を見出すことなく、「日本必敗」を導き出すしかなかったのだった。

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