第13話 / 衝撃走る (昭和二十年八月八日)
昭和二十年八月六日午前八時十五分、軍都廣島はアメリカ陸軍航空軍第五〇九混成部隊第三九三爆撃戦隊所属爆撃機、通称“エノラ・ゲイ”による爆弾投下を受けた。
爆弾――原子爆弾――は空中で閃光を放ち炸裂すると忽ちに熱線、爆風を発生させ、上空に不気味なキノコ雲を描いた。仮令戦時下であっても普段と変わらず朝食や通勤通学、家事に忙しない朝は一変を余儀なくされた。人と建物は消され、街はたったの一発により焦土と化したのである。日清戦争時、大本営の置かれたことのある名城「鯉城」は、その城を本拠とする陸軍第五師団、中國軍管区・第二総軍司令部もろとも壊滅となった。
廣島市長、中國地方総監は落命し、朝鮮公族の李鍝公陸軍中佐(陸士四十五期)は司令部への通勤途中に被爆し、翌日には息を引き取った。司令部詰めの参謀幕僚も閃光と共に命を落とした。第二総軍司令官秦俊六陸軍元帥(陸士十二期)は奇跡的にも健在であったが、廣島は行政・防衛機能を全く喪失したのである。
人類史上、経験したことのない核兵器の実戦活用であり、同時に戦争の新時代の到来を無惨にも予感させた。
原子爆弾の衝撃から二日後の昭和二十年八月八日、畑岡健二少佐は曙町から西片に居を移していた私塾青魂塾を訪れていた。
「御免下さい」
帝都とてアメリカ軍の空襲による焼夷爆弾で軒並み焼き尽くされたというが、私塾である借家は未だに変わりなかった。同じ志を共有する場である師弟の交流場である青魂塾は何とかして保たれていたのだ。
「畑岡さんじゃないですか。さアお上がりなさい」
大泉は弟子の来訪を受け、すぐさま畑岡少佐を中へと誘った。当の畑岡少佐は俯き加減で、どうも様子がおかしい。大泉の眼鏡越しに映る畑岡少佐の顔はどこか曇っていように見えた。
口を一文字に結んだ畑岡は陰鬱な表情で「失礼いたします」と云わんばかりに無言で頭を軽く下げる。大泉はやや不安を覚える。
「どうされたのですか。まるで苦悶に満ちた顔をしていますヨ」
「驚かないでください」
断りを入れた畑岡少佐は続けて「新型兵器なのです。どうやら二日前、廣島に新型兵器が投下されたようなのです」と云った。
大泉は話を疑った。果たして新型兵器とは何であるか。
「新型兵器とは、つまりはどういうものなのでしょう? 投下と云うと、戦略爆撃機が投下したのでしょうから、これは一体!」
畑岡少佐は意気消沈したまま応ずる。
「私は何と云えばよろしいのでしょうか……。まだ報じられていないでしょうが、これがどうも原子爆弾らしいです。その一発により廣島は街もろとも全て吹き飛んだようなのです。詳しいことはすみません。今、大泉先生に打ち明けられるのは此処くらいが限界です。空襲で使用されている爆弾類の比ではないのは確かです」
畑岡少佐は、総力戦の果てに戦争を「一発」で変える悪魔の実なぞ夢想だにしなかった。いや、誰一人として新時代の幕開けを意味する爆弾を想像できる筈がない。軍務局の幕僚連は報に接した当時、一発で街が焦土と化すという余りにも非現実的な話の為に何ら言及できず、沈黙せざるを得なかった。
とは云え畑岡は大泉門下生の一人として、どうしても一大事を師に伝えたかった。大泉はただただ受け止めるしかできなかった。
「発生日の午後には調査団が現地に向かって出発しておりますから、恐らく数日の内には被害状況等の詳細な情報は随時、中央に入ってくるとは思います。正直、廣島市中どこを見渡しても焼野原でしょう。それでも敵國は手を緩めることは一切ない。帝都だって今以上に警戒を強めなくてはなりません」
「全くそうでありますがネ。畑岡さん、先ほどの件は想像ができない。米英はとんでもないことをやりかねないと開戦以来、どこかで常々思っていたもののまさか……。筆舌に尽くし難いものです」
大泉は険しい表情であった。
寧ろ、先程まで曇った表情を浮かべていた畑岡は、今となっては普段の清々しさを取り戻したかのように大泉の眼には見えた。畑岡も私塾を訪れるまで喉奥に爆弾を抱えてきた。それを今初めて、省部外の人間に、それも信ずる師に対し爆弾を吐くことができた。やや気が楽にでもなったのであろうと大泉は推察した。
人は不安事を抱え込むとしんどい思いに苛まれるが、人に話せば話す程に不思議と気が楽になってくるのだ。
「また何かございましたら、先生に連絡を致します。では、さようなら」
「すまないネ。一切油断が許されない畑岡さんは特に。ただ安全を願っています。さようなら」
畑岡少佐は青魂塾を跡にした。
畑岡健二が大泉史学の門を叩いて丁度、十年を経った。東京帝大の大泉教授の厳しい指導を享け、大楠公や明治維新の志士の思想と行動を学び得、自己研鑽に努めた。
――どうしたらよいのか、偉大な先人は現況をどう乗り越え、克服するのか。
陸軍省へと戻る道中、畑岡は焦燥感を抱くものの心残りがして、ふと後ろを振り返る。もう何分歩いたのだろうか。視界では捉えきれない程の距離……その先にある私塾を今一度、捉えるかのように暫し見つめ続けた。今、眼に映っているのは焦げ臭さを伴った黒と灰色の世界。あゝもう一度疎開するように云うべきだったのか。
過去に畑岡は空襲激化するなか、師の身を案じて大泉に対し疎開を提案したことがあったのだ。
「大泉先生。一旦は東京からお退きなられたほうがよろしいかと思います。昨今、空襲も激化しておりますから。どうでしょう? そろそろ、疎開の手をお考えなられたら」
「私の事なぞよろしいのです。畑岡さん、貴殿の心遣い大変嬉しいです。しかし、疎開は致しません。いいのですよ」
「いえ、ご家族は疎開されておられるのならば猶更です。どうですか」
「いや、畑岡さん。私は疎開しません。どうかお分かりいただきたい」
「分りました……。先生、いつでもご相談に乗りますから。軍用トラックぐらい手配できます。疎開のお手伝い致しますから」
過去の会話を畑岡は脳内の片隅から引っ張り出した。しかし、あれだけ疎開を拒むのはなぜだろうか。疑問が生じる。
如何なる困難であっても皇族が先頭に立ち、國民にあるべき姿をみせなければならないという大泉史学の天皇観によるものであって、若しも敵軍が東京に上陸しようとも天皇は退かないであろうという考えの下、大泉教授は共に殉ずる覚悟であることなのか。
(そうか、先生は皇國と運命を共にする気なのか。ならば、弟子である井野さんは天皇の後退を前提とした松代倉庫大本営移転計画を主導したということは師の考えに反するではあるまいか)
これ以上、考えるのは止めようと「ふう」と息を吐き、戦斗帽を被り直した畑岡中佐は虚しさを募らせながら再び前進した。
「畑岡。どこに行っていた?」
陸軍省に着いた畑岡少佐は廊下で井野正孝中佐と出くわした。
「大泉先生の塾です。そういえば井野さんは先生とは近頃、お会いしてませんよね」
「まアそうだな。軍務も忙しいし、俺が前に体調を崩して療養して以来お会いしていない。数年もだな。だからと云って、別に先生のことを好きだ嫌いだと云う積もりはない」
もう何年も会っていないというのだ。二・二六事件の際に一緒に死んでくれないかと懇願され、決死の計画に参加を覚悟した男には嘗てのような師に対する熱っぽさが衰え、冷淡さが垣間見えた。
「そうですか。いや別に何でもないです。仕事に戻ります」
「そうかい」
自分の机に着席すると畑岡は頬杖、考え事に耽った。
(恐らく、井野さんは大泉先生に松代倉庫計画を吐露していないことには間違いない。いくら師であろうとも所詮は民間人である一介の帝大博士に機密中の機密をバラす間抜けな軍人なぞいない。そう結論付けるしかないやろうナ……)
師弟関係に拭い難い亀裂が入っていることにただ一人、畑岡少佐は気づいてしまった。それは畑岡一人のただの思い込みなのだろうか、又はそれが違う問題で表面化するのか果たして……。
そうして彼らが寝静まった頃、帝國日本は残酷にも“激動の数日”のスタートを突きつけられるのであった。同日の午後十一時、ソ連邦のヴャチェスラフ・モロトフ外務大臣は佐藤尚武駐ソ大使に対し、宣戦布告した。ここに日本が嘘でも信ずる他なかった「日ソ中立条約」は効力を失ったのである。