第12話 / 目白城
昭和二十年七月二十九日。清田行之助は前日の約束通りに軍服姿の男二人、憲法学者の佐渡健昭を連れ、徳川邸を訪れた。
「詳しきことは中で伺うから、上がって呉れ給え」
初めて徳川侯爵邸へ足を運んだ稲田正夫中佐(陸士四十二期)と飯野裕幸少佐(陸士四十六期)は目を輝かせていた。洋装を纏い、そして華美な内装を誇る「城」に娑婆とは違った雰囲気を感じ取っていたのである。別の時間軸の世界がそこには確かにあった。数百メートル先に歩を進めると、灰燼に帰した風景が目の前に拡がる世界とは全く異質である。
「この状況であるので、茶くらいしか出せず申し訳ない。此度、御集り頂き、感謝を述べたい。貴公から様々な意見を賜りたいのです」
目白には尾張侯爵邸の他に、加賀百万石の当主で、南方上空に散った陸軍大将前田利為侯爵(陸士十七期)の邸宅も構えられていた。
「私は陸軍少佐の飯野と云います。前田閣下のお住まいの館が近辺にあると存じておりますが、いや、しかし、このご時世なかなか言い出せるものではないが、とても「立派」でありますね」
まるで尾張家と加賀前田家の城下町のようだと飯野少佐は想像し畏まってしまった。
「あ、一つ宜しいでしょうか。彼が軍事課編成班員の飯野少佐でありまして、同じく軍事課予算班長の稲田中佐と共に市ヶ谷台から駆けつけて呉れました。彼らは帝大の平柳澄教授の塾生でありまして軍務局軍事課所属です」
慌てて清田が列席者を紹介すると、将校二人が一度は着いた席を立ち、自ら名乗らなかったことの非礼を詫びた。
「よいのです、堅苦しいですヨ。ヘエ、平柳博士ですか。私の兄の慶民と甥が平柳先生の世話になっているネ」
徳川義親の兄である宮内省・松平慶民子爵は、平柳澄博士の支持者であった。しかも海軍機関学校を受験する長子を平柳博士の下に下宿させる程に信頼を置いていたのだ。
稲田中佐は「我々は平柳先生から松平子爵のお話を伺っております。そういった御縁もあるようですね」と云う。
「貴公のような佐官級には、どれほどに平柳先生のお弟子さんがいるのかネ? 特に大本営では」
「ざっと思いつくには十人位であります。なんとも奇縁なものです」
稲田中佐は視線を天井に逸らせ、指で数える素振りを見せ、応じた。徳川侯は無言で頷いた。
阿藤惟幾陸軍大臣が平柳博士の信奉者で、自らの子供も青魂塾へ入門させるなど実に「ゾッコン」であるという話を徳川侯爵は耳に挟んでいた。
(十人程度の同士が軍部中央で同僚となるには奇縁すぎるナ)
余計に徳川侯には奇縁に思えた。
「清田君、佐渡先生、そして飯野少佐、稲田中佐。皆に素直に聞いていただきたい。日本は敗けることを本気で考えるべき時が遂にきたのだと感ずる。先日のポツダム宣言なる敵國の通告が発せられたが、新聞は強気、軍部も強気。それは大いに結構であるが、問題は内閣であり、内閣が何ら此度の宣言に返答をしていない。聖戦完遂の意を表さずして、或いは敵國側に文句の一つないという事実。つまりは現行内閣の行く先は不透明である。敵國の云うことを呑んで、我々が気づかぬ間に和平を画策しているかもしれない。不信感を募らせるばかりではないか」
「確かに内閣はポツダム宣言に異を唱えることも何ら意思表示をしていない訳であります。しかし、よくよく考えますとソ連が本件に絡んでいない。内閣としてはソ連の仲介講和の可能性は捨てきれないということがあるのでしょう。或いは、そこまで重要視していない、ただの脅迫と片付けているというのが内閣の考え方なのでしょう」
飯野中佐は日ソ中立条約を楯にし、政府をやや擁護した言い分だ。
「そんなギリギリまで政治判断を待てというのには無理がないでしょうかネ。日本の出方を待っているのでしょう。米英支蘇は共謀という関係性だ。沖縄が陥落したのは聴いておる。時間が無い。内閣には戦争完遂の意思表明を促したい。大体、支那大陸に於ける戦線拡大が尾を引いている。日本が進むべき道に間違いあり。北守南進すべきだったのであると私は思う」
喋ることを止めない末に、南進論を披露した。
徳川侯は亜細亜主義の大川博士と交流するうちに、撃攘すべき相手は亜細亜ならず、米英であるという確固たる考えがあった。第二十五軍軍政顧問としてシンガポールに赴任した経験がある侯爵は南方への並々ならぬ思いを抱いていた。
「学者の身でありますが、質問させていただきたい。市ヶ谷台の姿勢はどうなのでしょう」
「佐渡さん。変わらず戦争完遂であります」
力強く稲田中佐は応えた。稲田の言葉に安堵したのか、徳川侯爵はニンマリとした表情を浮かべた。
会同後の帰路についた飯野少佐は檄する侯爵の姿を見て「稲田さん。あの尾張家の御当主には驚きました。自分が想像する殿さまの印象とは乖離しているというか……圧倒されました」と吐露した。
確かに侯爵が文化事業にも、政治活動にも精力的姿勢であることは飯野少佐もある程度は知ってはいたが、國政批判に打って出るとは思わなかったからだ。
「「殿」だからナ。時代が違えば、一國の御当主になっていたかもしれんお方。侮らない方が善いぞ。あの方はアクが強い。お前は所謂、お高く留まりがちな印象を抱いていたのだろうけれど、違う気がする。なにせ清田氏と一緒に三月事件に関与したらしいぞ。中々に野心を秘めているのだろう。「皇室の藩屏」たる華族にはああいう御方もいらっしゃるのだな。興味深かった」
「革新華族には違いありません。開明的というか、過激さが垣間見えます」
稲田中佐と飯野少佐は陸軍省に戻ると、廊下で井野正孝中佐とすれ違った。
「オイ、井野。面白い人がいる」
稲田は井野の歩を止めさせた。
「なんですか?」
「尾張のお殿様だ。貴様もいつか会えるといいな」
目を点にした井野中佐には訳が分からなかった。
しかし、八月一日に井野は都内料亭に於いて清田を介し、徳川侯と面会するに至った。「終戦」が近づくのを日に日に感じる徳川侯爵は、陸軍将校との接触を模索していた。それは天皇を奉じた「革命」の実行の為だったのだ……。




