第10話 / 一撃講和論
井野戦術理論の一つに東京防衛軍の任務は帝都固守の任務に於いて玉砕あるのみとする。以後の本土決戦の運びはどうなのだろうか、と多賀はすぐさま開口した。
「井野さん。一つよろしいでしょうか? 本土決戦の研究は参謀本部、大本営でなされているだろうと思いますが、戦局回天の秘策とやらはあるのでしょうか?」
「多賀少佐。俺が昔に読み込んだ『戦争論』で謂う、「絶対戦争」なのだ。此度、繰り広げられるであろう本土決戦では上陸軍の完全敗北を目的とする戦闘形態となるのだ。だから東日本に上陸したならば全軍を東日本につぎ込み、敵の勢いを完全に破摧する。西日本に上陸したならば全兵力を注ぐ。外征能力を失する今、如何に我が國を守り抜いて勝つか」
一聴すると世界に名高い参謀将校の名著を引き出すことにより説得力が増したように感ぜられるが、抽象的な、どこか精神論にも感ぜられるような井野戦術論であった。
「外征能力」を喪失した帝國の現状は誰しもが認めざるを得ない事実であるが、一発で戦局を覆してしまうような兵器の存在、又は、陸海軍統合強襲作戦のような物質的な、具体的な答えを求めていた多賀少佐の期待とは程遠い戦術論が返ってきたのである。
(如何に立派な作戦理論があっても、物量、兵数、火力に勝る兵団を相手には勝てるだろうか)
大本営に於ける戦略戦術作戦立案の専門家ですらも明解とは云い難い、説明に苦心しているのだから、むしろ多賀少佐は不安を憶えたのだ。
「近衛師団は松代倉庫移転計画に際しまして、改造装甲車を用意し、御皇室の方々に畏れ多くもご乗車いただきます。ただ移動の懸念は十分にあります。敵空挺兵の降下や空襲の恐れがあります。絶対の安全は無い。移動速度も大分、限られます。移動中は航空部隊の掩護出撃は必至であります。襲撃を受けた場合を憂慮しますと航行の自由を奪われている航空機より陸路移動が最良」
〇護車と呼ばれるシャンデリアが施された特殊改造装甲車輛を近衛師団は用意していた。
「では松代倉庫にご移動なさられた以後の戦略ですが、長期戦か短期戦のどちらを前提にするかで変わってきます。本土で勝敗を決するというのでしたら短期決戦に方針を立てる他ありません。長期戦となると残存物資、兵力を考えますと中々に厳しい。一年は持ちこたえたとしても戦略上、通商上にしても海上航路に自由が利かなければ皇土全体が飢餓状態になってしまう。海軍は壊滅状態です。私個人、兼ねてから考えているように「陸主海従」の如く、陸軍の指揮下に置くしかありません。本土決戦の主義は皇國日本を如何に護り抜くかであります。即ち敵上陸軍の撃退を「勝利」と定義づけ、勝利の暁には政治家が敵國との一時休戦の条約を結んで頂くと私は考えております」
多賀少佐に続くように畑岡少佐は私見を展開した。護り抜くことを「勝利」と定義づけを始めてしまう様に、苦心ぶりが十分に伺えられた。
畑岡少佐は以前に平柳一門の海軍所属島野東助技術少佐らと共に陸海軍統合計画を練っていた。そして、前年の昭和十九年に組閣された当時の小磯内閣陸相の杉山元元帥(陸士十二期)に対し、陸海軍改革を期待した経緯があったのだ。
やがて一向に陸海軍再編に興味を示さなさい政治に対し、苛立ちを憶えた畑岡少佐は椎木中佐と共に改革断行を促す血書を認め、軍務局長永井八津次少将(陸士三十三期)に叱責されていた事実があった。
「畑岡の話は、要は一撃講和論だよ。今月に明示された戦争指導大綱は本土決戦を完全想定した計画だ。しかも國民義勇軍の編成についても及んでいる内容。飽くまで聖戦完遂の路線は堅持。大綱には本土決戦以後については明らかにされていないが、有力なる一撃を敵米軍に与え、米國には話し合いの席についてもらう。後は政治家に有条件の講和を締結してもらう。戦争から講和の流れは一通りだ。これしかない。「一撃」に一度も二度もなく、上陸地点に全軍を投入して撃摧する」
六月八日に改めて「飽く迄戦争を完遂し、以て國體を護持し皇土を保衛し、民族将来発展の根基を確保す」の一文が附された戦争指導大綱が示されたのである。
今から殴り込みに来る相手を殴り返し、終いには手を握りたい。何とも虫のいい話であることを理解している椎木中佐は険しい表情を浮かべながら述べたのである。
つまり、帝國軍は鬼神の如く壮烈なる攻撃敢行により、アメリカに悍ましい程の恐怖感を与え、講和を結んで呉れるであろうという、何とも希望的観測のような決戦以後の運びである。
何もアメリカだけに限定するのではなく、講和の席を願うべき國があるだろうと多賀少佐は思い、質問を繰り出した。
「第三國を介した講和の話に変化はありませんか?」
「多賀君。ソ連については猶も模索中との話だ。中央政府の外交方針は対ソ注視。そこは揺るがないが、この期に及んで動きがないことを考えると、頼みにできないナ。ウチのロシヤ課の話によると、ソ連参戦した場合、抗戦能力が脆い満蒙の崩壊は免れないとの見立てだ」
ソ連の線は何ら諦めるべきとの見解を井野中佐は残酷にも示した。
「鈴木貫太郎閣下は寛大で、本土決戦内閣の宰相としては適任でしょう。海軍っちゅうのは冷めた目で我々を捉えているであろうと思いがちなのですが、この御仁はチト違う。巡洋艦「宗谷」の舵取りから今度は帝國の舵取りを任されたという陛下の御信任の篤き御方です。と云う我々の大本営のなかでも、鈴木閣下の政治姿勢に疑義を抱く者もいるのですが、海軍と云うのは頭のキレるのもいて、割と話が利ける人はいるのです」
ついぞ二月前の四月七日に組閣の大命を拝した鈴木貫太郎宰相(海兵十四期)は評価に値する者であると椎木中佐は云う。
畑岡少佐と椎木中佐は海軍省にも本土決戦の必要性を訴え、海軍省軍務局の中浜定義中佐(海兵五十四期)との対話を数度に亘り、計っていた。
中浜中佐は陸軍中枢に勤務している者との接触により、陸軍側の今後の継戦意思や戦略構想を知り得る有意義な機会であるとして対面に応じていた。
「陸軍は蹶起の意思はあります。飽く迄本土決戦は辞さない覚悟であります」
と強気に豪語する畑岡らを目にした中浜は一旦は意見として受け止めた。
しかし、どうにもこうに碌な戦力は残っていない上に、本土を焼け野原にしてまで戦う意義はあるのかどうか畑岡、椎木中佐に質すと「海軍だけの話でしょう? 我が陸軍は、大陸には残存兵力は十二分にあり、神國日本は米英たりとも屈することは不可能ですッ」のように精神論をぶつけられてしまったのだ。
それでも敗戦は免れない旨を中浜中佐が告げても猶、畑岡少佐は涙を目に浮かべながら、本土決戦への協力を求めていたと云う―――。
陸海軍は、マクロ的に視て、組織として歩み寄ることできず、またミクロ的に視ても所属部員も亦、歩み寄ることはできなかったのは日本の悲劇の一つであろうか。陸海軍決裂ス―――。
海相の米内光政大将(海兵二十九期)や井上成美大将(海兵三十七期)といった海軍上層部が戦争邁進する陸軍に非協力的であること含めて椎木中佐は猶も続けた。
「私は畑岡少佐と共に海軍軍務局に居る中浜中佐という方と以前から接触を図って参りましたが、海軍はよくいえば現実主義に忠実。反面、悲観主義でもある。私が思うに最早、海軍は当にしてはなりません。所謂、米内大臣や井上大将といった國より組織の固守に偏執している面々が上部に居座る限りは期待してはなりません。不貞腐れの部局割拠主義だと思うと、私は残念でならない」
普段から物静かな椎木中佐は可愛い後輩である畑岡少佐と共に海軍との協力体制構築に勤しんだが、結局は破綻した。儚さを滲ませ乍ら述べ終えると椎木中佐は俯いてしまった。
「もう海軍がどうの、陸軍がどうのだとかは関係ない局面だろう。貴様らの行動には感心、感心。ただ云わせてもらうと、海軍にしてみればいいカモだったのだな。中浜軍務局員はいい諜報仕事したんだ。そらあ海軍サマに陸軍の内情を自らベラベラと喋ってもらえるエエお客さんだったんだ。こうなったら腐るな! 這い蹲ってでも護國に徹するぞ。やるときは陸軍。そうだ、陸軍だけでも戦うんだ」
立ち上がった島岡中佐は大胆に笑いあげながら意気消沈する面々を奮い立たせた。




