帝大辞す
ミッドウェー海戦以来の敗退に次ぐ敗退。そして二発もの新型兵器を被った帝國政府は天子より二度の「聖断」を仰ぎ戦争終結を図った。
ラヂヲを介し、大東亜戦争の終戦が國民に報らされたのは昭和二十年(一九四五年)八月十五日の正午のことであった。
東京帝國大学國史学科教授の大泉澄はラヂヲを耳にしてからは、自邸の庭で暫く真夏の青空を仰いだ。暑さ変わらず、蝉も変わらず合唱を止めない。
しかし、この日を境に國家の置かれている状況が一変するのは間違いなかった。不条理な時代の流れに抗おうともせず、大泉は青空を仰いでいたのだった。暗澹たる気持ちであるも、どこか落ち着いていることに大泉は気づいていた。悲憤慷慨する訳でもない。
嘗ては阿藤惟幾陸軍大臣(陸士十八期)に対し、松代大本営計画の中止や新型航空機によるアメリカ本土爆撃の必要性を訴えた程、大泉は帝國の行末に執念を燃やしていた。
それが時が経つに連れ、狂おしいほどの戦意が殺がれていった。アメリカ空軍爆撃機編隊による度重なる本土爆撃に遭い、数多の拠点陥落、そして日ソ中立条約を破り、突如として南下進撃したソヴィエト。苦難に苦難が重なり、反撃の手立てが無いことを大泉は知った。
大泉は痩せこけた頬を右手でつねり、漸く庭から書斎へと身を移した。いつまでもボヤボヤと空を仰ぐな、と自分に言い聞かせるかのようであった。
書斎で腰を下ろすと、大泉は墨を愛用の硯で擦る。奥方や子供は実家に疎開させており、東京の大泉邸には大泉澄ただ一人が暮らしを送っている。一人身の寂しさの空間に実に硯の音が染みわたっていた。
筆先を墨汁にて十分に湿らせると紙の右端に「退官願」と書き記した。大泉の心は決まっていた。大正十二年(一九二三年)以来、東京帝大で学生の師として、そして道を究めんとす学者として励んできた。
だが、学者生活は敗戦を受け、愈々終焉を迎えようとした。誰に促された訳ではなく、ある種の自決であった。
たったの三文字を書き記してからは大泉は筆を止めた。後は苗字名前を書き記しさえすれば終わるだろうに、腕を組み、考え事に耽ったのだった。
帝大学生時に革新系学生団体「新人会」との対峙を経験。帝大講師となってからの欧州留学で、君主制を否定する「革命」の危うさを認識。それからの政治家・軍人との交流の末に創設した私塾「青魂塾」に於ける学生や青年将校との修学。数多の二十数年間の思い出が大泉の脳内を駆け巡ったのだった。
いつしか大泉はヒヤリとした感覚に襲われた。「ハッ」と声を挙げ、眼を開く。時計の針は十五時を回ろうとしていた。腕組をしたまま、二時間ほど眠りについていたのだった。寝汗が冷や汗に変わり、汗で濡れた額を大泉は拭った。
「先生、御免ください」
邸外から大泉を呼ぶ声が発せられた。
大泉は書き途中の帝大辞表を机奥にしまい込み、玄関へと向かった。声の主は島野東助海軍技術少佐だった。東京帝大では大泉の下で勉学を積み、帝大卒業後は海軍技術将校の道を歩んでいた。
「島野さん、どうも」
島野は自転車を邸の横に停めた。
「先生、青魂塾にいらっしゃらなかったようですからご自宅にいらっしゃったのですね。御無事でなにより。玉音は拝された通りでありましょうが、残念です」
島野の表情には疲労と無念さが滲み出ていた。
「ええ。陛下のお決めになられたことでありましょうから島野さんもよく肝に銘じて頂きたい」
軽挙妄動を慎めと云わんばかりの口調であった。大泉の返しが軍の上官さながらの命令口調のように島野には聴き感ぜられた。まるで、大泉が或る直弟子二名の死を知るかのように……。島野はゆっくりと頷き、開口した。
「椎木中佐と畑岡少佐が自決せられたようであります。事の詳細は不明ですが、二名が近衛師団の一部隊を率いて、どうも蹶起したようなのです。先刻の玉音が流れたように陛下は御無事です。ですが、第一総軍が事件収拾にあたって、椎木中佐と畑岡少佐は自決で収めたようなのです。別に大臣の阿藤閣下も御生害せられた模様です」
弟子の死の報告を受けた大泉は歯を喰いしばる。落ち着こうと、落ち着こうと気持ちの沈静化を図ろうとした。
(蹶起してしまったのか……)
大泉の表情は一瞬の強張りをみせた。島野は、表情から大泉が件について何か知っているのではないだろうかと推察した。
「そうですか。椎木さんと畑岡さんが……。何とも残念です。阿藤さんもなのでしょうか。同学の士たる御三方を失くすとは惜しいです」
「なんとも激動の一日でありました。今までギリギリまで塞き止めていたものが突然に激流となって、我々を襲うかのようです。先生、畏れ多いですが、なにかご存知だったのでしょうか?」
島野は踏み込んで云う。大泉は深く唸り、右手で額を拭うと口を開いた。
「思えば一昨日でしょうか。畑岡さんにお会いしまして、ポツダムの受諾に関しては承詔必謹が肝要であるとお伝えしたのですがね。何だか整理がつかん。やはり行動を起こしたとは……」
と云って、大泉は溜息をついた刹那、大泉の両肩から重荷が下りたかのように項垂れた。落胆は無理もないと納得した島野は目の前で國史学の権威が崩れていくのをみた。
「先生、早まってはなりません。生きてください。必ず日本の新たな道が開きますから。私は大泉先生の門下生として胸を張って堂々と行きます」
「はい。島野さん、さようなら」
島野は一礼し、大泉邸を辞去した。
大泉は再び書斎に戻り、自らの進退について思案した。大泉一門に自決を図った者が出た以上、維新以来の帝國に幕が下りる以上、居てもたっても居られなかった。大泉は自分なりの「自決」として辞表に自らの名前と、総理大臣の名を書き記し終えた。
「東京帝國大学教授 大泉澄 内閣總理大臣男爵 鈴木貫太郎閣下」
筆を置くと大泉の頬には涙が伝っていた。