2.世の中は甘くない
そして、目覚めても勿論状況は変わりませんでした。
目が覚めたらすべて夢で、自分のアパートに…なんて甘いこと考えましたが、見たことのない天井のままでした。
そうですよね。世の中って甘くないんです。よくわかってます。
もともと私、毒親の元で育っていまして、それなりに暴力やネグレクトを受けていたんですよね。同い年の神社の娘のみっちゃんがいなければ、そしてその神社の宮司さん一家がご飯とか毎晩出してくれなければ、明らかに死んでましたね。
父はトラック運転手だったんですけど、しょっちゅう仕事はサボってパチンコに行ってまして。で、負けて帰って機嫌が悪いと殴るという人でした。母は、父が稼ぎを持ってこないからと、スナックで働くようになって帰ってこない日も多い、と。父がいない間に、男の人を連れてくることも多かったので、大方そういうことだったのでしょう。
おかげで私は殴られるしご飯にありつけないことも多いし、と散々だったんですけれど、ある時父の機嫌が大層悪くて、派手に顔面を殴られた挙句、家から追い出されて鍵を掛けられまして。行く当てもなくて困った時に思い出したのが、広い境内のある神社。緑も多いし、どこか空いているところで休ませてもらおうと思ったら、そこにいたのがみっちゃんでした。
尤も学区内だったんですけれど、クラスも違ったので私はみっちゃんのことを良く知らなかったのですが、私は悪い意味で有名だったようで、みっちゃんは私を見かけるとすぐさま駆け寄ってきてくれました。
「あずさちゃんだよね? 大丈夫? お父さん呼んでくるから待ってて!」
そう言ってみっちゃんは、お父さんである宮司さんを呼んでくると、私を病院に連れて行ってくれたんです。病院では虐待だとか、児童相談所とかいう単語が聞かれましたが、後になって家に相談員さんという方が来られましたが、顔面が腫れているだけで骨折しているわけでなかったこと、以前にこのような怪我はしていないといったことなどから、一時保護というものがされることなく、経過観察ということになりました。
何より親の視線による圧から、「お父さんお母さんと一緒に居たいです」と言わされた感があり、それが決め手になってしまったのかもしれませんが。親から離れることができた今にして思うと、何故そんな台詞を言ってしまったのか、と思いますけどね。あの頃は幼かったし、親の顔色を窺って生きてましたから仕方が無かったのでしょうけれど。
けれど、相談員さんが家に来たという事実が両親を怒らせ、私は酷く罵倒されました。私を殴って、家を追い出したのはそちらなんですけれどね。ただ、骨折などさせると後々問題だと思うようになったのでしょう。以降はある程度手加減した殴打で済むようになったので、それは助かりました。その分、ネグレクトはもっとひどくなり、衣食はほぼ放っておかれましたが。
私を病院に連れて行ったことで縁ができたみっちゃん家が、そうした我が家の惨状を知り、それなら毎晩うちで晩御飯を食べるようにと言って下さり、更には従姉のお古のお洋服などもくれるようになりました。
親はその様子を見て「お金が掛からなくなって楽になった」と平気で言ってしまえる人間だったので、情けなく恥ずかしくて泣きたい気持ちになりましたが、みっちゃん一家は気にしないでと笑ってご飯をよそってくれる心温かい家でした。
神様を祀る人というのは、神様みたいな人なんだなぁ、と幼い頃からみっちゃん一家には感謝しかありませんでした。だから私も、神社の庭掃除のお手伝いをしたり、神様にいつもお礼を言ったりしていました。
そして、みっちゃん一家に支えられていた私は、勉強もしっかり頑張って、高校もそれなりに進学校に入りました。勉強が、今の環境から逃げ出す一番の方法だって言われてましたからね。
高校の制服は、みっちゃんの従姉が使っていたものを譲ってもらえたし。ほんと助かりましたわ。
それに高校生になったら、みっちゃん一家が年末年始に巫女バイトとして雇ってくれて、バイト代もくれましたしね。親からお小遣いなんてもらったことなかったから、涙が出ましたよ。
今まで筆記用具一つ買うのも、父や母の機嫌を伺って、時に殴られながらお金をもらっていたのに。自分の好きに使えるお金、というだけで胸がわくわくしちゃいました。
いやぁ、ホントみっちゃん一家には足を向けて寝られません。
うちの親のことなんてもう知らないけど。高校から推薦された首都圏の会社に受かって、親から誓約書のサインだけは何とかもらいはしたけれど、以降は親と没交渉です。
アパート契約の保証人すら、みっちゃんのお父さんがなってくれたし。うちの親は私がどこに住んでいるかも知らないはず。
でも、そういう生活をしていたせいでしょうかね。世の中にはみっちゃん一家みたいに神様みたいに親切な人もいるけれど、多くの人は、他人を格付けして自分より下と見た人間には容赦がないということはよくわかってました。そういう意味では、着る服にも事欠いていたり、持ち物がぼろぼろな私は底辺扱いされていましたからね。それでも、みっちゃんの従姉のお古をもらうことで、かなり私的には助かっていたのですが。
うん。だから世の中が甘くないのはよくわかっています。
こんなところにいきなり召喚されて、そして夢じゃなかったということは、きっとこれから良くないことが起こるのでしょう。だって、理不尽に召喚したことに少なくとも謝りの一言もなかったということは、そういう性根の人たちの集まりということなのですから。
そう考えると、私のためにわざわざ手間をかけて、相手の姿が見える手段を調べてくれるとは思えません。これからも私は相手の姿は見えないままなのでしょう。
つまり、私はまた底辺扱いされる可能性が高いということですね。聖女様、とは呼んでいたけれど、尊敬するつもりがあったようには思えませんし。第一、この世界を救ってほしいと言われても、本来私には一切関係のないことを、平気で強要しようとしていたわけですから。
とはいえ、話を聞かないことには何も始まりませんよね。
とりあえずいつ呼ばれてもいいように、起きて身だしなみチェックはしておきました。でも、スマホも鏡も見当たらないこの状況で、どう身だしなみができるというのでしょう。
できたことと言えば、髪の毛を撫でつけ、そのまま寝てしまった服の皺を伸ばすくらいしかですかね。というか、よく考えたら部屋に押し込んで、お風呂も着替えもないって酷い話ですよね?
確かに、私にはメイドさんとかの姿も見えないわけだから、向こうもどうすればいいか分からなかったのでしょうけれど。
そうして待っていると、昨日ここまで連れてきてくれた人だと思われる声が聞こえまして、今度は別な部屋へと連れて行かれそうになりました。再び手を引かれて。
本当に、姿が一切見えないのに手を引かれるのって怖いですってば。
でも、感触があるっているってことは、隣に存在はしているということで。つまり私が一人で歩いた場合、向こうから人が歩いて来ても、私は全く知らずにぶつかろうとする『当たり屋』みたいなものですからね。そう考えると、確かに手を引いてもらって、危険回避に努めてもらわないといけないのは分かります。
ただ、幼児扱いされているようで、なんとも情けないです。
それから…、手を引いてくださっているのが男性の方なので、大変言い辛いのですが。
私、おトイレに行きたいです。お風呂とまでは言いませんが、せめておトイレに自由に行く権利をください。場所も知りたいです。できれば誰もいなそうなところを教えていただけると安心です。
人間の生理的欲求くらい叶えてくれてもいいじゃないですか。
何故舌打ちが入ったのか、非常に気になります。勝手に呼んでその態度、本当に納得がいかないことばかり。
それでもとりあえず、おトイレの前まで連れて行っていただけたので助かりました。あまり人のいないところらしいので、どなたかが先に入っているということはないですよね? ね?
心配なので、「誰もいませんよね?」と聞きながら入りましたけど。
こんな調子で私、これから先大丈夫なのでしょうか。いずれ痴女とかって言われませんよね? 人がいることに気が付かずに脱いだりして、人前で平気で脱いでいる女なんて言われたら、ショックで消えてしまいたいです。いや、ほんとこのまま消えてしまって地球に戻りたい。
さて、すごく小さい頃に見たぼっとん系のおトイレにおっかなびっくりでしたが、何とか無事におトイレから戻りました。少なくとも話に聞いていた中世ヨーロッパの外に捨てる系のおトイレじゃないだけ、OKですよね。
私は、外で待っていただろう方に(な、中まで入って来てませんよね?)、出た途端また手を引かれ、どこかの部屋に連れて行かれました。それなりに広い部屋の中には、会議用と思われる大きな机と20脚近くの椅子がありましたが、もうすでに皆さま座っていらっしゃるようですね。がちゃがちゃと剣の鞘とかが鎧とぶつかる音でしょうか、軍人さんもいらっしゃるということでしょうかね。小声で話しているような囁き声も聞こえます。これで姿が見えないっていうのだから、本当に溜息しか出ないです…。
入口から反対側、いわゆる上座に当たるのかしら? っていう感じのところに導かれて、その椅子を引かれます。自動で動く椅子、にしか見えません。
とりあえず大人しく席に着きましたが、これからどうなるんでしょう。
とりあえず、偉そうな方のお声で会議らしきものが始まりました。一方的な通達込みで。
曰く、私は盲目の聖女としてお披露目をするということ。勝手に歩かれて他人にぶつかられると困るので、常に目隠しをしておいてほしいとのこと。
そして、私を連れて、魔獣がうじゃうじゃいる危険地帯へと向かうので、そのための守りをどうするかということが、これからの議題だと告げられました。
…えーっと、私一言も発していないのですが。何で私の了承も得ずに、話を進めているんでしょうか。
挙句の果てに、どういうことだ、とか話が違う、とか何も見えないんじゃ邪魔だろう、などと呟く声すら聞こえてきます。
勝手に呼んでおいて、その魔法陣に欠陥があったのもそっちのせい、なのになぜ私が文句を付けられるのでしょう。そして危険なところに連れて行くことに何の躊躇もないその精神、何この誘拐犯ズ。
大人しい私だって、言う時は言うんですよ? 言うんですよ、言えるはずですよ…。
「あの、どこへ行くというのでしょう?」
「あぁ、地の果てと呼ばれる場所から、魔獣が生まれてきているのです。最近、地の果てが広がってきたために、魔獣がかなり増えておりまして。神殿に祈りをささげたところ、聖なる力が薄れているとのご神託があったので、それならば聖なる者を呼び出してしまえ、と魔法陣を作成した次第です」
あの、どなたか存じませんが、さらっと言わないで頂けます?
その聖なる力って、自分たちで何とかできたりしないものなの? 何故そこで異世界から他人を呼び出してしまえ、という発想になるのか全く分かりません。
「聖なる力、というのを私が持っているとは思えません。何より、聖なる力が薄れたならば、その対処方法がもっと別にあったのではないですか?」
「無理なのです。聖なる力は、善なる心。それが薄れたら、もうどうしようもない」
いーやー。善なる心が薄れてるから、直ぐに人攫いの発想になっちゃうのよ! 性善説どこ行った?
「あのですね、教育等で幼い頃から善なる心を育てようとするとか、色々あるんじゃないでしょうか」
言いながら、もしかしてこの世界、衣食足りてないのかな…という気がしてきました。衣食足りて礼節を知る、って言葉がありますものね。まずは安心して暮らせる世界でないと、礼節というかそう言った善なる心が生まれないのかしら。
あぁ、芥川龍之介の『羅生門』のお話を思い出しました。うん。荒んだ世界では追いはぎ上等になっちゃうよね~。
でも、ですね。そんな理由で召喚された私は、別に特段善人なわけではありませんよ? 善人というのはみっちゃん一家みたいなことを言うのです。私はそれに救われた側です。救う側ではありませんよ。
とはいえみっちゃん一家が召喚されたら地球の損失ですから、召喚されなくてよかったとも言えますが。私なら地球に対して損失にはならないでしょうし、うん。あ、自分で言っていて悲しくなってきました。
でも、本当に何故に私? その召喚の魔法陣、やっぱり間違ってませんかね。
確かに小心者ですから、人様に文句とか中々言えませんから言うこと聞かせるには最適かもしれませんが。大きな声で怒鳴られると、委縮して動けなくなりますし。
あれ、もしかして弱そうなやつって縛りを魔法陣に組み込んだりしていました?
そんな縛りがあったならば、確かに私が合致するかもしれませんが、でもそれだけですよ?
善なる心と言われましてもね。いや、正しくあろうとは常に気を付けていますよ。親を反面教師にしておりますから、みっちゃん一家のように、他者に優しくできるよう自分を律してはおりますが。
私を馬鹿にする人間のようには決してならないこと、と言い聞かせております。
いつか自分もみっちゃんのように救う側になれたらと思ってますしね。だから、言霊もとっても気にして、悪いことは言わないよう常に頑張っております。だから皆さんのこと、悪態も付かずに何とか抑えているじゃないですか!
しかし、こんな普通の人間一人に、何をさせようと思ってるんでしょうか。私に何か特別な力があるとは思えないですし。
そういえば、彼らも私に特別な力とか、求めてなさそうですよね。昨日よりさらに扱いがぞんざいになってる気がしてますし。
なのに地の果てっていう危険な場所に連れて行く?
…あ、もしかして人柱?
地の果てに、私を生贄として差し出しちゃったりする予定?
うん。人でなしたちの集まりですものね。何されてもおかしくないってことですね。
だって堂々と善なる心が薄れてます、って宣言しちゃうような人たちですもの。常識で通用しないことを、平気でしそうでとても怖い。
そして、私の言葉は当たり前のようにスルーされて、会議は続けられております。
つまりは、自分たちで善なる心を育てようという気は全くないと。へー、そうですか。
「あの、私は自分の世界へと戻してもらえるのでしょうか?」
とりあえず聞いてみます。無理っぽい気がとてもしていますが。
「…勿論、すべてが終われば帰すつもりでいるよ」
一拍、どころか二、三拍間を取って、返事が返ってきました。どこの誰の言葉かはわかりませんが。
そういえば自己紹介すらされていませんね、私って。姿が見えなくても、せめてそれくらいの礼儀は必要じゃないんですかね。本当に軽んじられていると泣きたくなります。
ちなみに先ほどの空いた間って、お互い顔を見合わせて、どうする? どう答える? って考えた時間ですよね。つまりは、帰す気なんて全くないよ、ってことですよね。
だって副音声に、すべてが終わった時生きていればね、と聞こえるくらいゾッとした雰囲気を感じましたよ。明らかに生かしておく気ありませんって言ってますよね。
もう、詰んでますよね。私一人、ここから逃げることもできないし。何より向こうはこっちが見えるのに、こっちは敵の姿が見えないって致命的ですよね。どうやっても逃げられる気がしない。
私、このまま地の果てとかいうところまで連れて行かれて、挙句の果てに殺されるの?
あまりに短い一生。親に会いたいとは決して思わないけれど、せめて最後にみっちゃん一家に今までのお礼くらいはちゃんと言いたいです。