第七節 特務部隊
アレハンドラとミーアを乗せた馬車は、宵闇に包まれた帝都の街を走り抜ける
彼等が向かっている場所は、帝国軍の特務部隊の本部だ
アレハンドラはそこで、何某かの指令を受ける事になるだろう
しかしミーアは、未だに何の為に召喚されたのか分かっていなかった
彼女を迎える者は、帝都の駅には居なかったのだ
アレハンドラ達を乗せた馬車は、そのまま街中を駆け抜けた
そうして暫く進むと、馬車は郊外にある兵舎の並びに差し掛かる
そのまま進むと、大きな建物の前で馬車は停まった
兵士達が降りて、アレハンドラ達に降りる様に促す
「どうぞ
ここが特務部隊の本部です」
「アレハンドラ殿は、ここで辞令を受け取る事になります」
「それで…
ミリアーナの事はどうすれば良い?」
「そうですね…」
「一度中に入ってください
詳しい事を確認して参ります」
「ああ
頼んだよ」
アレハンドラは、ミーアの手を取って馬車を降りる。
そこは三階建ての建物で、表には表札などは無かった。
特務部隊の本部なので、表からは分からない様になっているのだろう。
アレハンドラはドアを開けると、ミーアの手を引きながら中に入る。
しかしここには子供は珍しいらしく、周りの者はミーアをじろじろと見ていた。
「アレン…」
「大丈夫だ
私が側に着いている」
「あのお…」
「一応軍の部隊なんで、変な者は居りませんよ」
「お嬢ちゃんが珍しいだけですよ」
「そうか?」
「ええ」
アレハンドラはミーアの手を引きながら、正面にあるカウンターに向かった。
そこは総合の受付になっていて、女性の士官が二人が来るのを待っていた。
同行してくれた兵士も、気になってか近くに立って見守っている。
「あら?
可愛い訪問者ね」
「すまないが、彼女への指令を確認したいんだが…」
「え?
こんなお嬢ちゃんに?」
「ああ
勅令が下りているんだ
ミリアーナ」
「はい」
ミーアは懐を探って、畳まれた紙を女性に手渡す。
女性は真剣な表情で、その勅令状を睨んでいた。
「こんな子供に?
しかも何も書かれていないわ」
「そうなんだ
私の方も何も書かれていなくてね」
「それは任務の特殊性がある場合に…
って破れているじゃない」
「すまない
途中で色々とあってな」
「だからって、勅令状を…」
「良いんだ
私が確認している」
「ラスターがそう言うなら…」
女性は不満そうな顔をしながらも、破れた勅令状に判を押して片付ける。
それからアレハンドラに、指令の書かれた用紙を手渡す。
「取り敢えずは隣の建物の、3階の空き部屋を使って」
「すぐに移動では無いんだな」
「ええ
詳しくはそこに書かれているけど…
明日に担当の者が来るから、それまで休んでいてちょうだい」
「面会の時間は?」
「追って連絡が入る予定よ
一応午前から、こっちには顔を出しておいて」
「分かった
それで…」
「そうね
問題はお嬢ちゃんの事ね」
これには女性の士官も、困ったと肩を竦める。
「担当の武官から報せが来ていないのよ
それで誰が担当か、何の任務かも分からないわ」
「随分といい加減なんだな」
「そうね
普通は勅令状を発行するぐらいだから、何かしらの指示が来ている筈なのよ
それなのに…全く」
「こういう事は珍しいのか?」
「そうね
少なくともここでは…
私達特務部隊ではあり得ないわ」
「私も聞いた事が無い」
「余程の特殊な事情なのかしらね
こんな事は初めてよ」
「ううむ…
どうするか」
「空き部屋はあるんだろ?」
「ええ
同じ三階に、先月抜けた分の部屋がある筈よ」
「抜けったって…」
「そこは詮索しないで」
「分かった
ミーア」
「なあに?」
アレハンドラはミーアの前で屈んで、その顔を見る。
彼女の顔は帝国人らしい堀の深い顔で、幼いながら将来は美人になりそうな顔立ちだった。
彼女はまだ幼く、金の髪も肩までの長さだった。
その淡い蒼い瞳が、じっとアレハンドラを見詰める。
「この隣の建物が、どうやら兵士達の宿舎らしい」
「しゅくしゃ?」
「ああ
そうだな…
兵士達の眠る為のお部屋だ」
「しんだいしゃ?」
「ははは
そうだな」
「そこで寝ても良いの?」
「ミーアがそれで良ければ…
だがな」
「うーん…」
「ごめんなさいね
この近くには宿も無いし、出来れば近くに居て欲しいのよね
誰か尋ねて来ても困らない様にね」
「そうだな」
「宿屋?」
「ああ
そうだな、兵舎も宿屋みたいなものだな」
「お金…
持ってない」
「ああ
それは大丈夫だよ」
ミーアが困った表情をしていたので、アレハンドラは慌てて言葉を探す。
「ほら、あれだよ
寝台車も無料だっただろ?」
「ううん…」
「ははは
寝台車は切符代に含まれているからな」
「そうなんですか?」
「ああ
だから魔導列車の切符はべらぼうに高い」
「ふええ!」
「おいおい
驚かさないでやってくれ
彼女はこれまで、慎ましく暮らしていたみたいなんだ」
「そうなのか
なかなか上等な服を着ているから、てっきり…」
「え?」
「上等?
これでか?」
「ああ
今では市民でも、子供は古着の作り直しばかりだ
それもこれも…」
「ちょっと
ラスター」
「おっと
これは失言だったな」
アレハンドラは、改めてミーアの服を見る。
確かに彼女の服は、それなりに丈夫そうなしっかりとした衣服だ。
とても古着とは見えなく、あの服屋の女性には感謝したいぐらいだ。
しかしこの程度が上等に見えるとは、今や帝都の暮らしも楽では無さそうだ。
「え?
あの…」
「ん?」
「この服はアレンが買ってくれて…」
「え?」
「ヒュウ♪
こんなお嬢ちゃんに服を買ってやったのか?
手が早いって言うか…」
「違うって
参ったな…」
「違うの!
わたし、わたし…」
「っと!」
「何か事情がありそうね…」
ミーアが泣きそうな表情を見せたので、兵士達は困った顔をしていた。
ここは特殊な任務を請け負う兵士達ばかりで、基本的には真面目な兵士達ばかりだ。
だからこんな幼い少女の泣き顔を見ると、黙っていられなかった。
「一体何があった?」
「私達で力になれるなら…」
「待ってくれ
先ずは彼女を休ませて欲しい
話なら私がするよ」
「アレン…」
「良いんだ
ミーアは少し休んでて」
「う…ん…」
「ほら
こっちだ」
兵士の一人が、屈んでからミーアの前に手を差し出す。
彼は子供でも居るのだろう。
慣れた感じでミーアの手を引いて行った。
それから少し離れたテーブル席に座らせて、何か用意出来ないか話し始めた。
どうやら大人の兵士しか居ないので、子供向けの物は用意が無いらしい。
「ジュースでもあればな…」
「クリームか牛乳でも無いか?」
「それなら牛乳が」
「おい
それは酒だ
子供に飲ませる物じゃ無い」
何人かの兵士が集まり、ミーアの面倒を見始めた。
それでアレハンドラは安心して、彼等に事情を説明し始める。
先ずは彼女から聞いた、これまでの生活を説明した。
最初は私見を挟まず、彼女から聞いたままを説明する。
「…それで列車まで彼女を連れて来て…」
「何だそれは!」
「帝国の兵士が…
その様な事を?」
「ええ
まあ…」
「それであんたが服を?」
「ええ
とても衣服とも言えない様な…」
「そうだったな
襤褸切れだったか…」
「そんな物を着せたままだなんて…」
「まあまあ
辺境の地では、女性や子供には厳しいんですよ
それに一部の兵士は…」
「ああ
軍に入れる者は優秀って考え?」
「はあ…
まだ根強く残っているのか?」
「ええ
帝都では違うんですか?」
「そう、それ!
そんなに畏まらなくって良いわ」
「そうだぜ
オレ達は一般兵なんだ
帝都の兵士とはいえ、そこまで偉い訳でもねえんだ」
「そうそう」
「あー…
そうか?」
ラスターと呼ばれた兵士も、話し易い様に砕けた言葉を使う。
それでアレハンドラも、彼等に合わせて口調を変える事にする。
「それで?
どうやって子供とはいえ、あんな服を用意出来たんだ?」
「こら
ラスター」
「ははは
それはな
駅員に古着屋を呼んでもらったんだ」
「なるほど…」
「それにしては上等な服ね」
「そうかな?
3着で金貨1枚だったけど?」
「金貨1枚?」
「それは安いわね
あれだけでも金貨1枚はしそうよ」
「そこは古着だし…
それに今は、子供服は売れないって」
「どうして?」
「このところの不景気があるだろ?」
「ああ…」
「地方でもそんな影響が…」
アレハンドラの不景気という言葉で、彼等も納得していた。
それだけ今の世情は、不安定になっているのだろう。
それに加えて魔物騒動が、さらに景気の悪化を助長している。
このままでは、地方ではいつ暴動が起こるか分からないだろう。
「それで金貨2枚のところを、金貨1枚にまけてくれたんだ」
「なるほどねえ…」
「そうか…
しかし襤褸切れだけだったとなると、下着もか?」
「ああ
何枚か用意してたみたいだな」
「こら!
ラスター?」
「いや
その割にはお嬢ちゃん、何も持って無いなって…」
「ああ
それはこっちの…」
「うげっ!」
「一緒に持ってるの?」
「ん?」
「さすがにそれは…」
「ああ
あの年でも女の子だろ?
恥ずかしがって…」
女性士官は、呆れた表情で天を仰ぐ。
ラスターも思わず、驚いて顔を引き攣らせていた。
女の子の下着を…それも親でも無い若い男が預かっているのだ。
その様な顔をするのも当然だろう。
「あははは
それは分けているさ
ミーアの分はこっちの…」
「マジックバックか
なるほど…」
「しかし高いんでしょう?」
「ああ
親切な方が下さってね
でもミーアが持つには大きくて」
「ランドロフ様か?」
「ああ」
「ランドロフ様って…
まさか!」
「そのまさかだ
オレも少しだけ話したぜ
知っていなければ、貴族なのに話し易い爺さんって感じだ」
「ラスター?
仮にも英雄様なのよ?」
「はははは
それを聞いたら、ランドロフ様も顔を顰めるな
そういう扱いは苦手だと仰っていた」
「ほらな」
「あんたは気安過ぎるのよ」
アレハンドラは、二人の会話を聞きながら羨ましいと思った。
ハバロフスクの兵舎では、いつも上下関係を気にしてギスギスしていた。
本来は同僚の兵士なのだから、このぐらいが良いのだろう。
しかしあの街の兵士は、上官の影響で兵士まで権勢欲に塗れていた。
結果として、仲間である兵士同士でも、足の引っ張り合いが日常的だった。
「うほん
それでミーアの事なんだけど…」
「そうね
その話が本当なら…」
「その農場主は処罰すべきね」
「待ってくれ
そっちは大丈夫だと思うんだ」
「へ?」
「何で?」
「ランドロフ様が調べてくださるって」
「ああ…」
「あの方なら、それはそう言うわな」
「ああ
ミーアの境遇を聞いて、大層お怒りになられていた
そいつに同情したくなるぐらいにね」
「そうね
あの方は平民の味方ですもの」
「しかし当てはあるのか?」
「それは伝手があるって」
「そうか…」
「それで?
お嬢ちゃんの事とは?」
「ああ
先ずは衣服の洗濯だな
食事は大丈夫みたいだけど…」
「あ…」
「あの馬鹿共…
ちょっと行って来る」
ラスターは慌てて、兵士達が騒いでいる方に向かう。
一部の兵士が大人向けの、酒を使ったつまみを手渡そうとしていた。
それに気付いたラスターが、慌てて止めに向かったのだ。
子供の居る兵士とはいえ、そこまでは気が回らなかったのだろう。
「はあ…
男連中は…」
「大丈夫そうか?」
「そうね
ラスターには弟が居るから、任せてみましょう
それで洗濯ね?」
「ああ
この中に衣類が入っている」
「櫛や身嗜みを整える物は?」
「それが…」
「はあ…
そういう事ね」
「ああ
櫛は列車のを拝借したが…」
「まあ、あれは持ち帰り自由な安物だし
そうなると石鹸や髪を洗う洗髪用の油…
それに香水も必要かしら」
「香水?
まだ子供だぞ?」
「あら
子供でも立派な女よ!
あのぐらいの年から、そろそろ気にし出す物なの!」
「そ、そうか…
それならどれぐらいあれば…」
アレハンドラはそう言って、懐中の小銭袋を取り出そうとする。
「いいえ
ここは軍の施設よ」
「え?」
「あの子の身の回りの品は、こちらで用意させるわ」
「え?
しかし…」
「いいのよ
軍でしっかり出すし…
後で上にしっかりと請求するわ」
「へ?」
「あの子を放っぽり出しているんですもの
そのくらい当然だわ」
「はははは
お手柔らかにしてやってくれ」
「あら?
あのぐらいの年でも、女は女だわ
最低限の物は用意させてもらうわ」
女性士官はそう言って、ニヤリと笑った。
アレハンドラはそれを見て、彼女を呼んだ者に同情した。
せめて財布の中で、賄える様にと。
「衣服と…櫛
あら?
下着ってこれだけ?」
「ああ
古着屋の婦人に用意してもらったんだ」
「用意ったって…
急ごしらえの旅用の最低限でしょう!
これじゃあ普段の生活は…」
「そもそも持っていなかったんだ
それに帝都に直行だろ?」
「あ…そうか
勅令だもんね」
「そうなんだよな
途中で町にでも寄れれば…」
「はあ…
ランドロフ様の周りには女性は?」
「居なかった
あの方も旅の帰りの様子で、護衛の兵士だけだった」
「それじゃあ…
女の子の事も分からないか…」
女性士官は頭を抱えて、袋の中を見ては考え込んでいた。
「そもそも洗っていないし…
私達のではサイズが合わないし…」
「えっと…」
「マズいわね
替えが無いわよ」
「はあ?」
「そもそも同じ下着を、何日も着せるなんて…」
「え?
私達は…」
「男と一緒にしない!
それにブラも無いでしょう!」
「ブ…ラ?」
「はっ!」
女性士官は言ってしまった後に、気付いて顔を赤くしていた。
アレハンドラは思わず、ミーアの方に振り向く。
「確認するな!」
パシン!
「痛い!」
二人のコントの様な様子を見て、周りの兵士達が何事かと注目する。
「どうした?」
「何があった?」
「何でも無い!
何でも無いから!」
「しかし…」
「良いから仕事に戻りなさい!」
「いや、今日の分は終わったし」
「それで戻って来て飲んでるんだし」
「良いから!
気にしないで!」
興味深げにしながら、兵士達は解散して行った。
それで女性士官も、話の続きをする。
「今夜は仕方無いわね…」
「ああ
さすがに帝都と言っても…」
「戒厳令が無くても、この時間には商店は閉まっているわ」
「だろうな…」
「明日の朝一にでも、私が買いに行くわ
幸い非番だし」
「良いのか?」
「ええ
女の子の大事な物だし」
「それなら私も…」
「着いて来ないで!」
「良いのか?
荷物持ちぐらい…」
「忘れないでね
あなたは任務があるでしょう?」
「あ…」
「それに男性が着いて来るなんて…」
「え?」
「良いから
気にしないで!」
「わ、分かったよ」
女性士官は、ぼそぼそと言った言葉を聞き取られないでホッとしていた。
アレハンドラは気付いていなかったが、彼もそれなりに美形なのだ。
ヤマトの民らしく、しっかりとした目鼻立ちに黒い髪をしている。
鳶色の瞳も、何処か異国の雰囲気を持っていて美しい。
女性士官としては、そんな男性と下着屋に入りたくは無かった。
後でどんな噂が立つか、考えるだけで恐ろしい。
「はははは
エレンに派手に叱られたな」
「ラスター?」
「おっと!
オレには当たらないでくれ」
「なら無駄口は叩かないでくれる?」
「おお!
怖っ!」
「なんですって?」
「はははは
それでミーアの食事は?」
「ああ
子供でも食べられそうな物を用意させた」
「そうか
助かるよ」
アレハンドラは、素直にラスターに感謝する。
「しかしそんな目に遭っていたとはな…
発育に影響が出て無ければ良いが…」
「そうだな」
「お嬢ちゃんの年齢は?」
「聞いて無かったな」
「呆れた!」
「おい…
まさか名前しか知らないとか?」
「ああ
恐らくは10歳ぐらいだと思うんだが…」
「少しは興味を持てよ」
ラスターだけでなく、エレンと呼ばれた女性士官にまで呆れられていた。
しかしアレハンドラとしては、ここまで連れて来ただけなのだ。
行き先が分かっていたら、そこで少女の身柄も引き渡す予定だった。
あまり深入りも出来ないと思っていたのだ。
「あの子はお前を信じているんだぞ?」
「しかし私は行きずりの同行者で…」
「でも、心配はしているんだろう?」
「それはそうだが…」
「確かにそうよね
あんな子供がここに来るなんて、異常な事態よ
それに身寄りも無いんでしょう?」
「それはそうなんだが…」
「おい!」
「だけどどうすれば良いんだ?
私も召喚された身だぞ?
守ってやりたくとも…一軍曹でしか無い」
「それも…そうか」
「そうね
私達でも、あの子が任務を受けさせられたら…
守ってあげられ無いわね」
「そうだな
せめて危険な事じゃ無ければな…」
「ああ」
「農場主に囲われていたと言ったな?」
「ああ
あくまでも子供の話だがな」
「しかし襤褸切れしか無かったんだろう?」
「そうだな」
「それならば、その話も真実味があるな」
「ああ
ランドロフ様もそう仰っていた」
「もしかして…
迎えが来なかったのも?」
「その可能性はあるな」
「ん?」
「まだ見付かったって報告が、上に届いていないのかも」
「そうなのか?」
「ああ
そうなってくれば、迎えが来なかったのも服装にも得心が行く
指示が完全に届いていないから、支度も用意されなかったとか…」
「いや、どっちかと言うと、誤魔化された可能性もある」
「ん?
どういう事だ?」
「旅費は着服されていたとか…」
「まさか?」
「ガラの悪い兵士達が連れて来ていた
まともそうなのは一人だけだった」
「それはまた…」
「言っちゃ悪いが、地方の兵士の質は…」
「かあ…
情けない事だ」
「そうよね
そんなのが同じ帝国軍兵士だとは…」
三人は同じ結論に達して、それ以上は何も言えなかった。
確かに用意された金があっても、渡されていない可能性は十分に高い。
そもそも襤褸切れを着たまま、魔導列車に乗せていたのだ。
まともな兵士だとは思えない。
それに、そんな兵士が請け負ったのだから、上への報告もいい加減なのだろう。
そう考えれば、駅に迎えが来なかったのも納得がいった。
「まあ…
例の農場主?
そいつの懐に入らなかっただけましか」
「そうだな
下手をすれば、死んだ事にされて切符も奪われていただろう」
「切符?
しかし勅令で用意された物だぞ?」
「換金すれば…
使わなければ足も付かないだろう?」
「そうか…
運が良かったのかも知れないな」
「ああ」
列車に乗れた事で、彼女は農場主から逃れられた。
その事は運が良かったのだろう。
しかしまだ、これから先の事が残っている。
彼女が一体、何の為に呼び出されたのかだ。
軍部の召喚状だから、貴族とは関係無いと思いたい。
しかしそうなると、軍は一体何の為に、少女を呼んだのか?
「それでどうする?
部屋は用意出来るが?」
「ああ
それで頼むよ
私が出来る事はそこまでだからな」
「そう言うなよ
出来得る事なら、力を貸してやるつもりなんだろう?」
「ああ」
「オレ達も力になるぜ
と言っても…」
「ラスターでは大した事は出来ないでしょうね」
「おいおい!」
「後で上にも相談しておくわ」
「大丈夫なのか?」
「ええ
幸いここの隊長は…
貴族嫌いの真面目な所長なのよ」
「そうだな
オレからも話しておくよ」
「すまない」
「良いって事よ」
「そうよ
子供の命が懸かっているわ」
アレハンドラはその後も、暫く彼等と話していた。
帝都周辺に現れたという魔物の事。
それから最近の帝都の近況などを。
そしてミーアが食事を終えたのを見て、アレハンドラはミーアの方へ向かう。
ラスターも上司に報告すると、3階に向かって上がって行った。
「ミーア
夕食はどうだった?」
「ちょっとしょっぱかった」
「そうか
干し肉を使っているからな」
「干し肉?」
「ああ
農場から距離があるからな
塩漬けして干し肉にしているんだ」
保存の事もあるが、ここが兵舎である事も関係している。
特務部隊の本部にある食堂なので、兵士向けの食材しか無いのだ。
それで干し肉を湯掻いて、サラダの付け合わせにしたのだ。
最初に用意された物は、酒で寝かせたつまみ用の肉だった。
それに比べれば、随分とマシな食事だったと言え様。
「さあ
宿舎に向かうか」
「アレンは?
アレンは食事したの?」
「私は後で食べるよ
干し肉ならいつでも食べれる」
「良いの?」
「ああ
行こう」
アレハンドラはミーアの手を引いて、兵士用の宿舎に向かった。
その様子を見て、兵士達はほっこりした気持ちになっていた。
いつもは潜入捜査や見張りばかりしていて、彼等の心は荒んでいた。
しかし久しぶりに愛くるしい少女を見て、心が洗われる気持ちになっていた。
「やっぱり子供は可愛いな」
「オレも早く作りたいぜ」
「オレさ
来月には結婚の予定なんだぜ」
「おま!
止せよ
それってフラグってやつだろう?」
「ああ
あの勇者って奴が遺した言葉か?」
「そういう事言う奴が、真っ先に死ぬんだぜ」
「勘弁してくれよ
ようやく彼女がオッケーしてくれたんだぜ」
「ごちそうさま」
兵士達はミーアが出て行った事で、再び騒ぎ始めていた。
少女が居る前では、やはり際どい会話は出来なかったのだろう。
その内酒に酔った兵士が、不用意な発言をエレンに放った。
「やっぱり少女は可愛いな」
「おい
それは危険な発言だぞ」
「逮捕するぞ」
「はははは
貴様等に逮捕権は無い
オレを裁けるのは、警備兵や査問官だけだ」
「あら?
女性も裁けるわよ?
女の敵だもの」
「おお!
怖っ!
そんな薹が立っているから…」
「あん?
何だって?」
「ひっ!」
「おい!
選りによってエレンに、何て事を…」
受け付け近くに居た兵士達は、慌てて巻き込まれない様に避難する。
そしてエレンの視線は、失言をした兵士を捉えていた。
「い、いやあ
あの、そのう…」
「あんだって?
聞こえなかったな
もういっぺん言ってみ?」
「ひいいっ」
エレンはカウンターを飛び越えると、ゆったりと兵士に近付く。
兵士はすっかり酔いが醒めて、ガクガクと震えていた。
エレンはまだ20代で、適齢期を過ぎた訳では無かった。
しかし兵士達をまとめ上げるぐらい、気が強くてしっかりとしている。
だから陰で、姐御と呼ぶ者が居るぐらいなのだ。
そしてそんな性格なので、まだ浮いた話は無かった。
だからこの手の話は、エレンには禁句だとみな知っていた。
酔っ払った兵士も、気が大きくなって失言したのだ。
「おらあっ!
もういっぺん言ってみ」
「ひいいい
おだずげ~」
「逃げるな、この玉無しが」
「良いぞ
やれやれ♪」
「とっとと捕まっちまえ」
兵士が逃げ回って、髪を振り乱したエレンがそれを追う。
周りの兵士達も、いつしか声援を送って囃し立てる。
「何をやっている?」
「あ、隊長」
騒ぎを聞きつけて、ラスターが上から降りて来た。
その顔は不機嫌そうで、騒いでいる兵士達を睨む。
「それがそのう…」
「はあ…
一体何をした」
エレンが追い掛ける様子を見て、ラスターも何となく予想が付く。
そして兵士達から聞いて、彼は盛大な溜息を吐く。
「実はあいつが…」
「最近入った新兵だな」
「ええ
それで姐御に…」
「薹が立っているって…」
「それは言うな
聞こえるぞ」
「は、はい…」
「はあ…
それでこの様か?
情けない」
ラスターは頭を抱えて、追い掛けるエレンを見る。
「全く…
大事な話をしている時に…
おい!
エレン」
「な、何よ!
あんたも私が、薹が立っているって言うつもり?」
エレンはラスターを、睨みながら威嚇する。
「そんな怖い顔をするな
美人が台無しだぞ」
「び!」
「ほら
受け付けに戻れよ
美人受け付け嬢が不在じゃあ、職務が滞るぞ」
「そ、そうね…
ラスターがそう言うなら…」
「ほっ…」
エレンは少し頬を赤らめながら、受け付けのカウンターに戻って行く。
今度はカウンターを飛び越える事も無く、扉を開けて戻った。
兵士達は無責任に騒ぐのを止めて、各々の持ち場に戻り始める。
そろそろ夜勤に出る者も居るので、半数は受け付けの前に並ぶ。
それぞれの仕事を割り振られて、兵士達は外に向かって出て行く。
「それで?
所長は何て?」
「ああ
話の途中で、お前等の馬鹿騒ぎが始まったからな」
「ごめんなさい…」
「ああ
どうせ調べている途中だって、はぐらかされていたんだ
明日には話が出るだろう」
「そうね
あの人って真面目なのに、そういうところがあるからね…」
「ああ
こっちは白黒ハッキリしたいのに…」
「無理を言うもんじゃ無いわ
所長の権限では…」
「そうだな」
ラスターは肩を竦めると、改めてエレンの方を見る。
「それで?
明日は非番なんだよな?」
「え?
そうだけど?」
「それでだな…」
ラスターはそう言いながら、少し俯いて頭を掻き始める。
「ああ
あの子の事ね
大丈夫よ
朝一で色々買いに行くつもりよ」
「そうじゃなくてな…」
「ああ、そうね」
エレンの言葉に、一瞬だがラスターの表情が明るくなる。
しかしその表情も、次の瞬間には曇っていた。
「一緒に連れて行ってあげたいけど…
サイズを考えると、本人が居た方が良いのよね」
「そ、そうか?」
「それでね、ラスターも午前中は暇でしょ?」
「お、おう」
「だからここに居て、何か報せが入ったら上手く話しておいてよ
私があの子を連れて行っていたら、その間に来てたら困るでしょう?」
「そ…う…だな…」
「うふっ
今から楽しみだわ
どんな服が似合うかしら?」
「お、おう…」
「女の子らしい可愛い服も良いわね
でも、動き易い服も必要だし
旅行きの服はあれで良いとして…」
「あ…ああ…」
「隊長の体力が…
ゴリゴリと削られて行く…」
「ああ
何て恐ろしい攻撃なんだ」
「くうっ
もう見てらんねえぜ…」
ラスターの様子を見て、兵士達は言葉を失っていた。
その寂しそうな背中を見て、何名かは涙を堪えている。
しかし同情の言葉など、誰も掛けようが無かった。
ここでそれを言おうものなら、より深く傷付けるだろう。
それが分かっているので、みな黙って見ているしか無かった。
「そういう訳でね
明日はお願いね」
「あ…あ…」
「ラスターもこれから仕事でしょ?
頑張ってね」
「う…ん」
ラスターは返事もそぞろに、フラフラとカウンターを離れる。
その様子は生気を失った、幽鬼の様だった。
「隊長…」
「行きましょう」
「ぐうっ…」
「泣かないでください
またの機会がありますよ」
「くそっ!
行くぞ!
お前等!」
「はい」
「頑張ってね♪」
ラスターはエレンの声援を受けながら、与えられた任務に向けて出発した。
そういうんじゃ無いんだよ
そういうんじゃあ…
彼の魂の叫びを、エレンは気付いていなかった。
まだまだ続きます。
ご意見ご感想がございましたら、お聞かせください。
また、誤字・脱字、表現がおかしい点がございましたら、ご報告をお願いします。