第六節 帝都
魔導列車は、帝都と地方の都市を結ぶ重要な公共運用列車だ
その為運営会社は、皇帝の直属の管轄になる
運行ダイヤルも厳正に組まれていて、余程の事が無ければ乱してはならない
貴族であれば、その事はよく知っている筈だった
辺境伯は、わざと運行ダイヤルを乱す事も狙っていた
それでアレハンドラの罪状に、皇帝への反逆も加えようと思っていたのだ
そう、彼の考え通りなら、その様に運ぶ筈なのだ
帝国の人間で無いアレハンドラが、この列車に乗れる筈が無いのだから
隊長は足元に落ちていた、破れた書面を拾い上げる。
そこには特殊なインクで、勅令と書かれている。
この書面は、簡単には破る事は出来ない。
しかし辺境伯は、これを破り棄てたのだ。
その書面を見て、彼は訝し気に眉を顰める。
確かにホームには、帝国に叛意を抱く者が居ると反応が出ていた
これを破ったからだろう…
勅令状や皇帝の書類を破れば、魔法が反応する仕組みになっている。
それはその場所に近い、兵舎や特殊な機関に報告が上がる事になる。
つまり勅令状を破った時点で、駅のセキュリティーに報告が上がった事になる。
彼等がここに集まった理由も、その報告が上がってからに他ならない。
「この書類は…
君の?」
「はい」
「名前はアレハンドラ…
で良いのか?」
「はい」
アレハンドラは、緊張して答えていた。
彼の様な一兵士からすれば、この隊長は実質上の階級に当たる。
迂闊な返答は、不敬罪で処罰の対象になる。
「そう緊張しなくとも良い
少なくとも私は、この場での公平性を保つ者だ」
「は、はい…」
アレハンドラの返答に、隊長は頷く。
「アラハラ…」
「っ!
読めるんですか?」
「ああ
それだけの権限はある
どうやら問題は無さそうだな」
隊長は破れた書類を、アレハンドラに手渡す。
それから腰を屈めると、ミーアの視線に合わせる。
「このお嬢ちゃんは君の?」
「いえ
偶々同乗しただけでして…」
「それで巻き込まれた?」
「いえ、それは…」
「隊長!
ダイヤの乱れは如何致します?」
「うむ」
警備員の言葉に、隊長は顎に手をやって考える。
既に運行ダイヤルから、10分以上の遅れが生じている。
「よろしければワシが、具体的なお話をしますが?」
「あなたは?」
「ワシはランドロフと申します」
「おお!
東部の英雄殿ですか」
「いえいえ
しがない老いぼれです」
「そんな事はありませんよ
あなたは私達、平民の希望ですから」
「それはありがたいお言葉ですじゃ」
「隊長
これ以上の遅れは…」
「そうだな
20分の遅れを伝えろ!
緊急事態だったと」
「詳細は?」
「私が列車から報告する
それと臨時で…副隊長に暫く任せる」
「え?
隊長は?」
「私はこの者達と、一旦同乗する
事情を確認する必要がある」
「ええ!」
隊長の立場としては、これ以上の遅延は許されない。
だからと言って、勅令状を持つ者を引き留める事も出来ない。
出来得る事は、ランドロフを拘留して事情を聞くという方法だろう。
しかし元とはいえ嘗ての英雄を、関係のない事で巻込む訳にはいかない。
「事情を聞くには、この方法しか無いだろう?」
「そう言って、魔導列車に乗りたいだけじゃ無いでしょうね?」
「ん?」
「だって隊長でも、滅多に乗れないって」
「転属で乗る機会はあるがな」
「だからって役得では?」
「ああ!
そう言っている間に時間が!」
「じゃ!
そういう事でな」
隊長はそう言って、警備員達を列車の外に押し出そうとする。
「あ!」
「ちょっと
隊長!」
「後はロダンに任せる」
「そんな!」
「副隊長では…」
「ほら
出発するぞ
離れろ」
「隊長!」
「ああ!」
「あ…」
ピーッ!
プシュッ!
警笛が鳴らされ、列車のドアが閉められる。
高速で走る列車なので、そのドアは魔法で強化された頑丈な扉が取り付けられている。
兵士の一人が、諦め切れずにドアを叩いていた。
しかし列車の発車は危険なので、仲間によって引き離される。
ガタン!
ガタガタ!
列車が軋み、少しずつ動き始める。
魔法を込めた魔石で、駆動機関を魔力で動かしている。
細かい動力機関は、専門の者しか解からない複雑な機構をしている。
それを魔石に込められた魔力で、動かしているのだ。
ガタン!
ガタンゴトン!
魔石で強化された車輪が、ゆっくりと回り始める。
シャフトが交互に動き、ゆっくりと加速して行く。
「あ…」
「ああ…」
「行ってしまった」
「仕様がない、副隊長に報告だ」
「しかしロダンさんでは…」
「なあに、明日の昼には戻って来るだろう
それまでの事だ」
「それまでに…
何も起こらなければ良いが」
「不吉な事を言うなよ」
警備員達は、報告をする為にセキュリティールームに戻って行く。
彼等の仕事は、普段は見回り程度しか無い。
何も起こらなければ、実質暇な仕事である。
しかし何か起これば、重要な国を代表する機関へと早変わりする。
その為に普段から、身体をしっかりと鍛えているのだ。
そう、何も起こらなければ、問題は無いのだ。
「さて…」
列車が動き出したところで、隊長はアレハンドラ達をラウンジに招く。
本来ならそこまでの権限は無いのだが、給仕は慌てて全員に紅茶を用意する。
ミーアには、クリームを入れたミルクティーが用意された。
「先ずは自己紹介から
私はエカテリンブルグのセキュリティー隊長をしておりますマーカスと申します」
「ワシはランドロフ
名誉騎士の爵位を持っておる」
「私はアレハンドラと申します
ハバロフスクの軍で軍曹の役職です」
「わ、わたしは…」
「ミーア
名前は言えるかい?」
「はい…
ミリアーナです」
「それでは、お話を聞かせてもらえますか?」
隊長に促されて、先ずはランドロフが口を開く。
この場で一番権限があるので、先ずは彼から話をすべきだろう。
アレハンドラは黙って、ランドロフに話を任せる。
足りない点があったら、彼が呼ばれて補足する事になる。
「先ずはワシが…
辺境伯と揉めた事が原因なんじゃ」
「はて?
彼はこちらの彼
アレハンドラを名指ししていましたが?」
「それは逆恨みじゃ
貴族には妙なプライドがあってのう
隊長ならば…解るじゃろう?」
「ああ…
貴族の…」
その一言で十分だった。
アレハンドラの見た目もあって、彼は気に食わなかったのだろう。
貴族との揉め事は、彼等にも経験がある。
特に最近では、皇帝の権威があっても食い下がらない。
それを考えれば、有り得る話なのだろう。
「それはどういった経緯で?」
「ワシにあの男は…
息子を従者にする様に言って来おった」
「それは失礼ですが…
貴族ではよくある事では?」
「単純にそれを言って来ただけならば、ワシも軽く流しておったじゃろう
しかしあの男は…」
「失礼します」
「うむ
君は?」
「私はランドロフ様の護衛をしております、ヘンドリックスと申します」
「うむ
それで?」
「はい」
ヘンドリックスは、隊長に貴族が話した内容を告げる。
それは平民を侮蔑した内容で、隊長も思わず顔を顰める。
「しかしそれだけで…」
隊長はアレハンドラを見て、どうして彼に繋がるか確認する。
「それはあの伯爵が…
どうも彼を親族と勘違いした様で」
「勘違い?」
「ええ
私が居ては話し難いので、ランドロフ様は下がる様に仰いました
それで私は、彼の…
アレハンドラの近くに立っていました」
「それは何でかな?」
「偶々そこがランドロフ様の後ろでしたし
既に顔を合わせた後だったので…」
「つまり何かな?
偶々立っていた場所が彼の側で…
それで関係者と思われたと?」
「ええ
私の判断が甘かったのです」
「そうだな
その場合は、近くともそこに立つべきでは無かっただろう」
「はい」
「しかし隊長殿
彼は私達を案じて…」
「それはこの際関係無い
紛らわしい場所に居たのは確かだ
しかしそれだけで…」
「ええ
断れば彼の身に危険が及ぶと…」
「脅迫か…」
それを聞いて、隊長は顔を顰める。
その様な脅しを掛けて、自分の主張を通そうとする。
確かに貴族であれば、よく使う手口だろう。
しかし彼程度では、名誉騎士に脅しを仕掛けるべきでは無い。
彼は辺境伯と言っても、実際には亡国の辺境伯でしか無い。
国が帝国に吸収された今では、彼は下級の役職でしか無いのだ。
それが何を勘違いしたのか、爵位を口にして脅迫をしたのだ。
「それで?
彼はただの知り合いだったのだろう?」
「ええ
偶然に乗り合わせた乗客です」
「それを説明は?」
「まあ…」
「ランドロフ様?」
「うむ
思わず笑ってしまった」
「それは…」
隊長は思わず、頭を抱えていた。
それで腹を立てた辺境伯が、ターゲットをアレハンドラに変えたのだろう。
運が悪い事に、彼は見た目からも帝国人では無い。
それで土族などと、蔑称を使っていたのだろう。
しかし彼は、そこも理解していなかった様子だ。
土族とは辺境伯達の、地方の平民を指した蔑称なのだ。
「それであの貴族?
辺境伯とやらがキレた訳だ」
「ええ」
「君も災難だったな」
「いえ…」
「事情は把握した
しかし帝国民を侮辱し、皇帝陛下の勅令状をも破り捨てた
あの男も終わりだな」
「私は帝国民では…」
「いや
中央では、ヤマトを正式な帝国領と認めた
つまりは君も、立派な帝国民なんだ」
「しかし…」
「そういう意味では、あの男と君の身分には…
大差が無いんだ」
「え?」
「そうじゃな
あの男は辺境伯と名乗っておるが…」
「そう
帝国では辺境伯という身分は無い」
「では彼は?」
「正確には元辺境伯だろう
書類上では辺境伯で通っているが…
爵位もあるかどうか…」
「ううむ
ワシにも辺境伯じゃと話しておったが、真偽のほどは…
もし爵位も無いのなら…」
「詐称の罪も加味されますね
それと侮辱罪と越権行為、並びに皇帝陛下への叛意に器物損壊
魔導列車の運行妨害だけでも、重い罪だと言うのに…」
辺境伯の処遇を聞いて、一同は黙り込んでしまった。
これはもう、極刑に値する罪になるだろう。
「兎も角私は、この事を帝都に報告しておきます
連座で騒いでいた貴族連中も…」
「そうじゃな
中には子爵の子弟もおったが…」
「罪が認められれば、相応の処罰が下るでしょう」
「あの人達…」
「ああ
もう怖く無いからね」
「う、うん…」
アレハンドラは、ミーアには内容を細かく説明しなかった。
今聞いた話だけでも、彼等は相当に重い罪になるだろう。
しかし少女には、その話を聞かせたくは無かった。
だから処遇には予想が付いたが、誰もその事には触れなかった。
「ええっと
もう怖くない?」
「ああ」
「怖い思いをさせてすまなかった」
隊長が頭を下げて、ミーアは慌てて頭を振る。
ミーアとしては、大人に頭を下げられるのは初めてだった。
今までは怖い大人に、一方的に罵声を浴びせられたり、ぶたれたりしてたからだ。
それで恐縮して、慌てて頭を振っていた。
「もう大丈夫だからね」
「う、うん…」
「さあ
客車に移動しよう」
「もう、いいの?」
「ああ」
アレハンドラは隊長やランドロフに頭を下げると、そのままミーアを連れて客車に向かう。
このままここに居ては、ミーアに貴族の処罰を聞かれる恐れがある。
そうすればこの少女は、心を痛めてしまうだろう。
アレハンドラは、その為にミーアを客車に連れて行く事にする。
客車に向かいながら、給仕に茶菓子のクッキーと朝刊を注文しておく。
「さて…」
「うむ
子供の前では話し難いからのう」
ミーアが居なくなった事を確認してから、隊長は具体的な確認をする。
そもそも辺境伯を名乗るほどの者が、そう簡単にミスを犯すとは考え難い。
それ相応に、冷静さを欠く様な事があった筈だ。
彼は具体的に、彼等のした会話を確認する。
「…なるほど
それでキレた…と?」
「ええ
随分と自分に自信があった様子で」
「うむ
それで碌に確認もせずに、自身の考えを信じたと…
しかしランドロフ様に対して、その様な発言は…」
「知らなかっただけかも知れん
しかし取り巻きの貴族達は…」
「ええ
明らかにあなたの、権威の失墜を望んでいましたね」
「そうじゃのう
じゃからワシは、あの者も貴族派の一員じゃと思っておる」
「なるほど
それならば陛下に対しても、腹に一物を抱えていて当然か…
しかしなあ…」
「うむ
貴族派であるならば、もう少し慎重に行動すべきじゃろう
恐らくはこれも、失敗すると想定して行った可能性があるのう」
「尻尾の切り捨てですか?」
「うむ」
どうせ使えない人材だから、自爆覚悟でぶつからせた。
その可能性は十分にあった。
そう考えるならば、彼を使ってランドロフの失脚を狙っている可能性もあるだろう。
その結果は、予想以上だったに違いない。
ランドロフに対する、十分な牽制となったからだ。
「これが貴族派の思惑なら…」
「ランドロフ様は帝都に足止めでしょうね
少なくとも、彼の事が気になって」
「そうじゃのう…」
「彼は何者なんです?」
「ヤマトの…
亡国の少女の息子
それだけじゃ」
「ランドロフ様が責任を感じられて?
それだけでは…」
「それ以上は探らないでくれ」
「あなたも何か知っているのですか?」
「…」
兵士の牽制の言葉に、隊長は眉を顰める。
しかし二人は、それ以上を語らなかった。
「分かりました
彼は何らかの理由があって、帝都へ召喚されていた
それに不満を持った、元辺境伯が騒ぎを起こした
それで良いんですね?」
「うむ
そうしてくれ」
ランドロフの言葉に、隊長は頷く。
これ以上詮索しても、彼等との間に亀裂が生じるだけだ。
出来る事なら、何らかの手助けをしたかった。
しかしランドロフは、それを望んでいない。
それならば、彼の望み通りの報告をするしか無かった。
「それでは私は、この事を報告して参ります
彼はこれに関しては?」
「恐らく何も知らんじゃろう
ワシ等以上にな」
「そうですか…」
「因みに少女には?」
「それに関しては、ワシ等も何も知らん」
「アレハンドラは偶然、乗り込んで来た少女に出会った
しかしミリアーナ嬢ちゃんは、一体何で帝都に呼ばれたのか…」
「アレハンドラはあの子が、貴族に呼ばれたと思っておる
しかしワシは…」
「軍が絡んでいると?」
「うむ
勅令状は軍の正規の物じゃった
あれは貴族ではどうにも出来ん」
「そうですね…」
しかしあの様な、平民の少女が呼ばれた事例は無かった。
「私の方でも調べておきましょう
命令を出した者も気になります」
「フレスカか…
何か知っておるのか?」
「ええ
ランドロフ様以上にはね
私の名はマーカス・スベロフスです」
「ぬ!
まさか…そういう事か」
「ええ」
「父上によろしく言っておいてくれ」
「はい」
隊長はそう返答して、ラウンジから出て行った。
「何者ですか?」
「スベロフス家
エカテリンブルグの前王の名前じゃ」
「あ…
そういう事か
するとフレスカと言うのは?」
「分家の男爵の名前じゃろう
確かそういう名の士官が居った筈じゃ」
ランドロフはそう言いながら、隊長の出て行ったドアを眺めていた。
ランドロフも正確には、フレスカの名を覚えていた訳では無い。
しかしマーカスの反応から、先ず間違いは無いだろうと踏んでいた。
それならば身内同士で、先ずは話してもらった方が早いだろう。
上手く行けば、ミリアーナの事も解決できる。
アレハンドラはミーアと、客車で寛いでいた。
貴族が捕まって事で、もう狙われる心配も無い。
護衛の兵士達も、今では任を解かれて休憩をしていた。
そこに隊長が戻って来て、客車のアレハンドラの前に来る。
「お話は終わったのですか?」
「ええ
後は事の経緯を報告して、彼等を帝都へ引き渡すだけです」
「それではこのまま?」
「いえ
次の駅で降りなければ…
護送は兵士達に任せます」
「大丈夫なんですか?」
「ああ
兵士も皇帝の命があるなら、貴族に従う必要もありませんから」
「そう…ですか」
列車は再び大きな街に近付き、スピードを落とし始めた。
時刻は夕刻を過ぎ、既に宵闇になっている。
向かう先には、大きな街の灯りが見えていた。
「きれい…」
「この先のペルミの街の灯りですね
ペルミを越えれば、後は暫く山岳地帯を走ります」
「隊長はどちらまで?」
「次の駅のカザンです
カザンはその先の山岳地帯にある、大きな領主街です
そしてその先には…」
「目指す帝都モスコーですね」
「ええ
綺麗な街ですよ」
「うふっ
楽しみ」
隊長の言葉に、ミーアは本当に楽しそうにしていた。
ここから見えるペルミの灯りは、まるで宝石箱の様に見えた。
モスコーはそれよりも、大きくて発展した街である。
ミーアはペルミの灯りを見て、それ以上に美しい都を想像しているのだろう。
ペルミを過ぎた後、列車は暫く山岳地帯を進む。
その先の大きな川のほとりに、その街は灯りを灯していた。
ガタガタン!
プシュッ!
「それでは私は、ここで」
「色々とありがとうございました」
「さようなら」
隊長はアレハンドラとミーアの別れの言葉に、敬礼をしてから列車を降りる。
そのままホームに出ると、迎えの兵士達が集まっていた。
恐らくこれから、事の顛末を報告書にする必要がある。
それも帝都に列車が着く前に、その報告書を送る必要があるのだ。
「行っちゃった…」
「ああ
これから忙しくなるからな」
「いそがしいの?」
「ああ
報告書を書いて、帝都に送らないと」
「でも、列車の方が早いよ?」
「それは大丈夫だ、
使い魔を使って、帝都へ書類を送るだろう」
「つかいま?」
「あ…
そうだな、鳥さんが手紙を運ぶんだ」
「ふうん…」
ミーア隊長が、手紙を書いて鳥に渡す姿を想像する。
「鳥さんが飛んで行くの?」
「ああ」
「すっごーい」
「そうだな」
隊長が降りてから数分して、再び出発の合図が聞こえる。
ピーッ!
プシュッ!
先の騒動で遅れているので、本来の出発時刻は過ぎている。
それで乗り込む者も居ないので、列車は再び走り始める。
これから1日近くを、山岳を通って帝都へと向かう事になる。
その間は町はほとんど無く、途中に停車する予定は無かった。
アレハンドラはそれから、ミーアとゆっくり列車の旅を楽しむ。
そして列車は順調に進んで、いよいよ渓谷を越えて帝都の近くまで進んでいた。
コンコン!
「ミーア」
「はい
起きてるよ」
部屋の中から元気な声が聞こえて、パタパタと走る音がする。
寝室のドアが開けられて、小さな顔が隙間から覗かせる。
「アレン
山を越えたよ」
「ああ」
どうやらミーアは、早起きをして窓の外を見ていたらしい。
いよいよ帝都に着くとあって、興奮して早く目を覚ましたのだろう。
寝室のカーテンは開かれて、外の長閑な農場の景色が見えていた。
しかし少女は、その景色の裏側を知らなかった。
未だに帝都に近いこの辺りでも、農場は妖精族が働かされていた。
彼等は痩せ細った身体で、恨めしそうに列車の通過を眺めている。
列車が通る度に、農作物に影響が出るのだ。
そしてその責任を取らされて、彼等は食事を抜かれるのだ。
そんな理不尽な扱いを受けても、彼等は逃げ出す事は無い。
飢えて痩せ細り、そんな気力も失っているのだ。
そもそも農場で働く妖精族は、一定の距離を離れられない。
身体の何処かに仕掛けられた魔道具が、魔力が不足すると身体を切り裂くのだ。
その様に魔道具で、身体の自由を奪われている。
だからこそ逃げ出しても、途中で死ぬ事になるだけだった。
少女はそんな事を知らないので、美しい農場の光景を楽しんでいた。
「さあ
朝食に向かうよ」
「うん♪」
ミーアはアレハンドラと手を繋いで、ラウンジへと向かった。
後半日もすれば、少女との旅も終わりになる。
だからだろうか、ミーアはアレハンドラの手をしっかりと握っていた。
今日の朝食は、トーストとサラダ、コーンスープが用意されていた。
ミーアはサラダに先ず手を付けていた。
好き嫌いは無いのか、ドレッシングが掛かったサラダを美味しそうに食べる。
それからトーストに齧り付き、耳だけを残していた。
耳は嫌いなのかと思って見ていると、それをスープに浸して食べていた。
「美味いか?」
「うん♪」
貴族の子供なら、こんな行儀の悪い事は出来ないだろう。
しかし平民からすれば、スープを残さず食べる事の方が良いのだ。
だからパンを使って、スープを綺麗に掬い取る。
「さあ
ミルクティーも飲みなさい」
アレハンドラは給仕から、紅茶を受け取って手渡す。
ミーアはんぐんぐと喉を鳴らして、美味しそうにミルクティーを飲む。
その様子を見て、給仕も嬉しそうにニコニコしていた。
それからアレハンドラとミーアは、客車でのんびりと過ごす。
やがて日が暮れ始める頃に、前方に街の灯りが見え始めた。
街の灯りはどんどんと近付き、眩い灯りにミーアは目が眩んでいた。
「うわあ…
眩しいよ」
「これが帝都の灯りか…」
それから1時間近く進み、列車はようやく速度を落とした。
その先には大きな駅があり、列車が激しく行き交っていた。
魔導列車はその内の、一際大きな駅のホームに横付けされる。
ゴウン!
ガタガタガタ!
プシュッ!
音がして列車のドアが開き、貴族達が寝台車から客車に移動して来る。
そうして順番に降りると、迎えに来た護衛の兵士達と合流する。
ランドロフもホームに降りると、迎えの兵士達が集まっていた。
アレハンドラもミーアに手を貸すと、駅のホームに降り立った。
「さて
ここでお別れになるのじゃが…」
「迎えは来ているのか?」
「その筈なんだが…」
アレハンドラは周囲を見回す。
その内に兵士の一団が、彼の前に来て敬礼をする。
「アレハンドラ殿ですか?」
「ああ」
「ようこそ帝都へ」
「我々は帝都の、帝国軍特務部隊です」
「特務部隊?」
アレハンドラは、怪訝そうにランドロフの方を見る。
「ふむ
どうやらアレハンドラは、特務部隊に用事がある様じゃのう」
「特務部隊が私に、一体何の用でしょう?」
「さあのう?」
「ここではお話し出来ません」
「こちらに同行してください」
特務部隊の兵士達は、敬礼してから着いて来る様に促す。
「ちょっと待ってくれ
この子の迎えが来ていない様なんだ」
「その少女ですか?
失礼ですが…
アレハンドラ殿は独身と伺っていましたが?」
「私の子では無い
そもそもそんな年に見えるか?」
「いや…」
「そのう…」
「この子はミリアーナと言って、偶々一緒の列車に同行したんだ」
「そうなんですか?」
「しかしそう申されましても
私達はあなたをお連れする様に命じれれていまして…」
「いや、この子も勅令状を持っているんだ
誰か知らないか?」
「え?」
「勅令状ですか?」
そう話している後ろで、少年兵達が兵士に呼ばれていた。
彼等も勅令状を持っていて、順番に呼ばれていた。
「あちらの兵士の方では?」
「ううむ…」
「そもそもこの様な少女が、どうして勅令を受けているんでしょうか?」
「そうだな
しかし帝都へ向かう様にしか書かれていないんだ
しかも命令は私と同じ、フレスカという人物の名前が書かれている」
「フレスカ准将ですか?」
「それはまた、随分と上の方からの命令ですね」
「そういえば、今回の指令も准将からと言われていたな」
兵士が一旦離れて、少年兵達を招集している兵士に話し掛ける。
暫く二人は話し合い、手持ちの書類に目を通す。
しかしミーアの名前は無かったのか、首を振りながら戻って来た。
「どうやら違う様ですね」
「変だな…」
「お嬢ちゃん
勅令状を見せてくれないか?」
「え?
はい…」
「私の方はちょっと問題があってね
破れてしまっている」
「な!
勅令状を破るだなんて!」
「正気ですか?」
「いや、私が破った訳では無いんだ」
「しかしこれを破るだなんて…」
「それはワシが責任を持つ」
「あなたは?」
勅令状の話が上がったので、ランドロフがアレハンドラの近くに寄る。
「ワシはランドロフ・ヴィシュゲント
この名で分ると思うが…」
「失礼しました!」
「サー・ランドロフ
帝都に戻られたんですね」
「よいよい
気になる事があってのう」
ランドロフの名が出た途端に、兵士達は一斉に敬礼をする。
普段は好々爺然としたランドロフなのだが、東部戦争の英雄であるのだ。
だから帝都でその名を聞けば、兵士達は畏敬の念を持って敬礼をするのだ。
「そこのアレハンドラと、ミリアーナ嬢とは偶然にも同じ列車に乗り合わせたのじゃ」
「そうなんですか?」
「しかし…
何で勅令状がこんな事に?」
「それは…」
「キリキリ歩け!」
「この反逆者が!」
ちょうどそのタイミングで、例の辺境伯が護送車から引き出されていた。
「あの辺境伯がな…」
「ああ
反逆罪で捕まった者が居たと聞きましたが…」
「まさかあの者が?」
「うむ
そのまさかじゃ
あれがアレハンドラに難癖を付けてな
それで勅令状を見せても、破り捨ておった」
「はあ…」
「そういう事ですか…」
兵士はおおよその事態を理解して、その男達を呆れた表情で見る。
彼等からすれば、皇帝からの命令は絶対である。
だからこそ勅令状を破るなんてもっての外だった。
「それで…
確かに同じ方の署名ですね」
「何か聞いていないか?」
「さあ…」
「他には迎えは来ておりませんね」
「しかし勅令状があるとなれば…」
「そうですね…」
「取り敢えずは、我々と一緒に来ますか?
本部でなら、何らかの情報があるかも知れません」
「そうだな…」
アレハンドラはミーアに、どうしたいか確認する。
「ミーア
ミーアはどうしたい?」
「わたし?
わたしは…」
「迎えが来ておらん以上、今は好きにして構わんじゃろう」
「ランドロフ様
よろしいのですか?」
「うむ
勅令状を発行しておきながら、迎えを寄越しておらんのじゃ
これは先方の手落ちじゃろう?」
「それはそうですが…
ミーアはどうしたい?」
「わたしは…」
ミーアは真剣な表情で、アレハンドラを見上げる。
「アレンに着いて行く」
「そうか
それでは…」
「ではこちらへ」
「ああ
ランドロフ様」
「うむ
行って来い」
「はい
ありがとうございました」
「ありがとうごじゃりました」
「うむうむ
何か分かったら、特務部隊の元へ向かうぞ」
「はい
他の場所に行く際には伝言を残しますね」
アレハンドラとミーアは、兵士に連れられて駅を出る。
そこには馬車が待っていて、二人はそれに乗り込んだ。
馬車の中は綺麗で、一般の者が乗る馬車とは明らかに違っていた。
二人は馬車の中から、帝都の街並みを眺める。
それは今までの街に比べても、煌びやかで輝いて見えた。
しかし街の中は人通りも少なく、どこか閑散としていた。
「随分と人通りが少ないな」
「そうなの?」
「ええ
帝都は今、戒厳令が敷かれております」
「なんだって?
何で戒厳令が敷かれているんだ?」
「かいげ…なあに?」
「うむ…」
「今は周辺の街にも、夜になれば怖い魔物が現れるんだ」
「まもの?」
「ああ
魔物だ」
「魔物が…
帝都周辺にも現れているのか?」
「あ!
しまった」
「失言だぞ」
「ははは…」
アレハンドラは帝都の灯りを眺め、考え込んでいた。
帝都にまで魔物が?
悪い兆候で無ければ良いが…
アレハンドラはそう思いながら、走る馬車から周囲を見回す。
街の中は兵士が言う通りで、戒厳令の影響で出歩く者は少なかった。
アレハンドラはミーアの手を握りながら、過行く街の灯りを見詰めていた。
まだまだ続きます。
ご意見ご感想がございましたら、お聞かせください。
また、誤字・脱字、表現がおかしい点がございましたら、ご報告をお願いします。