第三節 ミーア
アレハンドラは、途中で停まった地方都市で少女に出会う
彼女は年齢に見合わぬ襤褸を見に纏い、列車に乗り込んで来た
そこでアレハンドラは、少女に服を買ってやる
それは古着屋の服だったが、少女は恐縮して受け取ろうとはしなかった
アレハンドラは、子供は遠慮するものでは無いと、彼女にその服を渡すのだった
寝台車に併設される、風呂の中から鼻歌が聞こえる
少女が服を着る為に、シャワーを浴びているのだ
外は雪が降り積もるほどの寒さだ、身体も相当冷えていただろう
アレハンドラはその鼻歌を聴きながら、風呂場の入り口で待っていた
「あ…」
鼻歌が止んで、少女が風呂から出ようとしていた。
しかしそこで、短く呟いて思案する。
アレハンドラは何事かと、心配して思わずドアを開ける。
「どうした?」
「きゃっ!」
「あ!
すまん」
少女はまだ裸で、何事か思案している様子だった。
アレハンドラは慌てて、ドアを閉めて少しだけ隙間を開ける。
そこから少女に、何が困っているのか尋ねる。
「どうしたんだい?」
「あのう…
そのう…」
「ん?」
「わたし身体が濡れていて…」
「ああ
そこのタオルを使いなさい」
しかし少女は、そこで躊躇っていた。
置かれていたタオルは純白で、とても高価そうに見えたのだ。
「こんな高そうな物…」
「それはサービスで置いてある物だ
気にしないで使いなさい」
「こんな高そうな物が?」
「ああ」
少女は躊躇いながら、タオルを摘まんで思案する。
「石鹸や洗髪油は使ったのかい?」
「え?」
「そこのシャワーの脇にあるだろう?
それもサービスだから使って良いぞ」
「え?
でも…」
「ほらほら
遠慮はするなって
それに綺麗にしとかないと…」
「あ…」
少女は駅員を思い出して、慌ててシャワーの前に戻った。
今度は鼻歌は聞こえず、代わりに髪を洗うのに梃子摺る唸り声が聞こえる。
「どうした?
手伝おうか?」
「い、いいです
おじさんのエッチ!」
「はははは
おじさんじゃ無くてお兄さんなんだがな」
「いーだ!」
風呂場の中から、少女の声が聞こえる。
アレハンドラはニヤニヤ笑っていたが、慌てて咳払いをして周囲を見回す。
ここだけ見られたら、変な誤解を受けるだろう。
「どうしたんです?」
「な、何でも無いぞ」
「ふうん…
変なの」
少女の声は、暖まったからだろう。
緊張の解けた柔らかいものに変わっていた。
アレハンドラはうんうんと頷き、満足そうにしていた。
子供は素直が一番
そんな風に、おっさん臭い事を考えながら。
「ふう…」
少女は風呂から出ると、可愛らしい子供服を着て出て来た。
風呂で温まったのだろう、頬は赤く上気していた。
さすがに旅装という事で、スカートでは無く吊りズボンだ。
しかし女の子らしく、ポケットと膝の繕いには花があしらわれていた。
アレハンドラは満足そうに頷き、少女を見ていた。
「何?」
「うん
可愛らしい恰好になったな」
「もう
おじさんの目がエッチ」
「どこでそんな言葉を覚えたんだ」
「一緒の農場の子供達」
「へえ
農場の子なのか?」
「ううん
わたしは違ったの」
「ん?」
しょうじょは農場の話が出ると、ちょっと表情を曇らせる。
アレハンドラは詳しく聞かない方が良いとみて、それ以上は聞かない事にした。
それよりも今は、彼女もお腹が空いているだろう。
こんな時間に駅に来ているのだ、朝食を食べたのかも怪しかった。
「それで?
朝食はまだなのか?」
「え?」
ぐう…きゅるる!
朝食と聞いて、途端に少女のお腹が鳴った。
その音を聞いて、少女は顔を真っ赤にする。
「え…っと
その…」
「どうやらまだの様だな」
「え?」
「ラウンジに向かうか」
「でも…わたし」
「良いから
食事はサービスじゃ無いが、それぐらいは出してやるぞ」
「でも…
服も買ってもらって…
わたし…」
「ん?
子供は遠慮するな」
「だってわたし、お金持ってないもん」
「だから私が…」
「そうやってわたしに…」
「ん?」
少女は何かを言い掛けて、顔を赤くして俯く。
「わたし子供だから、どうしたら良いか分かんないし」
「ん?」
「おじさんが喜ぶ様な身体じゃ無いし」
「ん!」
「だから喜ばせられるか…」
「ちょっと待て」
「ごめんなさい
こんな子供の身体で…」
「待て待て!」
「え?」
アレハンドラは狼狽えながら、少女の両肩を掴んで話を止めさせる。
「一体何の話をしているんだ」
「え?
でも…」
少女は顔を赤くしながら、小首を傾げてアレハンドラを見上げる。
確かに身綺麗にすれば、それなりに可愛い女の子だ。
しかし一体、誰がこんな子供に変な事を吹き込んだのか?
「だっておじさん達が、兵隊さんはそうすれば喜ぶって…」
「そうするって…
そのおじさんってのは?」
「農場のおじさん達」
「ああ!
何て事を教えてるんだか」
「え?」
アレハンドラは頭を掻きながら、唸り声を上げる。
「ううっ
確かにそんな兵隊…
いや、そんな碌でも無い大人も居るが…」
「え?
違うの?」
「違う、違う」
「え?
夜は服を脱いで、裸で何かするんじゃないの?」
「ああ!
何でそんな事を教えるかなあ」
「だってそうすれば、帝都でも暮らして行けるって」
「お嬢ちゃんはそのう…
その為に帝都に?」
「え?
うん…」
少女はもじもじしながら、アレハンドラを見上げる。
こんないたいけな少女を、いかがわしい目的で奴隷にするなんて。
アレハンドラは、彼女を買ったと思われる貴族に殺意を抱く。
怒りの形相を作りながら、彼はブツブツと呟く。
「なんて事を…」
「え?
だって大人の男の人は、女の人にそうさせるんでしょう?」
「そうじゃ無い
確かにそういう事をする奴等は居るが…
ああ!
もう!」
「おじさんは…
しないの?」
「ああ!」
「わたしを裸にしたりとか…」
「しないしない!」
「ご奉仕ってよく分からないけど、それも良いの?」
「ああ!
何処でそんな言葉!
って農場のおっさん共か」
「うん
兵隊さん達は、その為に他の国を攻めるんだって」
「くそっ」
アレハンドラの漏らした怒りの言葉に、少女はビクッと反応する。
「あ!
すまない
怖がらせるつもりじゃあ…」
「ううん
でもおじさんなら…」
少女は目を潤ませ、アレハンドラを見上げる。
うぐっ
確かに可愛いが…
いや!
違うぞ
何を考えているんだ
アレハンドラは自分の頭を、拳骨で叩いた。
ゴチン!
「え?」
「そんな事はしなくて良い」
「良いの?」
「ああ
しかしそんな事で帝都に?」
「うん…」
少女はそう言いながら、襤褸の中から一枚の紙きれを引っ張り出す。
それは昨日、アレハンドラが目にした物と同じだった。
「勅令…状?」
「え?」
アレハンドラは混乱していた。
勅令とは、軍か貴族ぐらいしか受け取らない。
ましてやこんな少女が、勅令の対象になる事は珍しかった。
アレハンドラは勅令状を受け取ると、それに目を通す。
勅令
ミリアーナ
汝は軍規に則り、帝都へ赴くべし
詳しくは帝都に到着次第、追って連絡するものとする
帝国軍、帝都軍事課、人事担当フレスカ
勅令にはそれだけ、簡潔に記されている。
名前が違うだけで、アレハンドラが受け取った物と同じだった。
こんな少女が軍規?
一体どういう事だ?
アレハンドラには理解が出来なかった。
「これを持って来たのは?」
「さっきの兵隊さん達です」
「他には何か?」
「何も…
この紙と一緒に、切符を渡されました」
「ああ
さっきの切符か」
しかし兵士達も、当然の様に何も知らないのだろう。
こんな紙切れ一枚では、何をするのかも分からない。
「それで…
兵士とここに?」
「はい
おくれたらマズいんだって…」
「勅令だもんな
しかし…」
「それでね
準備をしようと思ったら、おじさん達が…」
「ああ
さっきの農場のおじさん達か」
「はい
持っている物は荷物になるだろうから、こっちで処分しとくって」
「おい」
「それでその時にね…」
「ああ
さっきの話か」
「うん…」
少女は話し難そうに、もじもじしていた。
「なぐさみもの?
になるって」
「ああ!」
「それでなぐさみものってなあにって聞いたら…」
「くそ!
碌な大人が居なかったのか」
アレハンドラは事情を聞いて、怒りに任せて壁を蹴る。
しかしそうしたところで、少女の境遇は変わるものでは無い。
軍が何の用件で呼んだのか分からないが、どうやら少女はこの年で、軍に所属している扱いらしい。
これがどこぞの、貴族の子弟ならまだ分かる。
アレハンドラは、念の為に少女に確認してみる事にする。
「なあ
答えたく無かったらそれで構わないが」
「うん」
「お前さんのご両親は?」
「あ…」
「ああ、構わない!
辛い事を思い出させちまったな」
「ううん」
「それなら、何をしてたか分かるか?
例えば兵隊だったとか
どっかの貴族の家に入っていたとか」
「ううん
そんな話は聞いた事はないよ
お父さんは細工師だって…」
「ふむ
職人か…」
「うん
お母さんはそれを売りに行くって…」
「ああ…
貴族では無いのか」
「え?」
「この紙切れはな、貴族や軍人が受け取る物なんだ」
「え?」
「ここに書かれた名前…」
「読めない…」
「そうか…」
少女は10歳前後に見えたが、どうやら教育はあまり受けていないのだろう。
自分の名前なのだが、読めないでいた。
「ここにミリアーナとあるが
これがお嬢ちゃんの名前で合っているか?」
「うん…」
「そうか…」
どうやら勅令の宛先は、この少女で間違い無いのだろう。
ミリアーナという名前はありふれているが、兵士が来た事から間違い無い筈だ。
しかし身寄りを無くした少女に、軍が何の用事があるというのだろう。
軍規と書いている辺り、末端の士官の判断では無いのだろう。
だからと言って、上級士官がそんな少女を、奴隷として求めるだろうか?
アレハンドラは、一先ずは自分が少女の面倒を見る事にする。
このままでは、無事に帝都に着くかも怪しいからだ。
少女は思ったよりも、まだまだ幼い様子だった。
「ああ!
問題が山積みだな」
「え?」
「まあいい
お嬢ちゃん」
「ミーア」
「ん?」
「お母さんはそう呼んでくれた」
「そうか
ミーア」
「うん」
「おじさんは止めてくれな
私はアレハンドラだ」
「あれは…」
「難しいか…」
「アレン!」
「ああ
それで良い」
アレハンドラは少女の手を握って、ラウンジへ向かう事にした。
少女はまだ遠慮していたが、アレハンドラは遠慮するなと説得した。
「私も兵士だからな
お嬢ちゃ…」
「ミーア」
「ミーアの面倒を見る義務がある」
「でもわたし…」
「お金の事は心配するな
後で軍のお偉いさんに、しっかりと請求してやる」
「良いの?」
「ああ
言っただろう?
子供は遠慮するなって」
「うん」
ミーアは心を許してくれたのか、次第に表情が和らいでいった。
朝食は簡単な、ハムを挟んだサンドイッチを食べさせた。
紅茶は苦いと言っていたが、テーブルに置かれたミルクと砂糖を入れてやる。
砂糖は高級品らしく、見た事も無いと言っていた。
そんな田舎の少女を、軍部は何の目的で召還したのだろう。
ミーアが眠ったところで、アレハンドラはランドロフに挨拶をする。
「おはようございます」
「ああ
おはよう
ゆっくり眠れたかね?」
「ええ
魔導列車は初めてですが、以前に貨物列車には乗った事がありまして」
「ああ
輜重部隊の経験が?」
「いえ
私の身分ではとても…
訓練の為の同行です」
「訓練?」
「はい
エラン老と同じで、軍曹として教練を行っていました」
「ああ
そういえば言っておったな
それで今日は、あんな可愛らしい子を?」
「いえ
その事でお耳に入れたい事がございます」
アレハンドラは、ミーアから聞いた事を掻い摘んで話した。
ランドロフは最初、怒りに身を震わせていた。
昨日の話からも、この老人は誠実な軍人だったのだろう。
軍部の腐敗の可能性があると感じて、怒りを感じているのだ。
「ふむ
最近の軍部は腐り切っておる」
「ランドロフ様!」
「よい
ワシはどの道、老い先短い
この程度の事で、ワシの命を狙う馬鹿も居まい」
「それは過小評価では…」
昨日と同じ護衛が、今日もランドロフ老の傍らに立っている。
先程見掛けた時には、違う護衛の姿も見えていた。
しかし老人は、彼の事を気に入っているのだろう。
アレハンドラがミーアの相手をしている間も、老人は彼と愉しそうに話していた。
「それで?
ワシの耳に入れたという事は…」
「そうですね
帝都までは私が、彼女の身を守ろうと思います」
「うむ
よい判断じゃ」
「孤児の浮浪者を?
問題が起きてからでは…」
「浮浪者では無い
そもそも孤児になった理由も…」
「そうじゃな
軍部で呼び出したとなれば、その辺も関係がありそうじゃ」
「ええ」
「私生児という事か?
それなら貴様も…」
「これ」
「しかし」
「良いんですよ
それはどうせも良い事です
むしろ問題は…」
「そうじゃな
あんな小さな子供を、軍が呼び出した事じゃろう
何だかキナ臭いのう」
「ええ
ですからお話ししたんです」
「貴様!
ランドロフ様に…」
「よいのじゃ
ワシも話を聞けば黙っておれん
そう思っからこそ、話してくれたのじゃな」
「はい」
少女が帝都に着いた後、どんな過酷な運命が待っているか分からない。
だからアレハンドラは、ランドロフにこの事を話したのだ。
自分も召喚されている身なので、少女を守ってやる事が出来ない。
だからこそ、帝都で力のあるランドロフを頼ったのだ。
例えそれで、自分が何に巻込まれようとも、アレハンドラは守ってやりたいと思っていた。
「話は分かった
ワシの方でも気に掛けておこう」
「ありがとうございます」
「ふん
図々しい奴だ」
「これ」
ランドロフに注意されて、兵士は不満そうに顔を顰める。
しかし注意だけで済んでいるのも、彼の事を気に入っているからだろう。
二人の仲を微笑ましそうに見ながら、アレハンドラは一礼をして席を立つ。
それから寝台車から毛布を取って来て、少女の上にそっと乗せてやる。
少女は身動ぎをしてから、小さく寝言を呟く。
「ううん…
…あさん…」
「っ!」
アレハンドラはその言葉に、少女の心細さを感じる。
毛布の上から、そっとその肩に手を乗せてやる。
それを感じ取ったのか、少女はアレハンドラの手を掴んだ。
そうして安心したのか、安らかな寝息を立て始めた。
どういう経緯にしろ、この子は天涯孤独なのだ
その上恐らく、両親が遺した物も全て奪われている
最初に見たみすぼらしい格好も、そう考えれば辻褄が合う
その農場の男共は、許せんな…
アレハンドラが怒りに表情を変えると、少女もビクッと反応する。
それでアレハンドラは、慌てて怒りを鎮めようとする。
危ない危ない
起こしてしまうところだった
暫くはこうして、ゆっくり寝かせてやろう
アレハンドラはそう思い、寝息を立てる少女を見守っていた。
アレハンドラが少女を見守っていると、ランドロフが席を立った。
そのままニッコリと微笑むと、彼は無言でラウンジを去った。
恐らく声を掛けると、少女が起きてしまうと思ったのだろう。
ランドロフの気遣いに、アレハンドラは頭を下げて応える。
連れの護衛の兵士も、声を発てない様にその場を去った。
それから少女は、昼過ぎまで眠っていた。
よほど疲れていたのだろう、起きても暫く周囲をみまわしていた。
「ふみゃあ…
お父さん
ここどこ?」
「ああ
ここは山岳地帯だな」
「さんがくちちゃい…」
「ふふ…」
暫くぼーっとした後、少女は不意に顔を真っ赤にした。
「あ…
ああ…」
「よく眠れたかい?」
「ああ…」
「はははは
そろそろ昼食なんだが?」
「え?
いえ…」
「遠慮はするな」
「ひゃい…」
少女はもじもじしながら、アレハンドラをチラチラと見ていた。
「ん?
パスタで良いかな?」
「は、はい」
「あのう…」
「ん?」
「眠ってしまってすいません」
「ああ、気にするな
疲れていたのだろう?」
「え?
でも…何も仕事…」
「ん?」
少女は再び、緊張しながらアレハンドラを見ていた。
「子供は眠るのも仕事だ」
「でも…
何も仕事をしないのは、ごくつぶしだって…」
「それも農場の?」
「はい
牛の世話や畑の手伝い
皿洗いも…」
「おい
ちょっと待て」
「え?
少なかったですか?
わたし…まだ子供で働けなくて…」
「いや、それ全部してたのか?」
「はい
それで遅くって…
いつも食事が抜きな事が多くって…」
「はあ…」
少女の仕事の量を聞いて、アレハンドラは呆れていた。
そこまで働けるのは、元から農場で働いている子供ぐらいだろう。
それもある程度大きくなった、少なくとも少女よりは歳が上の男の子だ。
こんな小さな少女が、食事抜きでする仕事の量では無い。
「それは農場の他の子供も?」
「いえ
他の子は…」
「男の子達は?」
「一緒に他の子と遊んでました
わたしはやしなわれる?
外の子だから…」
「仕事をしないといけないと?」
「はい…」
「許せんな…
殺すか?」
「え?」
「何でも無い」
アレハンドラの物騒な言葉に、一瞬だが少女は怯えていた。
それでアレハンドラは、表情を崩して誤魔化す。
しかし内心では、腸が煮えくり返りそうだった。
「それで?
よく眠れたかい?」
「え?
はい…」
「それは良かった
さあ、お食べなさい」
給仕が運んで来た食事を見て、少女は涙を流しそうになっていた。
「どうした?
嫌いだったか?」
「いえ
こんなごちそう…
年に何回ぐらいの…」
「そうか
でも帝都ではね、これぐらいが普通なんだよ」
「え?」
少女は驚いて、目の前の食事とアレハンドラを交互に見る。
「兵隊さんも…」
「アレハンドラ」
「あれはん…」
「はははは
もうアレンで良いよ」
「アレンさんも、毎日こんなごちそうを?」
「ご馳走じゃ無いぞ
兵士は毎日じゃ無いけど、これぐらいの食事は食べれるぞ」
「はわわわ
凄いです」
「そうか?」
少女は目の前のパスタを見て、ナイフとフォークを見詰める。
「こうして食べるんだ」
「へえ…
くるくるして楽しそう…」
「ははは
冷めない内に食べなさい」
「はい」
アレハンドラは、食事をしながら話をする。
パスタは茸と貝の身を煮詰めたスープが掛けてある。
貝の身は殻が着いていないが、本来はその身をフォークで取る必要がある。
その辺の説明をしながら、パスタを二人で食べ進める。
「へえ…
からですか?」
「ああ
本来はこうして…
両側から固い殻が身を包んでいるんだ」
「へえ…」
「ほら
冷えてしまうよ」
「あ、はい」
少女は貝を知らなかった。
アレハンドラが住んでいた地域は、海から少し離れた内陸部だった。
そんな彼でも、貝料理は滅多に食べる機会は無かった。
少女の住んでいた地域は、雪国の山の中だっただろう。
そんな場所では、貝を見掛ける事すら無かっただろう。
「帝都に着けば、ケーキという食べ物もあるぞ」
「ケーキですか?
お父さんが話してくれた事がありましたが…
白くて丸い食べ物ですよね?」
「ああ
甘くて美味しいクリームが掛けてあるんだ」
「クリーム?」
「ああ
クリームは知らないか?」
「はい」
「蜂蜜より甘くって、ふわふわで柔らかいんだ」
「はわわわ
甘くてやわらかいんですか?」
「ああ」
アレハンドラの言葉を聞いて、少女は目を輝かせていた。
その様子を見て、給仕も思わず微笑んでいた。
最初は給仕達も、少女の乗車した時の話を聞いて不審そうにしていた。
しかし今は着替えて、身綺麗にしている。
それで少女の子供らしい様子を見て、思わず顔を綻ばせていた。
年相応に目をくりくりする仕草は、たまらなく可愛く見えただろう。
「クリームなら在庫がある
今晩用意してやろう」
「良いんですか?」
「お嬢ちゃんの様子を見りゃあな
作り甲斐があるってものよ」
「ありがとうございます
良かったな」
「え?
良いんですか?」
「ああ」
「高そうですよ?」
「良いんだよ
子供は遠慮しちゃあ…」
「駄目?
ですか?」
「ああ
それにシェフも作りたいってさ」
「おうよ!」
ラウンジに顔を出した、シェフもにんまりと笑っていた。
それでミーアは、すっかり上機嫌になっていた。
客車に移動しても、上機嫌で鼻歌を歌っている。
座席に腰を掛けて、足をぶらぶらさせながら鼻歌を歌う。
本来なら、行儀が悪いと注意すべきなのだろう。
しかしあまりにも可愛いので、アレハンドラは叱らずに眺めていた。
こんな可愛らしい子供を、碌に食事を与えないで働かせるとか…
やはり許せんな
いっその事、帝都での任務が終わったら、調べて処刑しに…
「アレン
怖い…」
「あ…」
いつの間にか、ミーアは鼻歌を止めて心配そうにアレハンドラを見ていた。
どうやら気付かぬ内に、殺気が駄々洩れになっていたのだろう。
ミーアを安心させる為に、アレハンドラはニッコリと笑顔になる。
「な、何でも無いぞ」
「だって…
怖い顔してた」
「そ、そうか?」
「うん
まるで農場のおじさん達みたい」
「その農場のおじさん達って、ミーアの知り合いなのかい?」
「ううん
お父さんとお母さんが帰って来なくなって
わたしを引き取りに来たって」
「ん?
どういう事だ?」
ミーアは言葉を思い出しながら、何とかアレハンドラに説明する。
「ええっとね…
まずはお父さんがね、北にしごとに出かけたの
こうざんで石を探すんだって」
「ふむ
細工師って話だったな」
「うん」
ミーアの話では、父親は細工の仕事をしていたという事だった。
そう考えれば、鉱山に向かったのは鉱石の買い取りだろう。
それを加工して、銀細工でも作っていたに違いない。
問題はその父親が、どういして居なくなったかだ。
「お父さんはね、こうざんから帰って来なかったの」
「ん?」
「それでお母さんがね、お父さんを探しに出かけたの」
「え?
帰って来なかったってのは?」
「分かんない」
「っ!」
「でもね
おじさん達は親切だったの
親切でみよりの無い、ミーアの事めんどう見るって」
「その親切ってのは誰が?」
「おじさん達が言ってたよ?」
「ああ!
全く!」
「え?
どうしたの?」
「なあ
おじさん達は近くに住んでいたのかい?」
「ううん
馬車で山をこえたよ」
「…」
本当に親切な人物なら、自分から親切だなんて言わないだろう。
ましてや山を越えたとなれば、近所の知り合いという線も薄い。
そして彼女の境遇から、親戚のおじさんとも思えない。
上手く騙して、働き手として連れ去られた可能性が高いだろう。
しかもまだ少女だから、自分の住んでいた場所を覚えているかも怪しい。
アレハンドラは頭を掻きながら、そのおじさん達に呪詛を送りたいと思った。
こんな少女を拐かして、騙して働かせていたのだ。
それも話を聞く限りでは、身の回りの品も奪われている様子だ。
アレハンドラは、もしかしてとも思っていた。
少女の両親が居なくなった事も、その男達が関わっているのでは?
しかし疑惑があるだけで、証拠も確証も無かった。
アレハンドラは後で、ランドロフに相談してみようと思った。
「ねえ
アレン…」
「大丈夫だ
問題無い」
「え?」
「お父さんとお母さんは、帰って来なくなってどれぐらいなんだ?
少なくとも、ミーア一人では食事も出来なかっただろう?」
「うん
お母さんがお金を置いてくれて
近所のおばさんも見に来てくれていたけど…」
「それで?
何日ぐらいそうしてたんだ?」
「1しゅうかん?
そのぐらいかな?」
「それまでにそれぐらい家を空ける事は?」
「無かったよ
こうざんまでは数日だって」
「そうか…」
「因みにそのおばさんって、例の農場とは?」
「さあ?
でもおばさんも、3日で来なくなったから…」
「それからは?
食事やお風呂は?」
「お風呂は分からないから…
食事はパンを買ったよ
一枚で売ってくれたの」
「っ!」
それは恐らく、銅貨1枚の価値も無かったのだろう。
少女は騙されて、お金も巻き上げられた可能性が高い。
いや、それよりも、家も奪われた可能性が高いだろう。
両親の内のどちらか片方でも、戻っていれば少女を探しただろう。
それが無い事を考えれば、何らかの処置を講じて亡くなっている筈だ。
そうして邪魔な少女も、農場に引き取られたのだろう。
だから少女は、戻る場所すら無いと思われる。
それに下手に戻れば、再び農場で働かされるだろう。
「ありがとう
よく分かったよ」
「う、うん…」
少女は話し終えた後に、暗い表情になっていた。
「ねえ
お父さんとお母さんはやっぱり…」
「それは分からない
分からないけど…」
「そう…」
「おじさん達がね、わたしはすてられたんだって
だから親切なおじさん達が、わたしをひろってくれたって」
「くっ…」
「でも…
違うんだよね?」
「ああ」
「お父さんとお母さんはもう…」
「ああ…」
「うっぐ…
うわあん」
少女は堪え切れなくなったのか、泣き出していた。
アレハンドラは少女を、優しく抱きしめていた。
考えてみれば、少女はずっと不安そうにしていた。
それをよく考えずに、自分が掘り返してしまったのだ。
アレハンドラは、それは自分の愚行が招いた結果だと猛省していた。
だから少女が泣き止むまで、ずっと優しく背中を擦ってやっていた。
いつしか少女は、泣き疲れて眠っていた。
それでもアレハンドラは、少女を抱き締めて背中を擦ってやる。
せめてこの寂しさが、少しでも癒える様にと…。
少女が泣き止んでから暫く経ち、アレハンドラは少女を座席に寝かせてやる。
それから顔を上げると、すぐ側にランドロフが立っていた。
護衛もその横に立ち、少女をじっと見詰めている。
「大分激しく泣いていた様じゃが?」
「ええ」
「お前さんも酷い顔じゃ」
「ええ」
「どうしたんだ?
いった…」
「しっ
寝かせてやってください」
「あ、ああ…」
三人は少女が見える様に、近くの席に移動する。
そこでアレハンドラは、少女に聞いた話をした。
途中で何度か、護衛の兵が怒声を上げそうになる。
それをなんとか押さえながら、アレハンドラは聞いた全てを話し終えた。
「うむ
その話をどう思う?」
「どう考えたってそ…」
「私もこれは、計画的な犯罪だと思っています」
「うむ
そうじゃなあ…」
ランドロフの中でも、これは犯罪だと確信していた。
しかし肝心の、証拠は無いだろう。
それにそもそも、軍部で調べなければ農場の場所も分からない。
農場に向かえに来た事から、少女の行方は軍に報せが入っているのだろう。
しかしそれでも、彼女の身柄がそのままだったのが気掛かりだ。
恐らく金を掴まされて、軍の方でも臭い物には蓋をしているのだろう。
「これを聞いて…
お主はどう思う?」
「許せ…ないです
しかし…」
「おい!」
「静かに
彼は帝都に召喚されておる身じゃ
それに…それで無くとも」
「ええ
私は偶々同席した身です
何かしてあげようにも…」
「そうじゃな
ワシ等は部外者じゃ」
「ランドロフ様
オレは…
オレは…」
「分かっておるわい
帝都に着いたら、ワシの方で調べておこう」
「よろしいのですか?」
「うむ
その話を聞いた以上、ワシも黙っておれん
それに…」
「さすがはランドロフ様」
「これ
静かにしろ
起きてしまうじゃろう」
「あ…」
ランドロフとしては、幼い少女に起こった事を許せないと思っていた。
それに、そんな少女を何故、軍部が欲しているかも気になっていた。
一介の細工師の娘を、何で探してまで欲しているのか?
それが気掛かりだった。
ランドロフ心配そうに、眠る少女を見詰めていた。
まだまだ続きます。
ご意見ご感想がございましたら、お聞かせください。
また、誤字・脱字、表現がおかしい点がございましたら、ご報告をお願いします。