第二節 出会い
アレハンドラは列車の中で、ゆっくりと過ごしていた
この魔導列車は大陸を東から、西の帝都まで横断する事になる
今回は帝都までだが、その先にも西側への鉄道は敷設されつつあった
しかし今では西は、魔物が出ていて作業が中断されているという噂だ
魔導列車はガタゴトと音を立て、高速で走り続ける
このまま直通で走れば、帝都まで一週間ほどで着くだろう
しかし途中で何ヶ所か、大きな貴族領で停車する予定がある
だから到着予定時刻は、10日後の夕刻になる予定だ
ガタンガタン!
プシューッ!
深夜を少し回った頃、列車は駅に入って一時停車する。
この辺りは山岳地帯で、これから雪の中を走る事になる。
その為に雪上を走る為の、設備をここで整えるのだ。
駅員や整備士が、慌ただしく列車の周りを走っている。
アレハンドラが今居る場所は、仮眠する為の寝台車になっている。
長距離切符を持つ者は、この寝台車で仮眠を許されている。
勿論アレハンドラは、一介の兵士であって貴族では無い。
だから仮眠の為の部屋も、一番安い小さな相部屋を使っていた。
ガタガタ!
ガキン!
ゴトゴト!
先頭の車両の辺りで、金属製の砕氷器が取り付けられる音がする。
あれを取り付ける事で、雪が少々積もっていても平気で走れるのだ。
場合によっては、魔法で強化して強引に氷を突き破る必要もある。
辺境の山の中では、魔導列車でも過酷な旅が待ち受けているのだ。
そんな整備の音が聞こえて来るのは、ここが安い相部屋の寝台車だからだ。
貴族の寝台車はもっと後方で、防音設備もしっかりとしている。
この様な作業をしていても、中に音が聞こえる事は無い。
また、室内で何かしていても、その音が外に漏れる事は無い。
だから貴族の寝台車では、偶に犯罪紛いの事が行われていると噂されている。
先日の暴動騒動も、貴族の寝台車で起こった殺人が原因だった。
アレハンドラは嫌な事を思い出し、顔を顰めていた。
それは貴族の寝台車で、殺人事件が起こっていた事が発端だった。
当初は下級貴族の子爵が、寝台車で遺体で見つかった事が問題だった。
彼が終点の駅で降りないので、駅員が車内を捜索したのだ。
そこで変わり果てた姿の、子爵が発見された。
すぐに報せが飛んで、軍も入って捜索が行われた。
一緒に乗っていた筈の、奴隷の母娘が居ない事で捜索が行われる。
軍は彼女等が犯人として、街を虱潰しに捜査した。
程なく宿で休んでいる、母娘の姿が発見される。
問題はその後の事だった。
軍では始めから、彼女等が犯人だと決めつけていた。
まともに考えれば、彼女等が子爵を殺す事など出来ないのだ。
子爵は壮年であったが、男なのだ。
彼を殺すのに、女性二人では無理があった。
例え寝台車であっても、外には護衛の兵士も見張っているからだ。
それなのに軍は、彼女等が主犯として決めて掛かっていた。
そうして宿の中で、公開処刑が行われた。
いや、公開処刑という名の虐殺と言った方が良いだろう。
先に母親が引き出されて、無残にもなます切りにされた。
泣き叫ぶ娘の前で、無残にも惨殺されたのだ。
母親の方は妙齢で、兵士達にはあまり興味が無かったのだ。
それよりも若い娘が泣き叫ぶ姿に、兵士達は興奮していた。
アレハンドラはその日、兵士達の訓練で忙しかった。
点数稼ぎで士官達は街に出て、捜索に向かっていた。
それでアレハンドラは、残った若い兵士達の訓練を一人で受け持っていた。
今考えれば、それは幸運だったのかも知れない。
胸糞悪い処刑に立ち会う事も、その後の騒動に巻き込まれる事も無かったからだ。
実は母親は、子爵と近しい年齢であった。
その事もあって、子爵は母親を奴隷でありながら大切にしていた。
護衛の兵士達も、子爵に頼まれて母娘を宿に送り届けていた。
そして軍部にも、その事は伝えられていた。
しかし士官達は、それでも母娘が犯人だと決めつけていた。
それは偏に、彼女達が帝国に攻め落とされ、奴隷として捕まっていたからだ。
だから奴隷が反抗して、主人である子爵を殺したと勝手に決めつけていた。
それで処刑と称して、碌に取り調べもしないまま二人を惨殺した。
詳しい話は箝口令を敷かれていたが、惨たらしい殺され方をしたらしい。
母親の遺体もだが、娘の方の遺体は回収されていないからだ。
アレハンドラは、夕食の折に買った新聞に視線を移す。
最近の不景気は、人心も大きく乱していた。
その事が原因で、軍部の暴走も目立っていた。
その新聞にも、別の地方で起こった殺人について書かれていた。
これも似た様な、杜撰な操作で犯人が処刑されている。
はあ…
どこも酷い状況だな…
昼間のエラン老の言葉を思い出す。
母娘の処刑は、街の住民達の暴動にも繋がりかけていた。
事実現場に居た者達が、兵士を取り囲んでいたらしい。
それを暴動として、兵士が住民達を切り殺していた。
他の部隊の兵士が合流していなければ、その場で本当に暴動が起こっていただろう。
結局切られた住民達は、暴動を扇動したとして処分された。
それで犠牲者は、そのまま放置されている。
殺した兵士達には、何の処分も下されないままでだ。
夕刊の事件にも、兵士の処遇は書かれていない。
恐らくはそのまま、何事も無かった事にされるのだろう。
そんな事が積み重なれば、いずれ暴動に発展するというのに…。
アレハンドラは陰鬱な気持ちで、再び毛布を頭から被る。
折角出発までは、新天地に思いを馳せていたのに、今は暗い気持ちになっている。
それもこれも、興味本位で買った夕刊のせいだった。
帝都ではもっと、楽しい事があれば…
そう思いながら、アレハンドラはいつしか眠りに着いていた。
列車はそれから、定刻通りに出発する。
夜明け前には、新雪地帯を抜けて山の上に出ていた。
時刻は早朝で、ラウンジではまだ朝食の支度をしている。
彼は席に向かいながら、給仕に紅茶を頼んでおいた。
アレハンドラが席に着く頃には、外はすっかり雪景色だった。
その美しい光景に目を奪われて、アレハンドラは紅茶を飲みながら外を眺めていた。
「おや?
兵隊さんは雪が珍しいのかね?」
「え?
はあ…」
「ここはいつでも雪が積もっておる
溶け切る前に、次の雪が降るのでね」
「そうなんですか?」
「ああ
雪国は初めてかね?」
「はい」
アレハンドラは、初老の男性に話し掛けられていた。
彼は貴族らしく、黒いコートに高そうな杖を手にしている。
アレハンドラは平民らしく、彼が座る為に手を貸そうとする。
すぐ隣には護衛の兵士が居て、アレハンドラの事を睨んでいた。
「ああ、構わんよ
ワシは貴族とか平民とか、あまり気にしないんでね」
「はあ…」
「ランドロフ様
あまり平民に関わっては」
「言ったでしょう
ワシは気にしないと」
「ですが…
サバロフスクの事がありますし」
「夕刊の記事の…」
「おお
見なさったか
あれは酷い事件じゃ」
老人は席に着きながら、兵士に紅茶を持って来る様に指示を出す。
アレハンドラが代わりに行くと言ったが、老人はそれを遮り、アレハンドラに座る様に言った。
「あれはね、貴族の揉め事なんだ」
「っ…
それを私に話しても?」
「構わんさ
それに…
あんな事件が続けば、貴族への不信感も高まるというもの」
「…そう…ですね」
アレハンドラは、何とも答え難かった。
彼の目からすれば、この老人も立派な貴族だ。
平民の彼が、そんな貴族に堂々と文句は言えなかった。
「気にしなくても構わんよ
ワシは君の様に、真っ直ぐな目をした青年に問いたい
このところの事件は、貴族の名声を落としていると思わないかい?」
「それは…」
「ランドロフ様
彼もそのう…
平民の兵士でしょう?」
「おお!
そうじゃな
これに乗っておるので、てっきりどこぞの貴族の子弟かと…」
「いえ
私はとてもそんな…」
「しかし私生児では無いのかね?
そのう…
東の島国の血が…」
「ああ…」
アレハンドラは、ここで老人の言いたい言葉の意味が分かった。
彼の故国である筈の島国は、今では滅んでいるのだ。
そしてこの老人は、彼の出自を何となく察していた。
「お恥ずかしい話ですが、母が愛妾なだけで…」
「認知はされておらん」
「はい」
「嘆かわしいな…
産ませるだけ産ませて、その責任を取らんとは」
「いえ
兵学校には居れてくださりました
私はそれだけで…」
「うむ
良い母親を持たれたのじゃな」
「はい
立派な母でした」
アレハンドラの言葉に、一瞬だが老人は目を見開く。
しかし事情を察したのか、それ以上は言及しなかった。
暫く沈黙が続き、老人は紅茶を啜る。
それから懐かしそうに、目を細めて話し始めた。
「ワシが其方を…
ヤマトの者と言ったのには理由がある」
「ヤマトに行かれた事が?」
「ああ
ワシも若かった」
老人はそう言うと、懐を探ってパイプを取り出す。
煙草の葉を入れたところで、アレハンドラは火の魔法を使った。
指先の小さな種火を、老人のパイプに近付ける。
老人はその火を使って、煙草の葉に火を着ける。
「ふう…
あれは酷い戦争じゃった」
老人はそう言って、過去の体験を語り始めた。
「ワシがあの戦争に向かったのは…
当時は軍に所属しておったからじゃ
エレンフリートという軍人を知っておるかね?」
「エレンフリート?
まさかエラン老の事ですか?」
「おお!
知っておるか」
「はい
私の師匠です」
「そうか…」
「ワシとエレンフリートはな、よく言えば戦友…
いや、昔っからの悪友じゃな」
「エラン老が…ですか?」
「ああ
あの悪たれ小僧が、今じゃあハンピョンの名誉士官じゃと?
全く、年を取りたくは無いわい」
「ははは…」
自分の恩師を悪たれ小僧呼ばわりする老人に、アレハンドラは何となく親近感を抱く。
尤も相手は貴族なので、それは表には出さない様に注意する
彼は貴族で、自分は平民の兵士でしか無いからだ。
「ワシは…
今でこそ穏健派の貴族じゃが…
当時は開戦反対派の一人じゃった」
「東国開戦の事ですか?」
「ああ
ワシは何もしておらん、島国を攻撃する事は反対じゃった
そんな事をしても、何の良い事は無いからな」
「そう…ですね…」
ヤマト国を攻撃する際に、貴族でも意見が半分に分かれていた。
それも開戦の理由が、帝国の権威を示すという事だけだからだ。
島国に特に、何か反抗的な様子も無い。
そして国の中にも、特に特筆すべき産業も無い。
攻め込んでみたところで、何の旨味も無かったのだ。
それでも開戦に踏み込んだのは、一部の貴族の悪趣味な発想からだった。
苦しむ民を見て、美味い酒が飲めるだとか…。
質の良い女性が居れば、奴隷として奪えれるといった考えからだ。
「ワシは反開戦派
エレンフリートは開戦派じゃった」
「え?
エラン老がですか?」
「うむ
今考えれば、当時の奴は血に飢えておった
若くして戦地に赴き、戦う悦びを知ったのじゃろう
そんな若い兵士が、あの頃は多く居たのも確かじゃ」
結局開戦に踏み切ったのは、帝国の軍部が開戦を望んでいたからだ。
それは帝国が、長い戦いを経て周辺諸国を併合したからだ。
西を攻めるには物資不足で、後は東の島国だけだったのだ。
つまりは軍部の、適当なガス抜きの為に進軍されたのだ。
狙われた方としては、たまった物では無いだろう。
「帝国はあの頃、大きな侵攻を終えた後じゃった
それで軍としては、まだまだ手柄が欲しかったのじゃろう」
「手柄って?」
「そのまま落ち着かれては、軍が縮小される可能性があった
それに若い兵士達は、まだまだ戦いを求めておった」
「そんな事で?」
「ああ
そんな事でじゃ」
「っく!」
アレハンドラは、思わず叫びたくなっていた。
そんな下らない理由で、祖国は襲われていたのか?
何となく察していたが、老人の言葉で怒りが湧いて来る。
しかしここで怒っても、意味が無い事は分かっていた。
むしろこの老人は、開戦に反対していたのだから。
アレハンドラの事を思って、親切心からこの事を話してくれたのだろう。
アレハンドラは怒りを、何とか飲み込もうとしていた。
「ふむ
やはりいい目をしておる」
「え?」
「普通ならば、ここで怒りに任せておるじゃろう
しかしお前さんは、若い割りにしっかりとしておる
エレンフリートも良い若者を育てたものじゃ」
「それは…」
そんなエラン老が、開戦を望んでいた。
その事もアレハンドラの、心を千々に乱していた。
「エレンフリートはな…」
「え?」
「あいつは悔いておるのじゃ」
「エラン老がですか?」
「ああ」
「若さに任せて、開戦派に混じっておった事
そして戦地に赴き、そこでの暮らしを見てしまった
それで戦う事の、無意味さを痛感したそうじゃ」
「あ…」
ヤマト国は、東国の小さな島国だった。
そこでは漁業が盛んで、住民達は平穏に暮らしていた。
帝国の事は何となく知っていたが、まさかいきなり攻め込まれるとは思っていなかった。
帝国軍が上陸して来た時、住民達はのんびりと魚を捌いていたそうだ。
そこをいきなり、襲い掛かって皆殺しにしたのだ。
開戦後も、それはあまり変わらなかった。
再三の停戦の申し出を、帝国軍は無視し続けた。
そうして若い女性や子供、奴隷として奪って行く。
後の男や老人は、容赦なく皆殺しにされて行った。
後に残るのは、住民達の遺体と血の跡だけだった。
こうして帝国軍は、島国を蹂躙し続けた…住民が居なくなるまで。
「エレンフリートもな
ヤマトがそんな平和な国とは思っておらなんだ
軍部は知っておりながら、その事を秘匿し続けておった」
「何でです!」
「こら!
貴様!」
「落ち着きなさい
彼の気持ちも分かるでしょう?」
「しかし…」
「君もそちら側なんですよ」
「は、はあ…」
「え?」
護衛の兵士は、興奮したアレハンドラに警戒する。
そんな話を聞いて、落ち着けと言うのが無理だろう。
しかし老人は、そんな兵士に意味深い一言を投げ掛ける。
それで兵士は、苦虫を嚙み潰した様な表情をしていた。
「ワシ等の仲間はな、後悔しておるんじゃ
恐らく君のお父上も…」
「え?
私の父を知っているんですか?」
「ん?
君は知らんのかね?」
「ええ…
はい」
「ううむ…」
「母は父の事を、さる貴族の方としか…」
「それで愛妾と?」
「ええ
母はそう言っておりました」
「そうか…
ワシも詳しくは知らんのじゃ
ただエレンフリートからは、その様な出自の若者が居ると聞いておった」
「エラン老から?
それでは今回の勅令は…」
「いや?
すまんがワシも、軍部から離れて久しい」
「そう…ですか…」
アレハンドラは、父親が何者か知らなかった。
母が亡くなる前に、一度だけ話に聞かされた事があった。
しかしそれも、さる貴族の方としか教えられていなかった。
それ以上の事を聞く前に、母はこの世を去っていた。
残念ながら、それで父親との接点も切れていた。
「君は勅令で?
なるほど、それでここに居るんだね」
「はい…」
「なるほど…
うむ」
老人はそう言って、何度も頷いていた。
「何か困った事があれば、ワシを訪ねて来なさい」
「え?」
「勅令という事は、帝都に向かっておるんじゃろう?」
「ええ、まあ…」
「ワシは帝都の邸宅に暮らしておる」
「ランドロフ様!」
「良いんじゃ
ワシにも罪滅ぼしをさせてくれ」
「ですが…」
「ワシはランドロフ・ヴィシュゲント
その名を伝えれば、すぐに分かるじゃろう」
「しかし私は…」
「私生児とはいえ、本来は貴族の子弟
それにワシは…
あの戦いを止められなかった、罪滅ぼしをしたいんじゃ」
「ですが」
「この老い先短い老人に、罪滅ぼしの機会を…
与えてくれんかね?」
「分かりました
ありがとうございます」
「うむ
素直な良い目をしておる」
老人はそう言って、ニッコリと笑った。
彼は席を立つと、護衛の兵と共に寝台車へ向かった。
貴族の寝台車は、一般と違った豪華な客車になっている。
朝食もその部屋で、専属のシェフが用意する事になっている。
アレハンドラは頭を下げて、老人がラウンジを出るまで見送った。
朝食をラウンジで食べて、アレハンドラは再び紅茶を口にしていた。
外の景色は雪景色のままだったが、先ほどよりは雪の量は減っていた。
長閑な地方の景色を見ながら、アレハンドラは紅茶を飲みながら朝刊を受け取る。
今朝届いたばかりの最新のニュースが、朝刊には記されている。
そこには魔物の発見情報と、軍が戦って勝利したという見出しが書かれていた。
しかし記事の内容には、魔物の事が詳しく書かれていなかった。
まだ勝利したとはいえ、魔物の詳細は分かっていないのだろう。
アレハンドラは記事を流し読むと、そのまま新聞を手に客車に向かった。
読む本も無いので、そのまま暫く記事を眺める。
軍の勝利した記事以外は、地方の不況の状況しか記されていない。
暫くそれを眺めていたが、アレハンドラは興味を失って視線を外に移す。
そこは地方の都市部で、雪は掻き出されたのか道路の脇に溜まっていた。
そのまま列車は速度を落として、やがて駅に入ると停まった。
この都市から、また貴族でも乗り込むのだろう。
アレハンドラは何気無く、駅のホームに目を移した。
そこには兵士に囲まれた、何者かが列車に乗り込もうとしていた。
「ほら
列車に乗り込みなさい」
優しい兵士の声がして、小さな人影が列車の入り口から入って来る。
しかし後ろから、下品な若い男達の声が聞こえた。
「さっさと乗りやがれ!
このガキが」
「そんな事を言うものではありません」
「お前も平民だからな
そのガキを庇うのか?」
「な…」
「どうせその小娘に、懸想でもしたんだろう?」
「げひゃひゃひゃ」
随分と下品だな
どこも貴族の兵士は、ガラの悪い奴が居るんだな
アレハンドラはそう思いながら、乗り込んだ小さな影に目を移す。
それはみすぼらしい襤褸を纏った、10歳ぐらいの少女だった。
ん?
何でこんな子供が?
アレハンドラは連れが居ると思って、周囲を見回す。
しかし見回してみても、その少女を連れに来る者は居なかった。
「あ、あの…」
「良いから
帝都までは気を付けて向かいなさい」
「は、はい
ありがとうごじゃいます」
少女ははにかみながら、若い兵士に礼を言っていた。
しかしそれは、異様な光景だった。
話に聞くところによると、今では列車は貴族しか使っていない。
法外な金が必要なので、平民では乗る事が出来ないのだ。
それに、少女だけが乗り込んだ事も不思議だった。
以前なら、出稼ぎで地方から乗り込む者も居たかも知れない。
しかし大人では無く、小さな少女だけが乗り込んでいるのだ。
兵士が着いて来たのは、少女だけでは危険だからだろう。
しかしそう考えると、少女の服装もおかしいのだ。
その服はボロボロで、とても貴族が着ている様な服には見えない。
それがこうして目立っている原因だろう。
駅員達も少女を見て、不快そうな表情をする。
少女は列車が初めてなのか、辺りをキョロキョロと見回していた。
幸い出発まで、まだ少し時間が掛かるだろう。
しかし走り出すと、入り口に立っているのは危険だ。
アレハンドラは物珍しさもあって、少女に近付こうと立ち上がった。
「お嬢ちゃん
列車は初めてかい?」
「え?
あ、はい」
かく言うアレハンドラも、実は魔導列車は初めてだった。
しかし貨物列車には乗った事があり、軍でも簡単な説明は受けていた。
だから戸惑う事も無く、客席で寛いでいた。
しかし少女は、その身なりが本物なら列車の乗り方も理解していないのだろう。
「そこでは危ないよ
向こうの席にお座りなさい」
「え?
でも…」
「ん?」
「わたし…
こんな格好で汚れていて…
あんな綺麗な椅子に座ったら…」
「ああ
なるほど…」
言われてみれば、少女は薄汚れて服もボロボロだ。
座席の綺麗さに恐縮して、座れないで困っているのだろう。
アレハンドラは周囲を見回して、駅員の一人に声を掛ける。
「すまない」
「え?
何だ?」
「この子が着れる様な、子供用の服はあるか?」
「そんな物、買って来るしか無いだろう」
「どなたか売ってくれる者は?」
「そうだな…」
列車の出発まで、まだ10分ほどあるだろう。
しかし買い物に出ては、出発に間に合わなくなる。
駅員は座席と、少女を交互に見る。
それから溜息を吐くと、無線で何事か連絡を取り始めた。
「駅の前の服屋が、こちらに商品を持って来る
ただし高いからって…」
「分かっている
こちらも手間を取らせているからね」
二人が話していると、少女がおずおずと顔を覗かせる。
「あのう…」
「ああ
気にする事は無い」
「そうだぜ
そんな格好で座られちゃあ、座席が汚れちまう」
「おい!」
「あんたも同じ考えだろう」
「この子が困っているだろう?」
「あのう
結構です
わたし立ってますから」
「ほらみろ
お代は私が持つから」
「こんな浮浪児…」
「そんな事を言うな!
そもそも列車の乗客だろうが!」
「へっ
どうせどっかから盗んだ切符だろう」
「貴様!」
「あのう
わたしはいいので」
アレハンドラが駅員に掴み掛かっていると、服屋の女性が姿を見せる。
その腕には子供用の、古着が抱えられていた。
「あら?
この子の服なのね」
「ああ
こんな汚らわしい浮浪児が乗ったんじゃあ、座席が汚れっちまう」
「貴様…」
「まあ
なんて事言うの
こんな可愛らしい女の子を捕まえて」
女性はそう言いながら、少女の身長を目視でざっと図る。
それから手にした服から、少女に合いそうな数着を見繕う。
「これと…
これ」
「うむ
幾らかな?」
「本来なら金貨2枚になるけど…」
「う…
結構高いんだな」
「わたしいいです」
「女の子の服となると、古着でもこのぐらいよ」
「そうなのか?」
「もっと上等な服もあるけど…
旅に出るんでしょう?」
「みたいだな」
アレハンドラはそう言いながら、実は少女が何処まで向かうのか、何も聞いていない事に気が付く。
「あら?
お父さんじゃ無いの?」
「私がそんな年に見えるか?」
「いえ
お兄さんじゃあ合わないと思って」
「それもそうか…」
「いいです
わたしずっと立ってますから」
「子供が遠慮するものでは無い
金貨2枚だったな」
アレハンドラはそう言いながら、懐中から小銭袋を取り出す。
「そうね
兵隊さんが優しいから
金貨1枚で良いわ」
「え?
でも…」
「良いの
それに…この不景気で…」
「ああ…」
この街も、不景気の影響を受けていた。
よく見れば、女性も古着を着ている。
子供の…ましてや少女の服など、需要が少ないのだろう。
女性は金貨を受け取ると、腰を屈めて少女の目線に合わせてやる。
「大事に使ってあげてね」
「でも…」
「子供が遠慮しちゃ…駄目
ね?」
「ああ
そうだぞ」
女性はアレハンドラにウインクをしてから、少女に服を手渡した。
それから少女に手を振りながら、その場を去って行った。
「わたし…」
「良いから受け取りなさい」
「でも…」
「さっさと入れ!
出発するぞ」
駅員の声を聞いて、少女は目を閉じて固くなる。
このぐらいの年齢だ、大人の男に叱られては、怖くて仕方が無いのだろう。
アレハンドラは少女の手を引いて、列車の中に連れて行く。
そこで軋む様な音がして、列車が出発した。
「おっと」
「きゃっ」
「大丈夫か?」
「は、はい…」
「危ないから、安定するまで掴まってなさい」
「はい…」
少女は恐る恐るといった様子で、アレハンドラの足に掴まっていた。
アレハンドラは列車が落ち着くまで、そのまま席に掴まって待ってやる。
それから速度が安定して、列車の揺れも収まって来る。
「さあ
シャワーを浴びて来るか」
「え?」
「こっちに来なさい」
「はい」
アレハンドラは、寝台車に併設された風呂場に案内する。
ここは簡単な風呂場で、魔石を使ったシャワーを浴びる事が出来る。
魔石を使った魔道具なので、魔力の少ない子供でも扱える。
アレハンドラはその中へ、少女を連れて行ってやる。
「シャワーは使えるかい?」
「え?
そのう…」
「一緒に入るには狭すぎるし、知らない人とは嫌だろう?」
「え?
はい
そのう…」
少女は顔を赤くしながら、もじもじとアレハンドラを見上げる。
それでアレハンドラは、簡単にシャワーの使い方を教える。
「ここに魔石があるから…
魔力の注入は分かるかい?」
「えっと…」
「ふむ
それなら魔力の窯は?
使った事はあるかい?」
「それなら…」
魔石を使った窯は、大体の家庭で使われている。
少女がスラム街の出身でも無い限り、それぐらいは使った事があるだろう。
アレハンドラは少女に、魔石に込める魔力のコツも教える。
「急にいっぱい込めたら、お湯が熱くて火傷をしてしまうからね
ここに手を当てて魔力を流しながら、自分で調節してごらん」
「は、はい…」
少女は試しに、シャワーを手に当てながら調節する。
それで大体理解したのか、顔を綻ばせながらアレハンドラを見上げる。
「凄いです!
お湯が、お湯が出てます」
「そうか
一人で大丈夫そうかな?」
「え?
あ…」
少女は少し顔を赤らめながら、アレハンドラを見上げる。
「あの…」
「ん?」
「外で…
待っててくれますか?」
「ああ
ゆっくり暖まりなさい」
アレハンドラは少女の頭を、ポンポンと軽く叩いてやる。
それから恥ずかしくない様に、外で見張ってやる事にした。
暫くすると、少女の鼻歌が聞こえ始める。
アレハンドラはそれを聞きながら、微笑んでいた。
外は雪が積もるほどの寒さだ。
身体も凍えていただろう。
アレハンドラは少女の身なりを思い出すと、この国の現状を憂いていた。
あんな小さな子供が、着る物も困っているのだ。
そして同時に、あのご婦人の言葉も思い出す。
古着ですら、不景気で満足に買えない…か
あの子の親も、ひょっとして…
そこまで考えてから、慌てて首を振る。
手助けはしてやったが、これ以上は自分の出る幕では無いだろう。
あの少女を呼んだ者が、今後の面倒を見るべきだ。
例えそれが、奴隷の様な身分であっても。
そう考えながら、アレハンドラは少女の鼻歌に、耳を傾けていた。
まだまだ続きます。
ご意見ご感想がございましたら、お聞かせください。
また、誤字・脱字、表現がおかしい点がございましたら、ご報告をお願いします。