迷い家、迷い猫(短編版)
とびらの様主催、あらすじだけ企画の寄稿作品です。
「父さん四月から上海工場に出向になったから。母さんもついていくわ」
高校を卒業し、地元大学へ進む俺に両親から爆弾発言。
仕送りはする? でも社宅は出るから家が無い? ふざけるなよ! もうアパートも寮も満杯だ。
「安心しろ。叔父さんの家で暮らせばいい」
は? あの「迷い家団地」の家か!
工業団地の誘致を見込んだ分譲地、それが失敗して今ではそこに先走って建てた家が5、6件。俺にそんな家を手直しして暮らせという。
他界した叔父は建築士で、家は小さいがアトリエを兼ねた洒落た家だった。叔父は俺がデザインを志すきっかけになった人だ。ただし建築はゴメンだ。
家に入ってみると誰かが暮らしている形跡がある。そして何故か古い車箪笥。干してある女物の下着。
「数は数えてあるから。返して頂戴」
「取ってねーよ! 中学生か」
いつの間にか、猫のように音もなく立っていた彼女は葉月と名乗った。22歳、年上だ。
彼女の胸元には車箪笥の鉄の鍵があった。
彼女の家は昔気質の大工だったらしい。しかし不況で廃業。
彼女は工場を転々としていたが、派遣切りに遭ったのだという。そのとき叔父に何ヶ月か世話になったらしい。
その後また派遣、派遣切りを繰り返し結局無職に。叔父を頼って戻って来たが留守。悪いとは思ったが、そのまま隠れて暮らしていたという。
叔父が死んだと聞くと、葉月はここに置いて欲しいと言った。
「リフォームの手伝いも出来るし、ご飯も作れるよ。今からお昼を作るから、それで決めて頂戴」
そして出て来たのはおはぎと吸い物。懐かしい祖母の味だった。
そうして俺は葉月と一緒に暮らすことにした。葉月の部屋はそのまま。車箪笥は叔父から譲られたものだという。
学校の合間に、俺たちは家のリフォームをする。壁紙の張り替えや塗装のことなど、葉月は実際よく知っていた。
暮らし始めると、ガス屋に勤める幼なじみ、紫が点検に来た。いま彼女は光太郎と同棲しているという。2人とは中学高校で6年間つるんだ仲だ。
光太郎は外壁塗装のリフォームをやっているといい、この家を宣伝に使わせてくれれば安くやってやると言うので頼むことにした。俺もバイトで塗装の仕事を手伝うことにした。
回覧板を持ってきた班長の栗原さんと知り合いになる。
彼はこの土地の元の持ち主だった。売る気はなかったが、息子夫婦の娘が重い病気と分かり、海外での手術の資金繰りに手放したのだという。
その手術は成功したが、息子はその後嫁と娘を担当医にとられ、離婚後は借金を返すため遠洋漁業に出ているらしい。
夏休みに、葉月の作ったちらし寿司を囲んで、紫や光太郎、栗原夫婦を招いてパーティをする。葉月は若いのにこういう和食が得意だ。
俺がプレゼントしたサマードレスを着て照れて笑う葉月。彼女への恋心に改めて気づく。
秋になり、世界的な研究機関がこの県に来るとの噂が走る。
不動産屋や建設業界が目の色を変えて土地を買い漁る。この団地にも業者がやって来て、あやしい話を持ちかけてくる。
その様子に、俺はあのときの叔父の姿をい思い起こす。
昔、叔父は地元のハウスメーカーに勤めていたが、営業のとばっちりで会社を辞めた。
その営業は複数の客に土地の取り合いをさせ、優遇するといってリベートを取り、会社からは仮契約の報奨金を貰い、そうして金を取れるだけ取って最後に行方をくらました。
会社は耳を塞ぎ、叔父に責任をおっ被せた。地べたに土下座させられた叔父の姿は今もトラウマだ。
それが原因で俺は叔父と縁遠くなり、自動車のデザイナーを目指すようになった。
俺以外の団地の住人は、不動産業者の手先となり、家に昼夜なく押しかけて来る。
居場所が無くなると不安に泣く葉月。俺はここに住み続けると宣言し、ずっと一緒にいてくれと葉月に想いを伝える。
その日、帰宅が遅くなった俺と葉月の目に飛び込んできたのは、火事で燃え上がる隣の空き家だった。火は俺の家にも延びてきている。
そのとき葉月が首に掛けていた鉄の鍵を俺に手渡すと、水を被って家の中に飛び込んでいった。
その後火事は消し止められ、俺の家は外壁を焼いただけで済んだ。ただし消火で中は水浸しだ。
そして葉月は戻ってこなかった。消火の後、俺も家に入って探したが何処にも見当たらなかった。
家具とかの被害を確認しているとき、何重にも毛布にくるまれた車箪笥を見つけた。俺は鍵を使い、引き出しを開けてみた。
中には古い写真があった。幼い頃の叔父と、その母と思われる人が写っていた。そして彼女の膝の上には真っ白な猫がちょこんと座っていて、口元には葉月のほくろと同じ位置に斑があった。
俺は叔父の祖父が大工だったことを後で知った。
俺はあの家が建っていた場所にいる。
結局家は取り壊され、その後俺は保険金でアパートを借りた。
俺は専攻を建築科に替えた。いつか自分であの場所に家を建てる、それが今の目標だ。
立ち去ろうとする俺の後ろを、いま白い猫が通り過ぎたような気がした。