第11膳 ようこそ、茶道部へ!
「ねえ、読弦と一緒にいる男子、誰?」
「え、ほら、アンタと同じ特進の――」
どこで聞きつけたのだろう?
狭い部室の外の廊下にいつの間にかギャラリーがどんどん増えていっている。
はじめの頃は男女ともに数えるほどだったのだがいつの間にか二十人ぐらい。
……ほとんどは女子だ。
どれだけアイツは女子に恨みを買っていたのか。
「へぇ?今日はアイツ袴なんだ」
「何だか新鮮だね……」
そして入り口で見守っている北野さん。
最初の頃は余裕のあった彼女の顔がどんどん不安なものへと変わっていっている。
「頑張ってね?」
小声でそう言いながら振袖に着替えた美鈴が懐紙の上に載せてくれたのは茶菓子の羊羹。
「お先いただきます」
隣に頭を下げ、そっと三つに切って口に運んだ。
頭のなかを糖がめぐり授業で消耗した集中力を回復させてゆく。
一方、読弦は――。
(おいおい、あの食べ方ひどくね?)
なんと、人のあげた懐紙を使うこともなくビーバーのようにガツガツかじっているではないか!
「おい、旨いけど……どうせなら茶と一緒に出してくれよ」
横に控えていた美鈴のほうにアゴをしゃくり、おかわりまで要求している。
(勝負あったな)
ああ、茶の湯の作法は決して一分のミスも許されないほど堅苦しい儀式じゃない。
だが、心を落ち着かせ、茶の味に対面する上では有効なもの。
……彼のような向き合い方では正しい味など見定められるものではない。
「はい、皆さん。茶の湯は自由なのです。読弦君みたいな楽しみ方も歓迎ですよ~」
先生がフォローする声まで震えている。
今、場の空気を支配しているのは完全にこちら側だろう。
尤も、読弦が場の空気とやらに左右されるほど繊細な男だとも思えないが。
とは言え慢心は命取り……落ち着いて続けよう。
気持ちを舌先に集中、周りの雑音は一切拾わない。
「千寿君ってさ、今まで気づかなかったけどカッコよくない?」
「袴、似合うよね」
「わたし、茶道部入ろうかな……」
ギャラリーの女子たちが何か俺のことをガヤガヤと話しているようだがどうせ読弦に比べて身長が低いとかそんなことだろう。
拾ってもロクなことにはならないので無視だ、無視!
――まずはこちらの手番。
「お先頂きます」
隣に座る読弦に声をかけた後、目の前に置かれた茶碗を手に取る。
描かれた柄を見つめて心を落ち着け、くるりと碗を回す。
うっすら湯気と共に立ち登る香りを楽しんだ後……無地のところに口をつけて飲み干した。
ふわり。
舌先に触れた瞬間、口のなかに、いや顔全体に広がるふくよかな春を感じさせる香り。
控えめな苦味と、程よいお湯の暖かさが茶葉本来の甘味を引き立てる。
いつもの稽古で二人一組になった早馬がイタズラ半分に淹れるムダに濃い茶とはレベルが違う。
茶の湯の作法に従い、接待してくれた相手方に敬意を表すように。
ずず……。
音を立てて碗の底にある泡、新緑のクリームまでも体に取り込んだ。
至高だ、至高の一服。
飲み口を指で拭き、その指を懐紙で拭う……その合間に感じる後味すら素晴らしい。
――思わずにこりと満面の笑みを浮かべてしまう。
部屋の外から数人のギャラリーがゴクリと喉を鳴らす音が聞こえてきた。
「何あれ!? すごくきれいな飲み方」
「わたしもあんな風に……」
(おい、やばいぞ……!)
え?
何かぞくりとイヤな予感がした――。
ふと隣を見れば、読弦が勝利を確信した表情を浮かべているではないか。
あ!これは……敵にヒントを与えてしまったかもしれない!
(いやいやまだだ、まだ勝負はついてない!)
ああ、諦めるのはまだ早い。
しゃかしゃかしゃか――。
茶室に響く、茶筅の音が俺を現実に引き戻す。
気持ちを切りかえて……俺は二服目に向き合った。
先ほどと同じ要領で碗をくるりと回し、口をつけて。
……!!
(な、なんだこれ!? 味が全然――)
ヤツの度重なるマナー違反にもうすっかりお怒りなのだろう、桜先生もすごく意地が悪い。
部員ならともかくこんなもの……素人が『飲み比べ』できるようなものとは思えない。
今度は情報を渡さないようにポーカーフェイスに努めながらそっと二杯目の茶碗を置く。
そして。
「もう一杯いかがですか?」
桜先生からのおきまりの問いかけに一服目と同じものを、と返し……わざと隣に見せつけるかのようにもう一度、満面の笑みを浮かべて飲み干した。
そう、結論から言うと正解はたぶん『同額』だ。
一服目も二服目も同じ茶葉を使っている。
味にまったくといっていいほど変化が感じられなかったのだ。
その旨を懐紙にしたため、先生の脇に置く。
続いて読弦の番だ。
だが先ほど俺の表情をカンニングした彼はもうマトモに味を判断することはできないだろう。
目は口ほどに物を言う、人間の判断は視覚情報に引っ張られるものなのだ。
「味覚に正直になれば答えを出せる問いです」
そんな彼の様子を察して助け船を出す先生だったが彼の耳には届かないようで……。
片膝をついたまま乱雑に二杯を飲み干し案の定こう叫んだ。
「一杯目のほうがいいヤツに決まってる!」
「本当によろしいですか?」
「ああ!」
その返事を確認し、脇に俺が置いた懐紙を開き……。
「勝敗は決しました」
先生は高らかに宣言した。
「この勝負、千寿さんの勝利です!!」
――――――――――――――――――――――――――
戦いが終わった後……読弦は案の定、食い下がってきた。
今のは無効だ!もう一回やらせてくれ。同じ味だって分かってたのに!と。
「――と読弦君は言ってますが、どうします? 千寿君」
ムシのいい話だ。
勝手にカンニングして、勝手に負けた奴の言うことを聞く必要などない。
だが。
(こういう奴は納得するまでやらせたほうが安全なんだよな……)
ああ、この部屋の中で決着がつくならそれに越したことはない。
「わかりました、彼がそう言うのならもう一度やります」
そして再びはじまった闘茶勝負――読弦は真正面から挑んできた。
(アイツ、ズルしたせいで負けたのが相当悔しかったんだろうな……)
カンニングも、恫喝も何のズルもすることなく正々堂々と納得のいくように戦い、そして彼は負けた。
今、俺の手元には彼の誓約書がある。
【私、読弦 丈は北野 明里さんに近づかないことを誓います。】
噂に聞いたところによれば、彼は頭を丸めてサッカー部の部室の前で土下座し、復帰を懇願していたと言う。
ゼロから再びやり直すというが、さてどうなることか。
ちなみに……。
茶道部の入部希望者は確かに一時的に増えた。
だが、入ってきた女子五人のうち四人はすぐ去っていった。
「えっ、どういうこと~!? どうしてみんなすぐやめるのかな!」
部室にこだまする桜先生の悲痛な叫びを無視して今日も会話に花を咲かせる俺たち特進クラスの茶道部員。
「イメージと実際は違うからね、正座とか大変だしさ!」
「いやいや、学園いちの暴れん坊を制した謎の和装イケメンの正体がこんなちんちくりんだったってことのほうが原因じゃねーの?」
おい、誰がちんちくりんだよ!
「早馬だって人のこと言える顔じゃないよ?まあ、あの子達に同情するとしたら……」
そう言いながら一人残った新入部員のほうを見やり、ため息をつく美鈴。
「お目当ての男子にあんな綺麗な彼女がもう居ましたとかわたしでも速攻で諦めるかな?」
まだ入部して間もないはずなのに、その女子生徒はもうすっかりこの和室に溶け込んでいる。
お点前の技術はまだまだだが、きっとそれもすぐに皆に追いつくだろう。
「慶喜さん、今日は一緒に組んでいただけますか?」
「うん、早馬の茶もいいかげん飲み飽きたしな」
ひとり残った新入部員、北野 明里のほうに俺は笑顔を向ける。
ああ、彼女さえ近くに居てくれれば、俺にモテ期なんか要らない。
「良かった――慶喜さんを誰かに取られないか、それがすごく心配だったんです」
一応作者も多少は経験があるのですがひょっとすると実際の茶道と作法の描写が違うところがあるかもしれません。
現役の茶道関係者さま、感想欄で指摘いただければなるべく直したいと思います。
次回はお肉屋さんの放課後コロッケです!
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