第八話
夏休み二週間前。
初めて僕は彼氏とデートをする。
「馨、映画見ようよ。」
と彼に誘われたのが始まりである。
みかちゃんとの二週間の約束を果たし終わる頃だった。
「良いですね。何の映画見ますか?」
「君の心臓をたべたい。」
何とも衝撃的なタイトルを付けたものだ。
それは人気の映画らしく、病気の彼女が死ぬ話らしい。
最後、そのタイトルに涙する、か。
「面白そうです。」
と調べた事を根拠にそう話した。
映画が始まってから、四十分くらい経っただろうか。
彼氏が頬杖をついて見ているのに気がついた。
僕もありきたりなお涙頂戴な展開に飽き飽きしていた。
彼の手を取り、映画の男女を横目で見ながら、
「僕は君が好きだ。」
と役者が言うのに合わせて、口の動きを合わせて伝えてみた。
映画のシリアスな展開とは裏腹に、こちらの世界は実に和やかである。
結局、彼女は死んでしまい、彼氏は彼女が残した日記に涙した。
「俺も日記とか残しておこうかなぁ。」
と映画が終わった後の彼氏の第一声がそれだった。
「僕を泣かせる気ですか?」
「いや、違うよ。俺が死んでからも、俺の事を想って欲しいからさ。」
「…ちょっと泣いてもいいですか?」
「まだ泣く段階じゃないでしょ。」
と笑われてしまった。
近くのカフェに立ち寄った。
僕はカフェオレを頼んだが、彼氏はチョコレートフラペチーノを頼んだ。
毎朝、ブラックコーヒーを飲んでいたから、少し意外だった。
「みかちゃん、凄く可愛い。」
とフラペチーノを飲む彼氏を写真で収めてみた。
「ん?写真なんか撮ってどうすんの?」
「みんなに見せびらかして自慢します。」
「そんな事されたら、教師としての顔が立たなくなっちゃうなぁ。」
と冗談と受け取ったのか余裕そうに笑っている。
「まあ、絶対にしませんけど。」
と携帯の電源を切った。
「しても良かったのに。」
「教師、やめたいんですか?」
「やめたいというより、決まったレールから外れたいって思っただけ。このままだと死ぬまで教師だから。」
「もうレールから随分と外れてますよ。生徒の告白に応えた時点で。」
「普通なら断ってたのに、何でだろうね。凄い不思議。」
「僕も不思議です。」
ミルク多めのカフェオレの甘さが口の中に広がる。
「馨、これとか似合いそう。」
と僕の長い前髪をあげて、猫のヘアピンを頭にあてている。
「前髪が無いと落ち着かないです。」
「確かに。イケメンすぎて、こっちも落ち着かない。」
と彼は僕の前髪を下ろし、ヘアピンを棚に戻そうとした。
「じゃあ、これ買います。」
とみかちゃんの持ってるヘアピンを手に取った。
「え?」
「好きな人には格好良く見られたいです。」
と言うと彼は照れくさそうに目を泳がせた。
会計を済ませ、ヘアピンを付け、彼の元へ行くと、「凄い似合ってるよ。」と言われた。
灰色の目を見られるのにまだ少し抵抗を感じていたので、余計に嬉しかった。
「みかちゃん!」
と蛇のぬいぐるみをドッキリで投げてみた。
「蛇?可愛い。」
とナイスキャッチをされた上、驚きもされなかった。
完全に失敗した。
「これ、王蛇かな?」
「王者?」
「ニシキヘビの事。別名で王蛇って言うんだよ。」
「へー、初めて知りました。王冠被らせたら、完璧じゃないですか?」
「ふふっ、そうだね。家に飾ろうっと。」
「ヘアピン。似合ってるけど、お父さんが帰ってくるまでには外すのよ。」
母はそう言って、仕事に出かけて行った。
一日が楽しく過ぎて、すっかり夜になってしまった。
機嫌良く絵を描いていると、玄関が開く音がした。
空気が重さを持った。
その重さを無視して、機嫌の良さを保つ。
「ただいま。」
「おかえり。」
と目も合わせずに交わす。
「馨、何だその髪型。」
「凄い似合ってるでしょ?」
とぎこちない引き攣った笑顔で答える。
「お前は何度言えば理解出来るんだ?」
「何?父さん。」
と無理矢理の笑顔を保っていると、平手打ちを食らった。
「その目を俺に見せるなって言ってんだよ。気持ち悪い。」
頬がジリジリと痛む。しばらく言葉が出なかった。
「ねえ、父さん。聞いてよ。僕の恋人はね、僕の目を綺麗だって言ってくれたんだ。」
絵を描いていたタブレットをテーブルの上に置いた。
後ろのキッチンにいるから、聞こえているはず。
「父さんは一度もそんな事、言ってくれないよね。」
しばらくの沈黙の後、
「馨、ちょっと来い。」
と言われ、素直に近づいてみた。
「それ、その恋人とやらのプレゼントか?」
椅子の上に座って、脚を組んでいる。
「うん。」
「じゃあ、こうしよう。次にお前がその目を俺に見せたら、その髪留めを壊す。良いな?」
「嫌だ。」
と嘲笑って見せると、椅子から立ち上がって、凄い形相で胸倉を掴まれた。
「俺が親切でこう言ってやってんのに。」
「僕はもうお前の言いなりになんかならない。」
と言うと、
「お前なんかが俺に逆らう気か?お前の高校だって誰が行かせてやってると思ってるんだ。」
と言われた。
「あーあ、良かった。お前が僕の実の父親じゃなくて。」
「お前、ふざけんなよ。」
と思いっきり首を絞められた。
僕はお前のせいで人の顔色ばかり伺うようになった。
自分に自信だって無い。
嘘でもいいから、僕を認めてくれる人が欲しかった。
こんな僕を愛してくれる人が欲しかった。
頭から血の気が引いていく。
僕はこのまま死ぬのか。まあ、死んでもいいや。
父親が何か言っているが理解出来なかった。
突然、首から手を離した。
僕はその場で倒れ込んだ。
呼吸をするのが難しかった。
しばらくして呼吸が出来るようになると、自室に引きこもり布団を被った。
「もしもし。」
「みかちゃん、死にたい。助けて。」
受話器から聞こえるか細い声は今にも消えてしまいそうだった。