第四話
「お砂糖ちゃーん。今日も社長出勤おつかれー。」
と教室のドアを開けるやいなや、一番前の席に座っている飴ちゃんに言われた。
「今日はどうしたの?最近は無かったのにー。」
前から二番目の自分の席に座ると、椅子に後ろ向きで座り直してから、そう聞かれた。
「今日は熊に襲われちゃってね。危うく死ぬところだった。」
「へー、熊かぁ。すげー。殺したの?」
「うんん、今日は逃がした。けど、次会ったら殺して食べようかな?」
「あはっ。さすが、馨ちゃん。」
「でしょ?」
飴 霰は僕の作り話が好きらしい。
いつも話をニコニコしながら、聞いてくれるから話していて楽しい。
「何話してんだ?お前ら。」
と後ろから歩いて話しかけてきたのは柿崎 匠。
「今度、熊肉食べようって話。」
「お砂糖ちゃんが、狩りしてくれるんだよぉ。」
「え?馨、狩猟免許持ってんの?」
「うん、持ってるよ。」
と答えている途中、思わず笑ってしまった。
そして、
「おい、それ絶対嘘だろ。」
と僕の見えすいた嘘を笑われた。
「いや、だって、真剣な顔して聞いてくるからさぁ。」
なんて言い訳をして、笑い合った。
美術室には絵の具と木材が混じったような独特な匂いが充満している。
そして、そこにいる教師の風貌は人とは少し違う。
両耳で計七つのピアスが開いており、後ろで無造作に束ねた黒髪はハムスターの尻尾みたいで可愛らしい。
「なぁ、お粥。どうでもいい事をずっと考えちゃう時ってどうすればいい?」
空いている席に座っていると、さらに強く机の木の匂いを感じることができる。
様々な色で汚された机は見てて飽きない。
「じゃあさ、俺の気持ち悪い夢の話でも聞く?」
と舐めていた棒付きの丸い桃色の飴を口から出して、微笑みながら聞いてきた。
「んー。」
「俺さ、昨日の帰りに、みずみずしいミミズの死骸が重なってるのを見たんだ。」
「夢の話じゃないのか?」
「それで、そのミミズが大量に足首から脚の中に入ってきてさ、俺の皮膚の下で動き回ったんだよ。そして、太ももの付け根まで登ってきて、取り出したかったんだけど、めっちゃ痛かったんだよね。」
「夢の話だよな?」
「左脚はミミズに侵されるし、右脚は何故か壊死して黒くなっていくし、まじで大変だったわ。」
「へー、そうなんだ。」
「どう?気持ち悪さが勝ったでしょ?」
飴を魔法の杖のように振りながら遊んでいる、その顔は笑顔だ。
「ごめん。俺の想像力が足りなかったわ。」
「ならば、イラストで説明してあげよう。あっ、なんかこれ。凄い美術教師みたーい。」
一枚の薄い紙を無駄のない動きで取り出して、私の前の席に座り、胸ポケットからボールペンを取り出した。
「美術教師だろ?」
「あれ?そうだったっけ?俺はてっきり、みーちゃん専属の絵描きだとばかり思ってた。」
何も考えてなさそうで、実際、何も考えてない。
自分の好きに忠実で、自分の考えに忠実。
彼はそんな単純な人間。
「あぁ…。」
「んー?もう一回、モデルやる?」
紙に線を何本か引かれても、形は全然、見えてこない。
頭の中の完成図をそのまま写し出しているのだろうか。
「死ぬまで嫌だ。」
「えー、死んでからじゃあ、表情作れないじゃん。君の泣き顔、大好きなのに。」
「まだ持ってんの?写真。」
「もちろん。あっ、誰にも見せてないから安心してね。俺、独占欲強いから。」
「うん、安心しとくよ。」
「てゆーか、俺の事、よく嫌いにならないよね。俺の彼女達はみんな、口を揃えて''最低''って言って、逃げてったのに。」
「あぁ、考え方が似てるからかな?なんか楽なんだよ、一緒にいて。まあ、恋人には絶対にしたくないタイプだけど。」
「それじゃあさ、俺と一緒に住む?みーちゃん、飼ってみたいってずっと思ってたんだぁ。」
「それも死ぬまで嫌だ。」
「あはっ、釣れないなぁ。ねーほら、これ見てよ。このきもさ。」
と出来上がった一枚の紙を渡してくる。
「んー、凄まじい不快感が伝わってくるね。」
「けど、実際はもっと気持ち悪かったよ。見せてあげたかった。」
「そっか。そんな君にはミルワームの動画を見ることをおすすめするよ。きっと気に入ると思うな。」
「そう?お昼に見てみるね。」
自由奔放な彼はとても魅力的だ。
そんな彼に私は少し憧れてしまう。
「ありがとね。ちょっとは気晴らしになった。」
放課後。生物準備室。
「何の用ですか?貴方の事だから、僕に遅刻理由を問い詰めるなんてしないでしょう?」
と深く聞かれないように、考えていた先手を打っておく。
「ふふっ、正解。じゃあさ、逆に何だと思う?」
「んー、皆目見当もつきませんね。」
「まあ、君はそういうのを気にしないと思ってはいたよ。」
と椅子にもたれかかって、長い溜息をつきながら、天井を見上げているみかちゃん。
「僕、何か悪い事でもしましたか?」
「期末テスト、忘れたとは言わせないよ?」
と視線を僕の方に合わせて、悪魔の微笑みを向けてきた。
「ん?」
「ということで、一緒に期末テスト対策しよーね。馨ちゃん。」
「え、嫌ですよ。」
と冗談かと思い、笑って受け流そうとすると、
「これ、強制だから。あっ、俺と別れたいのなら話は別だけどね。」
と圧力をかけられた。
「何を言ってるんですか?」
「今回の期末テストで一科目でも六十点以下取ったら、俺と別れて。」
「それは無理です。」
「ていうか、俺の方から一方的に嫌うから。」
「…何ですか?僕の事、嫌いにでもなったんですか?」
「いいや、好きだよ。でも、こうしないと安心できない。」
「僕が信じられないんですか?」
「信じたいとは思ってるよ。だから、ボーダーラインも低めにして…」
好きの証明。
それは僕の中ではキスをすることだった。
「大丈夫です。ちゃんと好きですよ。」
「…君のそういうところが嫌いなんだよ。特にその目。凄く嫌だ。」
彼が僕を否定したのはこれが初めてだと思う。
この曇りがかった空のような灰色の目は、僕自身も、とても嫌いなんだ。