第三話
ミルク多めのカフェオレのような柔らかい髪色。
そこに陶器のような滑らかな白い肌。
宝石のように輝く琥珀色の目。
目尻が少し上がっていて、綺麗という印象を与える。
「みかちゃん、おはよ。」
「おはよう。」
といきなり後ろから抱きしめた僕に動じることなく、自販機に小銭を入れ、缶コーヒーのボタンを押す。
「ちゃんと約束守ってくださいね。超頑張ってるんですから。」
「わかってるよ。」
飲み物を買う為に僕が離れると、缶コーヒーを取って、職員室に帰ってしまった。
朝のみかちゃんは、低血圧のせいで少し気怠げである。
約束というのは、僕が二週間、遅刻と欠席をしなかったら、デートをしてくれるらしい。
その言葉を信じ、早寝早起きを心がけて、電車の遅延も考慮し、7時30分に学校へ着く。
そして、7時40分に缶コーヒーを買うみかちゃんに会いに行く。
これが僕の朝のルーティン。になりつつある。
これには担任にも、友達にも驚かれた。
以前は、8時35分からの朝礼にこんなに余裕を持って来たことが無かったからだ。
ちょっとした変化でこれほどまでに心に余裕が出来るとは思わなかった。
朝から爽やかな良い気分である。
その代わり、僕が一つ犠牲にした事がある。
週五で通っていた塾を休む事にした。
高二になるのをきっかけに通い始めたが、夜遅くまで塾で勉強するのは僕にとって、大きなストレスだった。
そして、朝起きれなくなったのか、起きたくなかったのか、学校の方が疎かになっていった。
勉強熱心の母親はちゃんと学校に行く事を条件にこれを許可してくれた。
正直、美味い話だった。
睡眠不足からもストレスからも解放され、一石二鳥どころの話では無かった。
「馨、本当にどうしちゃったんだよ。」
「どうもしてないよ。これが僕の普通。」
と時間ギリギリに入ってきた友達に微笑んでみた。
金曜日の朝。
今日もいつものように6時53分発の電車に乗り込む。
明日はデートかな。
なんて浮ついた気持ちを抱えて、単語帳をめくっていた。
ドアが開く度、電車内が混んできて、背中を押されながら移動する。
今日はやけに後ろの男性との距離が近い気がする。
電車が揺れるのに合わせて、お尻に何かが触れてくる。
痴漢かと疑ったが、単語帳を見て、気を紛らわす事にした。
そうして、気を紛らわす事、数分。
この時点でかなり気持ち悪くて、つらかったのだが、男性は骨盤に沿って、手を滑らせるように前に回してきた。
気持ち悪さが頭の中を支配して、恐怖で息が上がっていた。
周りに目で助けを求めても、僕を見ない振りをしているようだった。
早くドアが開いてくれるのを祈った。
嫌な想像が頭の中に次々と浮かんでくる。
そのうち、その男性に対して、怒りが湧いてきた。
「気持ち悪い。その汚らしい手で僕に触ってんじゃねぇ。」
と思い、その手に触わるのも嫌だったので、単語帳の角で男の手を叩いた。
そうすると、男性はすぐさま手を引っ込めた。
「助かった。」と思ったのは束の間、今度はお尻を手で揉んできた。
「うっざ。」
心の声が漏れて、手に持っていた単語帳を落とした。
単語帳は大きな音を立てて、電車内にいる人の注意を引く事が出来た。
そうすると、その男性も諦めたらしく、もう触ってこなくなった。
単語帳を拾って、電車から降りた。
階段を上り、駅内の壁を背にして、しゃがみ込んだ。
僕には次の電車のホームに降りる気力も無かった。
この駅にいる人、全員が怖かった。
そして、こんな自分が情けなかった。
「あれ?今日、先輩どうしたんだろう?」
最近、同じ電車に乗る先輩。
毎朝、眠そうにあくびしながら、単語帳を持っている姿がとても可愛い。
その先輩が今日はいない。
「今日は寝坊したのかな?一本、電車ずらすか。」
暇つぶしに駅内にある店を見ながら歩いていると、しゃがみ込んでいる先輩を見つけてしまった。
明らかにおかしい。
そんな先輩を無視して通り過ぎる人達。
私は勝手ながら薄情だと思った。
しかし、この機会に先輩と知り合いになりたいという欲が出てくる自分も薄情者かもしれない。
「…あの、大丈夫ですか?」
と勇気を出して、言ってみた。
「すいません、大丈夫です。」
と小声で言いながら、立ち上がって逃げようとする先輩の目の周りが赤くなっていた。
「泣いてるじゃないですか。どうしたんですか?」
とつい感情的になって、強い口調で先輩を責めてしまった。
先輩は知らない人に強く言い寄られて、さぞかし困惑しているだろう。
「いや、これは…別に、何でもないです。」
と涙を手で拭きながら、また歩き出してしまった。
「先輩、ちょっと待ってください。」
と咄嗟に手を掴んでしまった。
私の方を振り返った先輩は怯えた顔に涙目だった。
「私のハンカチ、良かったら使ってください。」
鞄からハンカチを取り出して、先輩の手に掴ませて渡してみた。
「…?ありがとう。」
先輩は不思議そうな顔をして、ハンカチを受け取った。
そして、涙で濡れた目元をそのハンカチで拭いた。
ハンカチを畳んだままにして、綺麗に涙を拭く仕草はとても可愛かった。
しばらくすると先輩は泣き止んで、落ち着きを取り戻した。
「もう大丈夫ですか?」
と傍で私はさりげなく、先輩を慰めていた。
「うん、大丈夫。ありがと。」
と私に向かって、先輩は笑顔を見せてくれた。
可愛い。
その笑顔に心を奪われてしまった。
二人で駅のホームに向かうと、出発のアナウンスが鳴っていた。
急いで階段を駆け下りるが、無情にもドアが目の前で閉まった。
普通なら、ここで
「うわ、最悪。」
と思ってしまうが、今日は
「ちょっとラッキーかも。」
なんて思ってしまった。
「電車、行っちゃいましたね。」
と思いとは裏腹に、残念そうな素振りを見せる。
「タクシー代払うよ。次の電車だと確実に遅刻するから。」
と駅の電光掲示板を見て、先輩は前向きな考えを言った。
その意見に、もちろん私は否定的だ。
「タクシーなんてそんな、悪いですよ!私が好きでやったんですから。」
「でも、なんか悪いな。君の担任誰?」
「塩先生です。」
「じゃあ、大丈夫かな。」
学生がいない電車はとても空いている。
先輩と隣同士で席に座り、お互いに自己紹介をした。
先輩は砂糖 馨という名前だった。
可愛い先輩によく似合ってると思う。
桃原 景という名前を伝えると、「桃ちゃん?」とあだ名を付けられた。
学校に着く頃には朝礼が始まっていた。
遅刻するなんて初めての経験だったので、何だか変に胸がドキドキした。
先輩はそんな私と教室の前まで一緒に行ってくれた。
教室は朝礼が終わったのか、一限目の授業までの休み時間だ。
緊張しながら、教室のドアを静かに開けると、友達が「どうしたの?」と私に駆け寄ってきた。
それに動揺したが、ちゃんと自分の机に座る事が出来た。
すると、先輩が「失礼します。」と教室に入ってきた。
教室の皆は知らない先輩に驚いている様子。
「どうした、馨?また一年生やりたいの?」
と冗談を言って、先輩に笑いかける先生。
「違いますよ。桃原さん、僕のせいで遅刻しちゃったんで、直談判しに来たんです。」
私の近くにいる友達が
「あの人、景ちゃんの知り合い?」
と聞いてきた。
「うん、ちょっとね。」
と濁して答えた。
「何があったの?」
と教卓から先輩に近づいて、聞いている先生。
「詳しくは話せないんですけど、乗り換えの駅で体調不良になっていたところを彼女が介抱してくれたんです。だから、これは許して貰えないかなーって。」
「ふーん、そう言う事。」
その後、二人は教室のドアを閉めて、廊下に出てしまった。
それから、先生だけが教室に入ってきて、
「桃原さん、今回だけは特別に遅刻免除してあげるよ。」
と言われた。
「ありがとうございます。」
先輩のおかげだ。次に会ったら、お礼言おう。
そして、
「あんなイケメンの先輩と何処で知り合ったの?」
と友達から先輩について質問攻めにあった。
「馨、自分の遅刻免除は求めないの?」
「はい、また二週間頑張りますよ。」
「今日は何か理由があるんでしょ?」
と言うと馨は目を泳がせて、話す内容を考えている。
「でも、それは話せないです。」
曇りがった表情。明らかに何かを悩んでいる。
放課後、また会う約束をして馨と別れた。
体調不良で介抱して貰ったか、何だか変な感じだ。