しらない、嘘。4
一人でも、というのに引っかかりを覚えつつも、俺は篤亜を抱き上げた。
「一人でも声、送れるんだな……」
『こえしか、だけど。じかんがないからようけんだけ』
時間がない、という篤亜の言葉に、真剣な響きを感じ取り、そっと人形と目線を合わせる。
『まぞくをしんじないで』
きっぱりとした、鋭い一言。
それが何故か篤亜らしくない気がして、俺は息を呑んだ。
『なにがあってもしんじないで。うたがって。かおにはださないようにきをつけながら、ぜったいに、しんようしないで』
「……どうして?」
『じかんがないし、うまくせつめい、できないけど。まぞくはわらいながらひとをころせるよ、やえ。うらぎれるんだよ』
充分な、理由だ。
充分すぎるから、何故か何かが引っ掛かる。それは―――それは、もしかしたら。
『だから……それだけはおぼえておいて』
「判った、約束する」
小さく頷いて、言った。
本当は引っ掛かっている事が、凄く大切な気がしているのに、それを篤亜に言う事が出来ない。
篤亜の言う事は正しい。
―――魔属への警戒は、正しい。
無理矢理にそう言い聞かせる。
『あと―――』
ぶつん、というのが似合う動きで、篤亜の言葉が途切れ、人形から気配が消えた。
時間切れ、か……
ヴァーグが戻る前にと、少し慌てて鞄に人形を片付ける。
信じるな、と強く言い聞かせながら。
疑うよりも容易く信じてしまいそうな、自分が嫌で。
木の根元に座り込み、ヴァーグの戻りを待った。
しん、とした夜の中、ちりり、と虫の鳴く声がする。
ああ、虫の声は同じなんだな……
小さな差違にほっとしている自分が少し笑えた。
ふぅ、と空気が歪むのを肌に感じ、俺はそちらへと目を向ける。
「……ヴァーグ」
立ち上がりかけた俺を制し、ヴァーグが緩く首を振った。
「良い。まだ夜も長い。眠っておくことだ」
傷一つどころか、服に埃すらない様な彼に、不安が浮かぶ。
まさかとは思うが、魔属同士という思いで止めずに来た、とか―――?
「あいつは……?」
「消した」
何でもない事だ、と言わんばかりの口調。
昼や夜を言うのと同じ響きだ。
「―――そうか……村は?」
「そのままにしてきたが」
「……せめて、火葬くらいしてくれ。それともそれは、また別の代価が必要か?」
代価が必要だと言われたら、流石に今度は渡すものがない。
明日になったら自分で埋葬しに行くしかない、か。
「人は不思議だ」
「は?」
人の話、ちゃんと聞いてたか?
俺は少なくとも、そんな不思議な事は聞いていない。火葬を頼むのにまた別の代価が必要かと、それを聞いただけだ。
「結局死ねば仕舞の、残り滓である死体にまで、情を寄せよる。生きているより死に絶えたモノを重きに置く様にすら見えるぞ、弥栄」
「……終わってしまったから、惜しむんだよ」
「何故だ?」
「俺はまだ生きていくから、いつか自分が死んでしまった時に惜しまれたいから、死者を悼むんだ」
「……ふむ、初めて死が怖いかと問うた時の答えにも通じような。人間は死ぬるを怖れる」
「……ああ」
「怖れるが故、己に死体を重ね惜しみ、惜しむに寄って他者から惜しまれたいと思うておるのか?」
「かも、な」
「所詮生きて居らねば意味も無かろうに。……まぁ、良しとする」
「……?」
いきなり良しとされ、何事かと目をしばたかせる。話が通じないのにもそろそろ慣れなくては。
「火葬は面倒だ、村一つ塵にして来る故にそれで納得せよ」
「わ、判った」
そのままにしておくよりは、マシ……だよな?
慌てて頷いて、再度消えるヴァーグを見送った。
「……本当に、訳が判らないな……」
小さく、口の中だけで呟く。
ゆったりとした眠りの澱に捕らわれ、落ちていく俺に、ヴァーグの戻りは気付けなかった。
眩い朝日に問答無用で眠気が吹き飛ばされる。
「……んぅ」
俺はゆらゆらと揺れる様な意識から、無理矢理自分を起こした。
「おはよう……?」
向かいに居るヴァーグの瞳とぶつかり、少しだけビビって声をかける。
不機嫌だからビビるとかでは無く、純粋な驚きで気圧されたからだ。
「あぁ、おはよう」
「今何時?」
「知らぬ」
「……そうかい」
聞いた俺がそれだけでマヌケだったらしい。
興味なんか無いんだろうな、時間なんか。何しろ消されない限り生き続けるのが魔属なんだそうだし。
「有難う」
「? 何がだ?」
「―――いや、何でもない」
昨日の事を言ったんだが、本当に全く気にも止めていない反応だ。
反応が無いというか、何の事か判ってない様な感じ。
……有難うの意味、知ってるか?
取り敢えず、また次の街に行こう。
このままヴァーグと行動したら、いつか俺が彼を疑わないようになったらどうなるのかは、今は気にしない。
そして朝ご飯を終えた俺は、立ち上がりヴァーグに言う。
「さて、行こうか」
「何処へ行く?」
「何処へって……川の向こう岸の方にある街」
「川は増水したままであろうに」
くつくつと喉で笑いを漏らすヴァーグ。
忘れてた……橋が壊れてるから、さっきの村に戻ったんだった。しかも、村人は1人も居ないわけだから、橋が直る事はない。
まさか、ヴァーグが川の前で戻りたくないって言ったのは、これを見越していたからか!?
「で、如何する、弥栄?」
意地悪くくぐもった笑い声で、ヴァーグが聞いてくる。
こっ……根性悪……っ!
「……お、泳いで渡る」
「出来ぬ事は言わぬ事だ。向こう岸に行くにはやはり、我が木を薙ぐ他あるまいな」
「助走をつけて、一気に飛び越すっ」
「いちどきに飛べる程の川ではなかろうが」
「ぅう……」
「諦めよ、諦めて我に謝るなら道を作ってやろう」
にたにたという表現のよく似合う顔だ。
こんな事になるなら、3日前の別れ道を左に行っておくんだった……
後悔、先に立たず。
「……悪かった。道、作ってくれ」
ぶすりとした言い方になっている自覚位あるが、其処は見逃して欲しい。
というか、そもそもお前が村に戻りたくない理由を話せば済んだんだろ!? ―――魔属が遊びで人を殺したりその死体を動かしたりしてるから橋は直らない、と言われたら……そういわれたら、俺は戻る方を選びそうだったが。
「仕方ないのぅ」
にぃ、とヴァーグが唇を歪める。
―――御満悦だ。
そして、川の周りの木を5本位犠牲にして、俺たちは川を渡ったのだった。
「そういえば、この先の街は何て名前なんだ?」
「ウルパ、と言う。このハルパ国の首都に当たる街だ」
「じゃぁ、かなり大きな街なんだろうな」
もう俺が異界流れである事がバレてしまっているのだから、今更何を聞くのも恥ずかしくない。
そう割り切って、俺はヴァーグに色々な事を聞く様になった。
すると意外な事に、彼は質問に付随する様々な事も一緒に教えてくれる。異界流れとして知識が足りない俺には有り難い事だ。
「さほど大きい街では無い。王都とは言え、ハルパは小国であるし、サンタラ―――初めて会うた街と変わるまいな」
「へぇ……」
サンタラって言うのか、あの街。
いやいやそこじゃなくて。
確かに、サンタラはそんなに大きい街では無かった。人の賑わいはあったが、街の規模と言えば若干小さい位だ。
比べる対象が現代日本の都市だから、かも知れないが。
何にせよ、次は王都を見られる訳だから、少しわくわくする。
運が良ければ王宮が見られるかも知れない。日本にいる限り見ることはないに違いない建物だ。
「弥栄」
知らず知らずに浮かれていた俺の耳に、嫌に冷たいヴァーグの呼び声が届いた。
「何だよ?」
「警戒は怠るで無いぞ」
「……はぁ?」
「お前がまともな説明も受けて居らぬ理由、よもや忘れた訳ではあるまい?」
「……判った」
確かに、そうだった。
1週間ほど、と言われた十重の元から離れたのは、王族の視察団が来たからだ。そして、その国の王都ともなれば、当然調べもきつくなっているだろう。
「身分証も……持ってないしなぁ」
奪われた、では、おそらく通じない。
ヴァーグは最悪、神出鬼没なアレをすれば、一気に街の中に出られるのだろうが……
「作るか?」
「―――ぇ?」
多分問い返した俺の顔は、とてもとても、間抜けだったと思う。
「作るって……何を?」
「身分証だが? 要らぬと言うなら―――忍び込む方法が無いでも無いし」
「身分証の偽造かよ。ま、それは保留にするけど、忍び込むって?」
「文字通りだ。抜け道なり何なりは何処にも有るものよ。ただ、そうして入った場合、出る事が難しかろうがな」
「王都ってのは、出るのにも身分証が必要なのか?」
「出るのには要らぬ。入出国の数が合わぬとうだつかれるだけの話」
充分厄介なんじゃないか。
つまり、此処は面倒でも身分証が必要、と言うことだ。
「作って欲しい」
頼めるか、と聞いた。
持ち掛けてきたのはヴァーグだが、やはり何かの代価は必要だろうと、覚悟を決める。
「これで良かろう?」
ひら、と片手を閃かせると、その中には一枚の紙が表れていた。
……ぇ?
「気に食わぬか」
「いや、何て言うか……拍子抜けたっていうか……魔属って何でも出来るんだな」
「別に無から有を作るでなし、この程度、魔物にも出来ような」
「と、いうと?」
「これの原盤を一枚、役所の金庫から拝借するだけだ。簡単な物流移動さえ出来ればよい。魔属の痕跡を残さずできるか否かで、力量も知れるが」
「……へぇ」
成る程―――頭良いなぁ……
って、それは泥棒だろ!
「どっ、泥棒は不味い!」
「安心せい、見付かって騒がれるのも面倒故、出庫に1枚足して置いたわ」
「……有難う」
何でもないことの様に言うが、彼の今行った事は、確かに俺の為にしてくれた事だった。
どうして、ヴァーグは俺に世話を焼いてくれるのだろう?
判らなくても今は彼に頼るしかない。
……信用は、しないで、か。




