しらない、嘘。3
勿論、魔属と判り合えるなんて思っちゃいない。
彼の質問に答えるなら、今ヴァーグが見て感じている人間の姿こそが、人間だと思うのだ。
「……弥栄」
「何だ」
ぽつり、と零れた俺の名前に、何だか緊張する。
何度も呼ばれてきた筈なんだけどな……
「やはり人間は面白いな」
「……」
ぐ、と言葉に詰まった。
ヴァーグのセリフが意外だった訳ではなくて、その響きに驚いたから。
その柔らかいとさえ言える表情に、驚いたから。
「―――ひ、との事を面白いとか言うな」
漸く一言返すので精一杯だった。。
強がりでしかないことくらい、自分が一番良く判っている。
今の表情は完全に、命の敵とかそんな、物騒な顔じゃなかった。……というか、何故俺はこんなに焦っているのだろう?
焦りを誤魔化す様にもぐもぐと残りのカンツァに集中し、俺は意識してヴァーグから目を反らす。
「お前は……」
「?」
俺の明らかにおかしな反応には言及せず、ヴァーグは言葉を繋いだ。
「虹彩をどう変えるのだろうな……?」
まるで、独り言みたいに、ぽつん、と。
俺の反論など全く求めていない。
そんな雰囲気。
俺が何を変えるんだろう。
俺自身には目立った特技もなにもない。敢えてあげるのなら、色が変わって自覚した、人よりは整った外見くらいだ。
見た目しか取り沙汰するものがないのは、当然悔しいけれど。
「……ヴァーグ?」
言ったきり黙り込んだヴァーグを訝しみ、声を掛ける。
変えるのだろうな、と口にした彼の口調が、何処か諦観を含んでいるみたいに思えたからだろうか。
ふと、問いかけたくなる様な空気があった。
「何でも無い。我に面白くない虹彩になる位なら、此処でその命を終わりにしてやろうと思うただけだ」
「……勝手に人のことを終わりにしないでくれ」
―――どっと疲れた。
何だよ、折角少し心配したって言うのに……
がっくりと肩を落とした俺は、そのままベッドに潜り込む。今は疲れが全てに勝った。
ぼそりとおやすみを呟き、深い眠りに沈んでいく……
“生まれて”初めて嘘を吐いた。
他愛のない、人間が吐く嘘とは桁外れに小さい、それでも己を偽る嘘を。
欲求のみを行動してきたが故に、ぱたりと落ちる雨粒の様な、見逃せない嘘。
誤魔化す為。
だって。
だって、虹彩を変えてしまったら、その後は―――
―――がしゃん。
そんな音で俺は目を覚ました。
何だ? 何かが―――割れる音?
慌てて起き上がり、何が起こったのか確認しようとした俺に、声が掛かった。
「止めておけ。見るのもつまらぬ」
「……?」
まるで、外で何が起きているかを知り尽くしている様な、そんな言い様。
俺がヴァーグの言葉に気を取られているうちにも、更に割れる音、壊れる音が続いている。
……気になるだろう。
危ないことになっているなら心配だし、何か出来る事があるならしたいと思う。
俺の考え方はそんなに不自然な事だろうか?
「……行く」
「勝手にせよ。ただ、我は言うたぞ、弥栄」
「……」
言ったってまさか、見てもつまらないなんていう意味不明の事か。
何の説明にもなってないが、説明したつもりなのだろう。
やっぱり理解できる気がしないな、魔属っていうのは。
ふぅ、と溜め息をついて、俺は宿屋の外へと足を向けた。
そして、ヴァーグの言っていたことを理解した。
「―――っ!!」
思わずよろけて、背後のヴァーグに支えられる。
其処にあったのは、この村人のものと思われる死体だった。
どれも無惨に殺され、見開かれた瞳には苦悩と恐怖が染み着いている。
「これ、は―――?」
「言うただろう。見てもつまらぬ、と」
ひょい、と肩を竦めて、何でもないことの様にヴァーグは言った。
だから―――それじゃあ説明になってないだろうが!
「あれぇ? まだ生きてる奴いたんだ」
くすくすと、愉悦に満ちた声が聞こえ、俺はあたりを見回す。
酷く場違いな声の響きに、何故か声の持ち主が人間では無いことを確信しながら。
「っかしいな……全員潰した筈なんだけど、キミ、一体何ぃ?」
「ッ!?」
言葉が終わると同時に、目の前、本当に目前に少年が現れる。
黒髪、黒目。
魔属……!!
「んー……人間だ。別に同類って訳でも……っ!?」
固まっている俺の頬に触ろうとして、びくりと少年は手を引いた。
視線は既に俺を通り越して、背後のヴァーグへと向いている。
「朱の―――!? こっちに居るなんて! 知らないよ!!」
「何故我が己の所在を知らさねばならん。気付かぬ貴様が鈍いのよ」
明らかにヴァーグを警戒する男に、ヴァーグは何でもない様に返した。
文字通り、歯牙にも掛けない物言い。
力関係は、ヴァーグが圧倒的に強いのだろうか―――ヴァーグに聞いた通りなら、少年もプライドは有る筈。
見た目と年齢が口調の通りだとするなら、長く生きてきた相手に対する警戒、もあるだろう。
「……邪魔、しないで欲しいな」
「構わぬ。好きに遊べ。我に手出しせぬなら止めもせぬ」
「っ、おいっ」
ぐい、と俺を引いて、ヴァーグは村の出口へと向かう。
いつのまに取ってきたのか、もう片方の手には俺の荷物があった。
離せ、という主張も聞かず、村を出た所で漸くヴァーグは立ち止まる。
掴まれた腕を振り払って、俺は彼を睨んだ。
「―――何なんだよ、あれは!」
「何とは?」
「さっきの!」
「ああ、遊んでおったのだろうよ」
「あそ……ッ!?」
余りにもあっさりと言われて、思わず言葉が詰まる。
「更に言うなら、あの村の生き物は最初から全て死んでいた。おそらくあの魔属の力で動いていたに過ぎぬだろう」
「……何で、そんな……」
「さぁ? そればかりは行う者でなくば判らぬが。大方殺し方を一通りやってみたいのでは無いか?」
若い者には良くある願望よ、とさも常識の様に話す。
何で、と、繰り返し疑問が浮かぶ。
理解できないから。
けれどそんな事を言い訳にして、本心は違う気がした。
ヴァーグも、魔属だ。
それが何故か、凄く引っかかっている。
抜けない棘の様なそれの痛みをどうにか飲み干し、俺は口を開いた。
「止めろ」
「それは我に言うても始まらんぞ?」
「じゃあ、言いに行く」
「それこそ、何故? まだ良心的な方だぞ、奴は。昼間は死人を人の様に動かしている」
「だからだろ!」
語気が強まる。
確かに、殺して次の街や村を狙うよりは、遥かに規模も小さく、被害も小さい。
もしかしなくても、いくつもの国を滅ぼしたというヴァーグの行った殺戮は、あんなものではないのかもしれない。
それでも。
「幾らなんでも、冒涜してる……」
命の敵だろうが、相手が死人だろうが。
酷く赦されない。
そう強く思った。
赦したくない。
そう思った。
「止める」
「……」
ふぅ、と小さくため息をつくのが聞こえる。
俺の悪い癖だ、と思う。
赦せないと思ったら、それをどうしても止めないと居られない。
下手な、小市民な正義感。
安っぽくてちっぽけなプライド。
「―――止めたなら、何を寄越す、弥栄?」
「……?」
意味が掴めず、ヴァーグを窺った。
「我があの魔属を消せばこれは止まろう。逆を言えば、消さねば止まるまい」
故に、と言葉は続く。
「何を代価とする?」
「……代価」
その意味を深くまで噛みしめる様に、ゆっくりと唇に乗せた。
代価、なんて、俺が何か彼に渡せるのか。
俺が持っていたものは全て置いてきてしまったけれど、そうでなくても、本当に俺が魔属に―――命の敵に渡せる物などあったのか。
もし渡せるものがあったとしても、それは驚く程俺の物じゃない気がした。
情けないな、本当に。
タダではヴァーグは動かないだろう。
幾ら好戦的とは言え、明らかに今ヴァーグは戦うのを面倒くさがっている。それに、間違い無く存在を賭けて戦うことになるのに、頼んだ事になる俺が、それに報いる事もないのは、余りに酷い。
もし、今俺が出来る事で、何かヴァーグに出来る事があるとすれば。
また、逆に俺がしないと決意出来る事があるなら。
それなら、それは。
代価、ともう一度小さく呟いた。
すう、と大きく息を吸い込む。
「俺は、虹彩を変えない」
くつり、と面白そうに唇を歪めるのが見えた。
「面白い事を言うな、弥栄」
「面白い事は好きだろ?」
「そうだな」
好奇心。
魔属であるヴァーグの、特に強い、と感じた感情だ。
常に、興味の引くものを探している様な、それが俺から見たヴァーグだからこそ。
“異界流れ”がその定めを覆すと言う。
聞き逃す事は出来ない、だろう?
相手の出方を窺う俺に、ふ、とヴァーグは表情を消した。
冷たく、冴え渡る様な美貌が更に鋭さを増し、人ではない形が浮き彫りになる。
不安になるより、惹き込まれる不安定。
「不可能な取引はしない主義ぞ」
「……俺はお前に渡せるものが何もないから、これが精一杯。出来もしない事を必死にしようとするのも、面白いとは思わないか?」
「成る程―――言うた事、覆すなよ」
にぃ、と、唇を吊り上げ、笑みを作る。
人の苦悩も悦楽も、笑った唇で飲み干して行くのだろう。
そんな事を思わせる。
と、輪郭が滲み、ヴァーグの姿が消えた。
了承と取ってもいいんだろうな……
ふぅ、と溜め息が零れて、自分が知らず知らずに息を詰めていた事に気付く。
魔属と相対する経験なんてこれ一回で充分だ。
『やえ』
小さな、篤亜の声。
慌てて鞄を開くと、生気のない人形のまま声がしている。
「と、篤亜? だよな?」
『うん。ぼくだけでうごかしてるから、こえしかできないの』




