落下地点、虹彩。4
数瞬伏せていた目を開き、真っすぐに紅蓮を見返す。
「怖くないけど、怖い」
きっぱりと、そう言った。
強がりを言うなら、怖くないって言いたいけど、本音は確かに怖い。
「俺が死んでも本当の意味で悲しい人は居ないから、だからそれは怖くない」
「……なら何故死を恐れる。ただ終わるだけだ。始まりはない終焉」
「でも、本当に悲しむ人が居ないのは寂しい。誰かに悲しんで貰えない内に死ぬのが怖い」
「わがままだな」
「それが人間だ。俺はそう思う」
どうしようもない矛盾を抱えるのが人間だと、そんな風に思う。
死を目の前にして、混乱するより簡単に、哲学めいた事が浮かぶなんてな……
走馬灯さえ見えない。
長いようで短い沈黙の後、魔属は、ふぅ、と笑った。
足元から凍り付くような、冷たい笑い。
「興味が湧いた―――殺すのはいつでも出来る」
そう歌うように言って、男はしゃがんでいた俺を立たせた。
がらんと派手な音を立てて剣が落ちる。
ぐぃ、と仰向けられ、
唇に重なるのが相手のそれだと気付き、
抗おうと思う前に腰を掴まれ動きを止められる。
入ってきた舌が嫌で噛みつこうにも、もう腰が砕けてどうしようも無い。
コレは―――俗に言うキスでは?
ねっとりと蹂躙する舌に翻弄されながら、俺のアタマの中は真っ白になっていった。
何で魔属にキスなんかされてんだ、俺!?
ていうか男同士……は此処じゃ普通か!
殺すのはいつでも出来るって、つまり今は殺さないって事?
真っ白が疑問でいっぱいになった頃漸く、唇が離れる。
伝った銀糸を悠々と舐めとり、至近距離で男が笑った。
「初い反応だ」
「……煩い」
殺さないのは何となく理解したが、何でキスしてしかもこれ以上離れないんだ?
「……何のつもりだよ」
「興味が湧いたと言っただろう」
「答えになってないし! 第一いきなりキスすんな!!」
「判った、今度から前置きする」
「今度はないっ!!」
キツく言い放ち、俺は男を突き飛ばそうとした。
残念ながら体格差も手伝ってびくともしなかったが。おまけに更に抱き寄せる力が強くなるし。
「あるさ。今度どころか、これからだ」
「っ!! 絶対嫌だ!!」
生命の敵なんかと親しくしてたまるか!
俺の虚しい抵抗を嘲笑うかの様に、男は俺の耳元で囁く。
「……我はヴァーガンディー。朱のヴァーガンディーだ」
ぞくりと腰を伝う様な、響く低音。
「っ……!! お前の名前なんか知るか!!」
くつくつと面白そうに笑うヴァーガンディー。
怒るだけ無駄だと、何となく判ってきた。
カタカナの名前を不思議に思いつつ、ふと弛んだ力から、漸く羽交い締めから脱出する。
馬鹿やろうウッカリ心臓爆発する所だったじゃないか!!
離れてから、改めて男を睨む。
―――ヴァーガンディー。
深い深い、ワインレッドより深い、紅の色の名前。確かに、目の前の男に相応しい気がした。
髪を黒だと思ったけど、闇色、といった方が正しそうだ。光沢すら黒く濡れる、人の黒ではない黒。
華麗で荘厳という言葉の似合う美貌に一瞬見とれそうになって、慌てて俺は言った。
「っ兎に角、魔属は魔属が帰る場所に帰れ!」
「無い」
「……は?」
魔属っていうと、普通魔界とかそんな所にいるんじゃないの?
「……無いって、何だよ」
「言葉通りの意味だ。属する場所が無いから魔属と言う」
「魔って何の意味?」
「理解できないものの意味。……何も知らないのか?」
「……今まで魔属と関わり無かったんだよ」
下手に"異界流れ"何て言ったら……嫌な予感。
「我は名乗ったぞ、子供」
「……はぁ?」
勝手に名乗ったんだろー!?
まさか俺も名乗れってか? 絶対嫌だぞ何か名前言うだけが既に危なそうだし!
「知識だけでなく礼儀もないのか、子供?」
「魔属に尽くす礼儀を持ち合わせてないだけだ!」
それ以外なら幾らでも礼儀正しく大人しく対応するっつの。
距離を取り取り―――つまりゆっくり後退しながら―――、俺は相手の出方を窺う。
出来れば、このままかかわり合いにはなりたくないけど。
「それは残念」
くつくつと楽しそーぅ……っに笑うヴァーガンディー。
「礼儀知らずには礼儀を立てる必要もないか」
「は?」
「子供、選ばせてやろう」
「……何を?」
折角人が稼いだ距離を、大股2歩で詰めやがった。
いきなり近くなった距離に心っ底、心っっ底嫌な予感。
「あの森の奥か、ベッドの上かどちらがいい?」
「…………どっちも嫌だ」
煌びやかな笑顔で聞いてくる奴に、ぼそりと呟く様に反論する。
死ねってか? 名前言うか死に場所選べかの2択って事!?
流石魔属、言うことが冷酷傲慢極まりない。
……ああ、森の中だと見つけても貰えない……
いやベッドの中でも安らかには死ねないだろう。
森の中と2択になるって事は相当ヤバい死に様になるとみた!
考え込んでいる俺を見て、ヴァーガンディーは不思議そうに首を傾げた。
「……勘違いしてないか、子供?」
「はぁ? どっちの場所で死にたいか選べって事だろ。ちょっと待て、もう少し考える」
死に場所って大事だしな。
虹彩ではどうやって葬式をするのかとか、そもそも俺はここで死んだら誰に弔ってもらうんだとか、様々な疑問はあるものの、それはいったん横に置いておいてでも、死に場所は大事だ。死に方はもっと大事だが。
真剣に言ったというのに、魔属と来たら至極面白そうに吹き出しよった。
「―――そうだな、確かに天国にゆけるかもな……っ」
「何だよ! 人が真剣に考えてんだから邪魔するなよな!」
腹立つー!!
マジでムカつくもう選んでやるもんかっ!
「弥栄だ弥栄っ。2度と言わねーからな!」
「……なる程」
ぞく、と低い声で呟かれる。
「弥栄、ね……」
自分の名前なのに、酷く違う意味の様だ。
何だかその感覚に、俺の未来を感じた気がした……
これが、俺の虹彩での一番最初の選択だった。
朱の魔属、ヴァーガンディー。
それと関わるか、逃げるのか。
たったそれだけの、選択肢だったのに、俺は、もしかしたら。




