最後の、さよならを。終
長年の心残りが一つ解消できました。
この二人の物語は、一応ここでエピローグです。
ざらり、と、音が死ぬ。
けれどこれは、超越者が出現するときのものではない。
俺が、強制的に元の世界に―――日本に還ろうとしているのだ。
1年以上前の落下していく感覚。
結局、俺はヴァーグとの約束を守れなかった。
守れなかった、けれど、多分。
根拠のない予感がした。
外れる気が、しないのは何故だろう。
「―――ッ!!」
いきなり、落下が止まる。いや、止まる、などという穏やかなものではない。虹彩に流れた時のような、高所から地面に打ち付けられて痛い、という程度ではなかった。
無理やり岩の上を引きずられたような、落下に逆らう停止の仕方だ。
思わず、苦笑が浮かぶ。
「弥栄」
間近に、怒りに燃える猩々緋。
やっぱり、来ると思った。
原理も何もかもぶち壊しにしてでも、来ると。
そんな横紙破りを、予感して、期待していた。
ああ、俺はわがままで、どうしようもなく、傲慢だ。
この朱に、もう一度、逢いたかった。
例え、この綺麗な朱の手で、殺されるのだとしても。
どこともわからない空間で、俺はヴァーグに腕を捕まれ、至近距離で睨まれていた。
睨まれている、という表現が甘いくらいだ。
こんなに強い感情のこもった目で見られるのは、きっと初めての事だろう。
「……我は、言うたぞ」
「ああ、覚えてる」
だから、余計な言い訳はしない。
彼は何度か俺に譲歩しているし、国を作りさえした。その条件を出したのは俺で、その対価を払わず、約束を破ったのも俺だ。
俺はヴァーグにどんな殺され方をしても抵抗できない。
したくもなかった。
どうせ彼と同じ時間が歩けないから、彼がいつか心変わりするのだとしたら。
一番最初の恋愛を、人は引きずるらしい。いや、他人のことはわからないが、俺はずるずると引きずっている。彼女は、俺を利用して、傷つけるだけ傷つけて、欲しいものを手に入れて、とっとと去っていった。
……ヴァーグに同じことをされて、俺は耐えられる自信なんか、ないのだ。
同じことをされない可能性もあるのに。
自分のやったことを顧みれば、俺は彼女と同じことを、ヴァーグにしたのか。
傷つきたくないから、彼の感情だけ知って、逃げようとしている。
ヴァーグからして、それは俺にとっての彼女の行動と、どう違うんだろう。
全部、全部俺が悪い。
弱虫で、彼を信じるといいながら、信じ続けることができない、俺が。
だから、俺は笑って、ヴァーグを見返し、言った。
「お前は、きっと俺が還る時には、来ると思った」
「……」
綺麗な、綺麗な猩々緋。
俺の気持ちを知らず、それでも俺の願いを叶えてくれた、無垢な癖に、他者を顧みない、アンバランスなヴァーグ。
そんな不安定な彼を、愛しいと思ってしまった。
こんなにも、幼い感情しか持たない彼に、できるなら、誰かと関わることで手に入る幸せを、共有したいと思ってしまった。
それがかなわないのなら、俺は彼に、彼ら魔属に、人に歩み寄るきっかけを残して逝きたい。
限られた寿命で、けれど人間よりは遥かに永いそれの中で、せめて、感情は一方通行では意味がないのだと、いつか知ってほしい。
「殺せばいい。約束を破ったのは、俺なんだから」
ここで、俺は殺される。
俺の想いを告げずに彼に報いるなら、それしかないんだから。
ごめんな。
俺は臆病で、お前にうまく応えることすら、できないんだ。
「―――還らぬと、誓ったではないか……!」
「……還らない、つもりだったけど、さ」
呟いて、初めて彼から目をそらす。
超越者が言ったことは確かに実現したんだな、と思いながら。
奴は俺が戦争を止めると言った。そして確かに俺は、戦争を完全に止めて、還ろうとしている。虹彩の歴史の流れを変え、異界流れの宿命通りに。
ヴァーグとの約束を破って。
「どっちにしても、ほら、俺が先に死ぬんだし。俺が今、お前に殺されても―――?!」
捕まれていた腕に力が加わり、俺は言いかけたことも言い切れず、ヴァーグにキスされていた。
ああ、そういえば、3回目、だな。
最後だと思えば抵抗する気も起きない。
数秒後唇が離れた時、至近距離の猩々緋が怒りよりも強く、ただひたすら見たこともないほど強く、燃え上がっていた。
「逃がさぬとも、我は言うたぞ」
何か言わなくてはと口を開きかけて、閉じる。
今までにないほど感情を発露させたヴァーグは、俺の反論を言わせる気すらなさそうだ。声そのものを出させるつもりがまるでない。
周りを睥睨する彼は、この言い表せない場所ですら支配しようとするかのようだった。
「う……っぐぅ……?!」
空間そのものが、何かとんでもない負荷をかけられたかのように悲鳴を上げている。
ただの人間の俺も当然無事では済まない。内臓から骨から肉から血液から、物質でないものまで、軋み、歪み、壊れそうな暴力を絶え間なく浴びせられているかのようだ。
止まっていた時間に無理やり入り込んだヴァーグは、その外へと引きずり出ようとしている。本来なら俺がもう戻れない場所へ。
待て―――待て! 声に出せないまま、心の中だけでも止めようとする。
そもそもこの何もかもが死んだ、超越者の空間は、たとえ魔属であろうと入ってこれるものではない。
事実、超越者と会ったことをヴァーグは知ることができていなかったし、俺が奴を呼び、マルダラに行っ
ても、ヴァーグは追いかけてこられなかった。
強引に来ることを予想してはいても、まさか俺ごと出ようとするとは―――!
空間に罅が入り、ヴァーグと別れた場所がその外に見えたとき、俺にだけだろう、声が聞こえた。
『……ここまでされちまったら、返すしか、ねぇよなぁ……』
超越者らしくもない、呆れ切って脱帽したと言わんばかりで、もうどうしろっていうんだと言いたげな脱力しきった弱気な声。
その声が聞こえた時、俺を罅とは逆の方向へ引いていた力が消えた。
途端、かかっていた圧力そのものが消え、体が罅の外へと吐き出される。
『ったく。俺の心の広さと、その馬鹿の規格外の行動力に感謝しろよ?』
意識が遠のく最後に、超越者の愉快そうに笑う声が聞こえた。
暖かな眩しい日の光に催促されて、俺は目を開いた。
罅の外に見えたのは街だったのに、ここはどこかの湖畔らしい。どおりで光が乱反射して眩しかった筈だ。
体の、節々が、痛い。
横になったまま、まずはじっくりと自分の体を確認する。とりあえず、手足がもぎ取れたりは、していないようだった。
しかし、横紙破りを通り越して、なんという無茶をやりやがるのか。
「……ヴァーグ……!」
ぎしぎし軋みを上げる体を起こしながら、どこかぶすっと不貞腐れたように、そっぽを向いて座っているヴァーグを睨みつける。
掴みかかって殴ってやりたいところだ。
「我は、間違うて居らぬぞ」
「……この、野郎……! あのなぁ……」
まだ体中が痛み、うまく話せない。
向こうを睨んでいた目が、じっとりとしたまま、俺を射抜いた。
「何ぞ? 我に隠し事をして、わざと殺されようとしておいて、その上で、何ぞ、言う事があるか?」
「……」
―――バレてたらしい。
わざわざ言葉を切って、一言一言、しっかりと念を押すように言ってきた。
それに黙ってしまった俺は、墓穴を掘ったも同然だ。
「お前が、大人しく、死のうとするものか。我が割り込んできたと言うに、そのまま誓いを破ろうとする筈がない」
信用されていた、というべきか、それとも流石に永く人間を観察してきていない、というべきか。
確かに、今までの俺の行動と比べると、少々いきなり、諦めが良過ぎた。
「見も知らぬ子供一人を庇って我に歯向かうほどの無謀の塊が、なんの反抗もせずに還る? 冗談は休み休み言え。我の知るお前なら、我が来た瞬間にこれ幸いと脱出を頼んでこように」
「あー……えっと、だから、な……」
チクチクと今までにない陰険な感じで、皮肉を言われる。
いや、まぁ、そうなんだろうが、俺の話も聞け、と、言いたい。
「どうせなら、どうのこうのという理由がある故還るほか無いのだ、と開き直ればよかろうが。それを、よくもまぁ、説明もせず、ただ殺せば良いとは、お前らしくもない。返す返すも、らしくない」
流石に、段々言われっぱなしは我慢ができなくなってきた。体の痛みが引いてきたこともあり、漸く言いたいことを言えそうだ。
「あの場所は、虹彩と、俺の世界を繋いでた、不安定な空間だったんだよ」
体の痛みを我慢しながらの為、区切り区切り、ゆっくり話す。
あの落下する場所は、そういう場所だと超越者から聞かされていたのだ。
「だから?」
「基本的には、一人しか通れないし、出られない。二人もいたら、空間自体が、壊れる」
「―――だから?」
「……一刻も早く、どっちかが消える、必要があって、だな」
「――――――だから?」
「……」
にっこり、と、煌びやかで艶やかで、しかしきっちりこちらに脅しをかけた笑みとかち合う。
……これは、完全に、どんな言い訳をしようと駄目な奴だ。
かといって、本当の理由―――超越者との誓約があったからだ、とは、言えない。それは口にすること自体禁止されていて、口に出した場合別の要素を引っ張ってきて戦争を起こすからな被害倍増期間延長で阿鼻叫喚だぞ、と釘を刺されているのだ。
あの時、超越者は俺と誓約した。
何の邪魔も入らせず、マルダラ国王と交渉し、戦争を止める。その為の障害は全て除外し、そうして虹彩を変えた際には、抵抗せず、大人しく世界に還ること。
つまり、異界流れの宿命を変えないこと。
そのくらいなら、ヴァーグに殺されて終わる方が、俺にとっても、ヴァーグにとってもいいと、思ったのだが。
どうやら、ヴァーグには一切通用しないらしかった。
沈黙した俺を鼻で笑って、彼は言い放つ。
「寧ろ、そのような空間であったなら、壊して正解ではないか」
「……壊そうとしてたのか、お前」
「侵入することは異常に難しかったが、内側からであれば多少力も自由にできるようであったし、それなら壊せるだろうと思うたが、何か問題でも?」
自分の行動に全く問題はない、と思っている発言に、思わず額に手を当てて空を仰いだ。
なるほど、それで、超越者は心底呆れて脱力して、諦めたのだろう。奴は考えを読めるらしいから。
もしかしたら、今頃、誰にも見えないのをいいことに、膝を抱えていじけてやしないだろうか。いや、寧ろ、今の俺の状況を見て大笑いしているかもしれない。
何もかも馬鹿らしくなって、俺はばたん、と寝転んだ。
「まだ、大人しく我に殺されようとした理由が説明されておらぬぞ」
「……したじゃないか」
「お前なら、二人居る程度で壊れるような場所かどうか、まず確かめようとする。いずこからの情報かも知らぬが」
「……」
「第一、我より旧くから存在している異界流れの通り道というなら、その程度で壊れる筈もない」
「……」
「何故だ?」
「……」
これは、別に、嫌がらせでも、何でもないんだよな……?
俺の返答を待つヴァーグは、純粋に不思議そうだった。とりあえず、一旦怒りの矛先は片付けることにしたようである。
しかし、それを素直に答えるのは、かなり、気恥ずかしい。
「元の世界に還るより……お前に殺されたかったんだよ」
「……はぁ?」
意味が判らない、というように、不機嫌そうな声が返ってきた。
どうしよう、これは、言わなくてはならないのだろうか。逃げ道をぶった切って追い詰められている気がするのは、気のせいじゃないのだろうか。
すぅ、と、大きく息を吸い込んで、俺は覚悟を決めた。ただ、まともに見ることはできなくて、顔を隠しながらには、なってしまったが。
「つまり! 俺は! もしかしたら! お前が! 好き……なの、かも……しれない……」
最後が尻すぼみになってしまうのは、もう、本当に許してほしい。
同性に告白するなど、生まれて初めての経験だ。
虹彩では当たり前の日常だろうが何だろうが、俺にとっての非日常なら、好きな女性に告白するみたいに、スマートにいかないのも仕方がないのだ。予行練習なし、事前の心の準備なし、おまけに相手は人間ですらない。
「……」
「……」
おかしい。
こんなことを言ってしまったのだから、ヴァーグのことだ、何かこちらの意表を突くような反応をしてくると思ったのに、なにも言ってこないし、何かしてくる気配もない。
「……?」
ちらり、と、腕の隙間からヴァーグの方を窺ってみると、口元を隠して、明後日の方向を見ていた。
「……」
「……」
え、っと……いや、いやいや、まさかな、いや本当に、まさかだが、もしかして、照れてる、のか?
「……ヴァーグ?」
「喧しい。暫く、黙って居れ」
「……」
どうしよう。当たりかもしれない。
そんなヴァーグなど、初めて見たどころの話ではなかった。青天の霹靂もいいところである。
―――かわいい、じゃないか。
にやにやしながら覗き見していると、その視線と俺の反応に気付いたのだろう、少し機嫌を損ねた視線とかちあった。
ふ、と、表情が変わる。
意趣返しを思いついたと言わんばかりな、底意地の悪い、精神的に優しくない笑顔だ。
「……そうか、そういえば、まだ対価を貰うておらんな?」
「……は? 対価? なんの?」
「我は、魔属の国を作ったぞ? 仮ではあるが、纏めてもおる。そうすれば弥栄、お前は我のものになるのであったな?」
「……はい?」
「しかも、我に惚れておるなら、なんの問題も残って居らんな?」
「…………はい?」
今度は、俺が固まる番だった。
そうだ、そうだった。俺は確かにそう言った。
そして実際、何の問題も残っていなかった。
見事に逃げ道を爆破され細かく砕かれた状態だった。
「よし、選ばせてやろう。ベッドの上まで我を我慢させるか、もういっそ此処で諦めるか」
「―――は? ……はぁ?! ちょっと待て! 似たようなことを前に聞いた気がするぞ?!」
初対面の時のアレは、もしかしてこういう意味だったのか!! 天国ってそういう意味か!!
今現在、この湖畔には誰もいない。
最寄りの街がどこかは知らない。
だがそういう問題ではないと、俺の中で本能が大騒ぎする。
違う、違うんだ、別に、もう少し情緒が欲しいとか、そういう問題ではないんだ!
問題は……そうだ! 完全にヴァーグが俺をからかいながらだってこと―――いやそれでもない、それでもないな!!
混乱状態に陥った俺を、実に楽しそうに眺めて、更にヴァーグが迫ってくる。
タイミングの悪いことに、俺は体を起こすのを失敗しており、まだ体の節々が痛くて余り自由に動けない。
これは、ヤバい。
もう他に何も言葉がいらない位ヤバい。
いつから惚れてるだのなんだのと面倒なことを追及されそうにない代わり、現在進行形で貞操の危機だ。
「……! ……!! ッ!!」
言葉を探しながら、しかし必要な言葉は一切口から出ない。
酸欠の魚のように口を開閉する俺を楽しそうに見てくるヴァーグは、どうやら完全に機嫌を直したらしかった。
それはいいのだが、危険は一切去っていないわけで。
「とっ……!」
「と?」
「とりあえず屋外が初体験だけは御免だッ!!!!」
そういうのがお好きな方々もいらっしゃるだろうが、俺は断固拒否する。
男しか居ない虹彩で、誰かを愛するとしたら、それはそういうのも当然ついてくることくらい、考えは及んでいたが、現実俺に降りかかってくる覚悟はさっぱりしていなかった。
しかも、自分からぽいっとエサを放り投げていた状態だった。
「己でいうのも何だが、我はそう気が長い方ではないぞ?」
耳元で、ダメ押しのように囁かれる。
もう、どうやら、腹を決めるのは秒読み段階のようだ。
「ッ?!」
がり、と少々強めに耳が噛まれ、俺は声にもならない絶叫を上げた。
嫌なんじゃない。それは、もう、それくらいには順応しているんだが、そうじゃないんだが……!!
「逃がさぬ、と、言うておいたぞ……?」
低い、ぞわぞわする、低い声の囁きが落ちる。
噛まれた場所を、舌がなぞる。
混乱して硬直していた俺の脳内と体が、漸く動いた。
力が抜ける。
「……もう、どこにも逃げたりしないよ……」
驚いたような、猩々緋を真っすぐに見上げた。
―――全く。
厄介な相手に、惚れたものだ。
それはきっと、お互い様なんだろうが。
自慢じゃないが、俺の頑固さは相当なものだと自覚しているし。
笑って、驚いたままのヴァーグを引き寄せ、初めて俺からキスをした。
「お前こそ、逃げられると思うなよ?」
多分俺だって、逃がしてやるつもりなんか、もうとっくにないんだから。
月虹群雲は、元は数部からなる小説群だった為、朱き君1部だけでは、全く説明されないキャラクターが何人も登場しています。
(サンタラで助けてくれた暁竹と李羽や、赤銅色の髪の少年、重華たち、螺琴など。
書きたい感情はありますが、読んで下さる方次第であると同時に、過去の自サイトに残してあるもう一つのシリーズも引っ張ってこなくてはなりません。
どうしよう楽しすぎて興奮が止まらない。(変態です。
恋愛ものを書く度になるのですが、イチャイチャさせる時には、私が最もどうしようコレどうしようの混乱MAXです。
なので、弥栄がバッタバタになっているのは私がバッタバタになっている結果だったりもします。
うちのヴァーグさんはかわいいキャラではないのですが?! ないのですが?! と、もう私はどうすればよかったんだ。
(冷静に、紅茶を淹れて、一息ついて、それから混乱すればよかったのでは。
とにもかくにも、ここまでご拝読下さり、ありがとうございました。
なろうで小説を書くのは初めての経験でしたが、非常に楽しかったです。
ですので、性懲りもなく過去の自サイトの転載・修正品を致しますが、温かい目で見て下りますと幸いです。




