最後の、さよならを。3
「……? 弥栄を見た者は居らぬか?」
かくん、とヴァーガンディーは首を傾げた。
余りにも自分を呼び戻す声が聞こえないので、ふと気になり見に来たのだ。
すると、そこに気配はあったのに、本人がいなかった。
そんな事が可能な筈はない。
弥栄自身にそんな事を可能にする力はないし―――異界流れと言っても別に特殊な人間と言う訳ではないのだ―――、また、そんな事が可能な存在を知りもしなかった。
気配だけを残し、本人の姿を消す。
ヴァーグが確認していたのは、気配だけではないのだ。魂が放っている存在感とでもいうものである。魂が存在している以上、それが消えることはないし、本人から乖離するわけがない。魂と肉体を切り離すことのできる存在など、ありえないのだから。
魔属にも精霊にも不可能な事を、どうやって人間がすると言うのかも判らない。
気配が、魂の存在感が其処にあるという事は、逆を言えばそれを追って探すと言う事も出来ない。存在と魂を切り離して行動されてしまっては、こちらの取れる行動はないのだ。
ち、と小さく舌打ちする。
弥栄と行動を共にして確信してしまっていた。
―――アレは約束は破らない人間だと。
闇夜。
豪奢な部屋。
しかし、其処は空虚だ。
どうしてこうも、モノがありすぎると空虚に見えるんだろう。
足音を立てないように気を付けながら、寝台に眠っている男の首筋に冷たい刃先を向ける。
「……」
「動くな」
「……どうやって此処まで忍び込んだかは聞かないでおこうか。しかしまぁ、全く気付かなかった」
刃物を向けられているというのに、男の口調にも、態度にも、全く緊迫感がなかった。
「ついでに、黙って俺の話も聞いて貰いたい」
「それは出来ない相談だな。それに」
ぐんっ、と一気に手首に力が加わるのが判った。
それが判るのと、男に組み敷かれ、刃物が逆にこちらの首筋に当たるのが同時。
「私がただ大人しく刃物を向けられている訳もない。……何だ、此処まで来た割りには随分と弱いな」
「……忍び込むのだけが巧くいったんでね」
薄い月明かりで、男の容貌がぼんやりと浮かぶ。
また……綺麗な。
魔属の毒々しい美しさではない。
人間の美しさだった。
人間の、醜さも賢さも正しさも過ちも含んだ、危うい美しさ……ただ、人形だ。
意志のある人形は、きっとこんな表情をしている。
「おまけに」
面白くも無さそうに言って、男は俺の上からあっさりと退いた。
刃物は……奪われたままだが。
「どこぞの国が仕掛けた刺客と言う訳でもない。何が目的だ?」
完全に自分の実力が上だと確信したのだろう、とっとと灯りを灯す。
「……いいのか、こんな夜中に灯りなんて点けて」
「また小姓の誰かを連れ込んで居ると思われるだけだ。別に誰も気にしない」
「……」
そんなに頻繁にとっかえひっかえしてるのかよ。
白々とした面白くない思いが顔に出たのだろうか、人形が哂った。
「何だ、文句でもあるか?」
「別に。俺にあんたの生活態度をどうこう言う資格はない」
人形に哂われる、それも俺にはないが。
「目的を聞いたな」
「ああ。物取り目的ならそこらのを勝手に持って行け。別に要らん」
ひらひらと無駄に豪奢な天蓋の布を揺らす。
俺はそんなつまらなそうな男の様子を見ながら、ゆっくりと寝台から降りた。
「あんたの命が欲しい訳でも、ましてや物取りが目的でもない」
「だろうな。物取りならわざわざ私を起こしはしない」
「ただ頼み事が有って来た。―――マルダラ国王、唐敷 螺琴」
俺が名前を告げると、にぃ、と人形が笑う。
つまらないことだらけの世界で、漸く玩具を見つけた様に。
だけど生憎だ。
俺はあんたの玩具になりに来た訳じゃない。
「私が誰か、は一応判って居るらしい。何だ」
「戦争は止めておけ」
「面白い」
全く面白く無さそうに、螺琴は呟く。
「……何処かで見た顔だと思っては居たが……魔属憑きの子供か」
「子供ってあんたに言われるほど、年は離れてない。俺はただ戦争を止めに来た」
「ふぅん」
「魔属の土地が欲しいなら、もっと別の土地を目指せ。魔属を相手取るのは英雄じゃなくて愚者だ」
俺の言葉に、螺琴はにやり、と嗤った。
この世界全てをつまらないと思っている笑顔で。
「英雄になりたいと思った事は無い。それよりは蛮勇を褒め称える愚民に成り下がりたい」
「……安心しろ、それなら既にお前はとっくに愚民の一部だ。魔属から見たら、って制約が在るけどな」
「ふん、限定か」
「返答は……行動は変えるつもりは無い、でいいんだな?」
「それよりも先に問いに答えろ、魔属憑き」
「……何だ」
ふらり、と螺琴が首を傾げる。
無表情に、人形の顔になって―――俺には出来ない、表情。
「お前は、どうなんだ?」
「……俺?」
問われた意味が判らず、俺は瞬いた。
「お前は、蛮勇を褒め称える愚民か、それとも無知を振りかざす英雄か」
「……」
ああ。
ヴァーグが言っていた意味が判る。
こいつは、確かに有能だ。
有能、なんだろう。
才能のあるもの。人の上に立てるだけの者。
けれど、それ以上では無いもの。
人形に才能が有って何になるだろう。
そんな無駄なものは、必要ない。
ただの人形なら、傀儡王としては役立った。ただの天才なら、賢王として名を馳せた―――けれど、人形の天才。
それは、一体何の利益を生むのか。
成程、超越者―――こんな奴と相対する事を運命付けられていたんなら、俺は確かに意地でも宰相に上り詰めて戦争でも何でも止めただろう。
俺は、しばし無言でその人形を見つめた。
別に何かを覗き込もうって訳じゃない。人形を鑑賞するのに、何かの理由なんて必要ないだろう?
「どっちでも無いさ。あえて言うなら……俺はただの、戦禍を見過ごせない馬鹿だ」
「……馬鹿、ね。その割には機転が利くらしいが。私の人形も、お前が逃がしたようなものだろう?」
「人形?」
まさか、あの赤銅色の少年の事だろうか。
流石にその言い様には腹が立ち、む、と眉間にしわを寄せる。人を人と思わない、そんな基本の最低な性格だけはよく判った。
「あの人形、どうやら異界流れらしいが、まだ世界を変えていない。私は、その変革を見たい」
にぃ、と笑みを深くする螺琴。
どうやら俺の反応で共通の人物を思い浮かべていると言うのが伝わってしまったらしい。
「……彼が逃げきったのは自分の力であって、俺の助力なんて微々たるモノだ」
「そうかな? お前さえ居なければ、私はあの街でケリを付ける自信があったが」
「関係無いさ。追い詰められてもギリギリのところでかわせるのは、それはその人の力だ。少なくともお前には運が無くて彼にはあった」
「中々いい口の利き方をする。此処がどこか判ってるのか? 私が一声出せば、お前は死ぬ」
ふ、と俺はそんなことを言った彼を笑う。
そんなことを、俺が覚悟していないとでも思ってるのだろうか?
ヴァーグの加護から、魔属の安穏から足を出して、敵国に乗り込んでいる俺が、その程度の覚悟をしていないとでも。
そして、その対策をしていないとでも?
「判ってるさ。大丈夫なんだよ―――どれだけお前に声を出されようが。俺は。とあるヤツと契約しててね」
「……魔属か」
「……まぁ、近いようなもんだ」
おそらく聞いているだろう超越者が、ここに声を出せたとしたら”おい馬鹿野郎誰が魔属と一緒だ誰が今すぐ訂正しろこの命知らず”位返ってきそうだが、近い……筈だ。
「それでも、私が直接お前を殺すことは可能だろう?」
「可能だな」
「……」
絶句に近い沈黙。
俺もよくよく呆れられるものだ。
「忘れてもらっちゃ困る。俺は今まで魔属に憑かれてたんだぜ? 命の危険位毎日感じてた」
……いや、そんなに毎日感じては居なかったけど。ていうか全然感じてなかったけど。
「大分話が横道にそれたな。で、返答は、否、でいいのか」
「……まだ、切り札がある、そんな顔だな」
「無い訳でも無い」
切り札は隠すから切り札、なんだし。
ただの説得なんかで、一国を動かす事が決定出来るなんて思って無い。流石に俺も、そこまで無知じゃない。
話してみて、どんな奴なのかで決めようと思っていた。
持っている切り札は2つ。
超越者からもぎ取った切り札2つは、それぞれ使い道が違う。
マルダラ国王の性格によって、どちらか1つしか使えない―――それを選ぶ、そこから先は俺の考え次第。そういわれたのだが。
あの野郎……最後まで人の事遊びやがって……!




