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月虹群雲、朱き君。  作者: 雨宮ムラサキ
忌避すべき、理由。
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忌避すべき、理由。3

 目の前で、ざっくりと空間が裂けた。

 数瞬前まで、自分が存在していた場所だ。

「成程、良い様だ」

「喧しいの。貴様とて然程変わりは在るまいに」

 明らかな侮蔑を含んだ一言に、矢張り侮蔑を込めて返す。

 鐡のグラファイトとは、それなりに長い付き合いのある魔属、と言ってよかった。

 彼が発生してすぐに知り合っているので、時間だけはかなりのもの。

 お互いそれなりに満身創痍。

 見た目には見えない、存在という根幹に及ぶ様な傷は未だ受けていないが、それもいつまで均衡に保てるかはわからない。

 勿論、それは向こうも同じ心情だろう。

 長く生きてきただけ、一日の長が、ヴァーグにはある。

 それだけの話。

 魔属同士の関係などそんなものだ。

 長く生きていても若い魔属にあっさり敗れもし、そしてそのまた逆もあり。

 狡猾と力量を測り違えるほどヴァーグは若くもないが、同時に向こうもそれだけの分別を持ち合わせている。

 厄介なことだ、と声には出さずに思う。

 もし弥栄の嫌な予感とやらがコレだったなら、兜を脱ぐしかないだろう。

 魔属にとっての滅びとはそこまで忌避すべきものではない。

 只存在するだけの存在の始まりと終わりに、一体誰が興味を示すだろう?

 魔属当人にとっても生死の境目など興味がないときては、本当は何時滅んでもおかしくない種族、なのかもしれない。

 しかも好戦的で挑戦的な性質である。

 これはもう存在し始めると同時に滅亡しているのと同じ事だ。

 それが中々滅ばないのは少々興を誘うか、と、ヴァーグは声に出さずに思案した。

 人が繁栄するのは確かに好戦的な面もあるからだろうが、魔属のそれとは根本的に違う。

 魔属は只の興味本位、人のそれは―――突き詰めれば死を回避する為の、他者から害されない為の好戦さ。

 臆病さを多分に孕んだ強さだ。

 ああ、とふと思い返す。

 弥栄は死を厭わなかった、と。

 自分を捨て身にしてでも、止めたいものは止める。

 ヴァーグの気分一つで殺されることを自覚しているだろうに、真っすぐに抗ってくる。

 その潔さは、もしかしたら自分たち魔属にもない強さなのかもしれない。そして、今まで観察してきた人間たちにも、そんなものはなかった。

 同時に、弥栄の強さは、酷く脆くもあったが。

 あった、と考えた自分自身に苦笑を漏らす。

 どちらに転んでもおかしくない勝負のこと、これを終えることが出来るだろうか。

 終えて、また―――彼に付き纏ってもいいのだろうか。

 す、と薄い刃の様に差し込む疑念。

 グラファイトとの戦闘は続けながらも、考えるのは全く別のことだった。

 今頃は恐らく、離れたこれを好機とばかり重華が魔属憑きのことを説明しているだろう。

 いつか殺されるかもしれないと判った上で、それでも尚まだ、ヴァーグがつけまわすのを容認するだろうか。

 おそらくは許さないに違いない。

 つまり、この戦闘を終えた一番最初の仕事が決まる、という事だ。

 人間はいつでも最終的には、自分の命を優先する。

 それは生命として当然の働きであるし、それを否定しようなどという感情は持ち合わせていない。

 けれど、それと己を天秤にかけ、命が勝る、というなら話は別。

 それくらいなら、と、思考が変わる。

 その間隙を付いて、グラファイトの術が右肩を抉った。

 常の彼ならば、避けるという意識すらなく避けている筈の一撃。

「……成程、我も微温くなった」

 その言葉を受け、グラファイトが笑った。

「微温くなった、と口にする事態、微温い極まりないぞ、朱」

「喧しい。己に指図される謂れも無いわ」

 ひらひらと手を振って軽くいなす。

 存在をかけた中のやり取りだと言うのに、2人の間に緊迫という文字は無い。

 戦力的緊迫はあれど精神的緊迫が無いのだ。

 何ならこのまま別れても、とでも言わんばかりの気軽さ。

 勿論、それでも互いが互いの消滅を狙って攻撃することは変わりない。





「止めろ、馬鹿共!!」




 凛、とした声が割り込んできて、ヴァーグは軽く眉を顰めた。

 グラファイトが視界の端でにぃ、と意地悪く笑ったのが見えたからだ。








 目の前の状況を把握したとき、俺の中の選択肢は止めるから問答無用に止めるへと変更した。

 どちらが苦境か、など判らない。

 只無性に腹が立った。

 その戦い方、とでもいうべきものだろうか、そういったものが、酷く軽々しく見えたからだ。

 戦うのを悪いとは言わない。

 何かをかけて戦うのなら、きっとそれが必要なときもあるのだ。

 けれど、魔属の戦い方をちらりと視界の端に入れただけで、彼らのそれは違う、と判った。

 何も賭け皿に乗せず、ただ顔を合わせたからで戦う、そんな雰囲気。

 そんなものであっさりと命―――いや、魔属の場合は存在か―――のやり取りをされてたまるか。

「これ以上続けるな」

 此処は、無人の街だった。

 誰一人居ない。

 中々に広い街の中を探し回る必要はなかった。

 派手に破壊音を響かせている方に向かえば、それでよかったのだ。

 何故この街が無人か、は判らない。

 もともと人が暮らしていた後がない、まるで人形の街の様。

 もしかしたら、俺達は道に迷わされ、グラファイトとかいう魔属の作った街におびき寄せられていたのだろうか。

 き、とグラファイトを睨み付ける。

 鐡と称されるだけある、見事な光沢の灰色の髪。

 瞳は黒だが、ただの魔属の黒ではないとだけは、流石の俺でも感じる。

「……」

「……」

「……」

 三者三様の沈黙が落ちた。

 只の人間の俺になど、当然できることは無い。

 けれど、それを理由に逃げる様な真似はしたくない。

「……弥栄、我は、引き返せ、と言わなんだか」

「聞いた。でも俺は戻る、とも返事してない」

「……」

 至極面倒くさそうな風情のヴァーグ。

 自分に従うものしか知らなかった為の、思いのままに出来ない他という存在を始めて知ったかのような。

「……成程、確かに面白い子供だ。如何にもお前好みの」

「喧しい。興が失せた。とっとと往け」

「仕掛けたのは俺だぞ。俺は興味が出た」

 むぅ、と嫌そうなヴァーグの顔。

 命のやり取りをしていたにも関わらず、そんな緊迫はどこにもない。

 というか我が事ながら……まるで飼ってるペットに興味を示されて不機嫌な子供と、それを判りつつ興味津々な子供、という図柄が浮かんだ。

 願わくばそれが真実でないこと、だな……

「俺の言いたいのは只一つだ」

 にやにやしているグラファイトと、苦虫を噛み潰したかのようなヴァーグに向かい、俺は再度言った。

「止めろ。今すぐだ」

「我は止める。興が失せたと言って居ろうが」

 なら、問題はグラファイトだけだ。

 話している間にも仕掛けられるだろうに、それをしないという時点でもしかしたらグラファイトも興味が失せているのかもしれない。

 き、とグラファイトをにらみつけると、にやにやとした視線とかち合った。

「子供、面白いな」

「そうか」

 そっけなく返事する。

 何でこう魔属ってのは人のことを面白いだのなんだのと……いや、子供を否定しようとは思わないが。

 とっとと戦線離脱の意思を示したヴァーグは俺の横に立った。

 離脱の意思を示そうが緊張の糸を切らないのは、向こうの出方次第では再開も有り得る、と踏んでいるからだろう。

 暫くそんな様子のヴァーグと俺を眺めていた後、グラファイトは唐突に興味が失せた、という顔をする。

「もういい。飽きた」

「ならばとっとと失せよ、目障り故」

「あーはいはい」

 迷惑そうなヴァーグにも軽く答えて、グラファイトが虚空に消える。

 はぁ、と何故か俺より早くヴァーグがため息を吐いた。

「なっ、何だよ……?」

「我は、引き返せ、と言うたな」

「聞いた。が、さっきも言ったように了解はしてない」

「……屁理屈ばかり覚えよって……」

 お前に育てられた覚えは無いが、と思いつつ、俺はむぅ、と眉を顰めるだけに終える。

「第一重華に吹き込まれたであろうに」

「吹き込まれたって、何を?」

「だから……人間が魔属を忌避する理由の一端を!」

 珍しく逡巡する雰囲気。

 というか……もしかして、凄く戸惑ってる?

 それともまさか、滅茶苦茶恥ずかしい、とか。

 その雰囲気が面白くて、ついつい噴出した。

「笑うでない。真剣だというに」

「いや、真剣だから笑えるんだろ」

「で、聞いたのだろう!?」

 中々笑いを収めない俺に痺れを切らして、苛々を隠そうともしないヴァーグ。

 人間に主導権を持たれる、というのが物っ凄く赦せないのだろう。

「聞いたよ」

 その疑問にあっさりと答えを返した。

 む、と眉を顰める。

 ああ、確かに魔属憑きの話は聞いたさ。

「でも、其れがどうかしたか?」

「どうかした、では無かろうが……」

 あっきらかに呆れた声。

 呆れるなよ……

 こっちは決死の思いで十重達の忠告蹴って来たんだぞ。

 そうは思いながらも、まぁ、いいか、と潔い感情が芽生えた。






「信じたい相手を俺は信じるんだ」





 何でも無いことだろう。







 なぁ、ヴァーグ?

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