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月虹群雲、朱き君。  作者: 雨宮ムラサキ
忌避すべき、理由。
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忌避すべき、理由。2

 ―――何も言わずに姿を消す事なんて良くある。

 今回がそれと異質だということくらい、何故か痛いくらい判った。

 わざわざ戻らなかったときの為に釘を刺していったからだろうか。

 それとも―――意味ありげに口付けていったから?

 こんな不安な状況で待ち続けるのは苦痛だ。

 大体、何でキスなんかした訳だ!?

 初めて遭ったときにもされたが、まさか何か、これは魔属の中では一般的な挨拶の部類に入るのか!? 人間には違うぞ、バカ!!

 第一、男同士でいちゃついてるのを見てゾッとしていた頃とは違って、ある程度それに慣れてしまっている今だと、また少し違う問題もあるだろうが!!

 ぐるぐるとそんなことばかりが頭の中を回る。

 心配なこと、不安なことは幾らでもあるのに、まるで初めて異性を意識してしまった初恋の様な、何だか誰かに言うには恥ずかしすぎる思考回路だ。

「うー……!!」

 それもこれも、ヴァーグが悪い。

 ヴァーグが意味ありげに言うだけ言って消えるから、それが悪い。

 うじうじとひざを抱く俺。

『弥栄っ!』

「篤亜!?」

 いきなりの呼びかけに慌てて人形を取り出した。

 人形ではない、ただの小さい篤亜の所を見ると、今回はきちんと十重と一緒に話しているらしい。

『今は魔属、居ないね』

「ああ、居ないけど」

『よかった。十重!』

 かくん、と一瞬人形に戻り、また人形が生気を宿す。

 呼びかけたということは、どういう仕組みになっているかは知らないが、おそらく別々の場所にいてもこの人形を使える、ということだろうか。

『何だか、毎回いきなりで申し訳ないな』

「いや、いいよ。俺も話し相手がヴァーグしか居ないのはキツい」

『……随分と、親しくなったんだね』

「……親しく、なったのかなぁ?」

『一般的な魔属と人間の関係からすれば、大分親しいと思うよ』

 そりゃ、一般的には人間の敵だものな。

 それに比べたら、俺はかなり優遇されているのかもしれない。

『完全に君のそばを離れている様だから、話さなくてはならないことを話すよ』

「……うん」

『本当だったら、一番最初に言っておかなくてはならない事だった』

 ふ、と目を伏せる十重。

 話そうとするたびに邪魔が入った事、だろうか?

 特にヴァーグに聞かれると不味いような。

『精霊付きの話は、覚えているね?』

「ああ。まぁ、常識みたいなものだし」

『あれの魔属版があるんだ』

「……ま、魔属版……?」

『そう、今の君の状態だけれど』

 ……知らないうちにそんなものになっていたのか、俺は。

 厄介極まりない情報に、ひくり、と眉を顰める。

 此処まで至っても俺は―――まだ危機感なんて覚えていなかった。






『魔属憑きは、最後にはその魔属に殺される』







「……え?」

 つまりそれは、俺はいつかヴァーグに殺されると、そういうこと、だろうか?

 だからあんなにも、2人は魔属と共に居ることに難色を示したと?

『どうして魔属が一個人に付きまとうのか、また最終的に殺すのかは判っていない。ただ純然たる真実として、殺す』

「俺も、ヴァーグに殺されるって事か」

『……遅かれ早かれ、いつかは……きっと』

「……ふぅん」

 不思議と、最初ほどの衝撃は消えていた。

 息苦しい、信じたくないという感情も、無い。

 そういえば遭った時、「殺すのはいつでも出来る」って、言ってたよな。

 それを思い出し、俺は小さく頷く。

 麻痺したように紗のかかった思考でならまだ問題もあっただろうが、俺の思考も、感情も、酷くクリアだった。

「判った」

『判ったって……! 殺されちゃうんだよ、弥栄!! 他に言うことあるでしょ!!』

 怒ったような篤亜の声が割り込んできた。

 そうだな、普通だったらもっと、取り乱したりするんだろう。

「其の話が本当なら、随分と長く俺を生かしてるなぁ、とは思うけど……」

 彼本人が言っていた様に、随分長く。

 興味の無いことも頼んだし、ヴァーグをイラつかせることもしただろうし、決して従順な訳ではなかった俺だ。

 それなのに、まだ生きている。

 最近は何だかこちらの意見を聞いてくれさえする。

 そんなヴァーグが俺を殺す、という状況に現実味が薄い、のかもしれないけれど。

『弥栄は、自分を省みないね』

 十重が、ぽつり、と言った。

 ああ、それは自覚してる。

 ヴァーグにも……言われた。

『けれど私たちは、君に死んで欲しくは無いよ』

「……十重」

 つきん、と、胸が痛んだ。

 はっきりと死ぬなといわれたことが、初めてだったから。

 極めて精神的健常者、という訳ではないが、家族が居なくなるまで一度も自分から死にたい、と思ったことがないのだ。

 家族が全員、永遠に俺の前から姿を消して、それを実感する時間があって、死にたいと思うことは何度もあった。

 けれども、それを誰かに言ったりしなかった。

 死にたい、と誰かに言ったこともなかったから、死なないで、とも言われなかった。

 死なないで、と言われる事が、こんなにも重いものだと、知らなかった。

 あ、と、琴線に何かが触れる。

『だから、今のうちに引き返して、少しでも朱の魔属から離れるんだ』

 その琴線の正体を確かめる暇も無く、十重が口を開いた。

「今のうちにって……どうして?」

『今、朱のヴァーガンディーは鐡のグラファイトと交戦中で、相討ちの可能性がある』

「……くろがねの、グラファイト?」

 グラファイトは、そんな黒い色だったか、とか関係のないことが一瞬よぎる。

 それくらい、信じられない言葉を聴いた。

 ―――相討ち?

 あの、ヴァーグが負ける?

 魔属にとっての負けるは、つまり、消滅する、ということ。

 ああ、だから―――戻らなかったら引き返せと、彼は。

『え、弥栄?』

「あ、ああ、ごめん」

 知らない間に長く考えに沈んでしまっていたらしい。

 此方を案ずる十重の声が聞こえた。

 沈んでいた思案から立ち戻れば、俺が決断しなくてはならないことが目の前にある。

「その、グラファイト、とか言う魔属は強いのか」

『強い。ヴァーガンディー程長く生きては居ない、まだ若い部類に入る魔属だけれど、其の実力はヴァーガンディーに席巻するとも言われている位だ』

「……へぇ」

 どくどく、と、心臓の音が早くなる。

 自分が死ぬのだと言われた時には何も動かなかった心臓が、その働きを思い出したみたいだ。

 そんな強いのか―――? いや、十重が言う以上、強いのだろう。

 どうしてそんな強い相手とやりあいに行くと、あいつは言わなかったんだ……!!

 戻らなきゃ引き返せだ?! 戻らない理由も説明する気は無いって事か! で、戻ってきたって何も説明する気は無いんだろう!?

 今まで血まみれだったりしたのは、それが、理由じゃないのか?

 俺の知らないところで命のやり取りをして、その全てに勝って来た証じゃないのか。

 ふつり、と沸いた苛立ちと、それ以上の何かに突き動かされて、俺は口を開いた。




「先に進む」




『弥栄?』

 困惑したような十重の声。

 その彼にはっきりと言い返す。

「ヴァーグのとこに行く。あいつが何を考えてるかなんてわからないけれど、蚊帳の外は御免だ」

『魔属から逃げて生き延びるには今しかないんだよ!?』

 怒ったような篤亜の声。

「御免な、篤亜」

 すぅ、と息を吸い込んだ。

 決心は、何故かすんなりと固まる。

「さっき、俺に死んで欲しくないって、十重は言ったろ?」

『ああ……』

「俺だって、あっさり死ぬつもりなんか無いさ。ただ」

 ひょい、と篤亜の人形を持ち上げて掌に乗せる。

 にっこりと笑った。






「信じたい相手を、俺は信じるんだ」





 反論する暇も与えず、人形を鞄の中に突っ込む。

 ヴァーグがいつか俺を殺す為についてきている?

 だからどうした。

 俺は彼を信じたいのだ。

 信じたいから。

 だから、俺に黙って死ぬなんて許さない。

 下らない魔属のプライドだか何だか知らないが、俺は認めない。

 鉄のグラファイトがどれほどのものか知らないが、あんまり人間なめるんじゃないぞ。

 ―――勿論、一番そう言ってやりたいのは、ヴァーグに対してなのだけれど。

 繋いでおいた洵にまたがり、鼻先を街へと向ける。

 来た道を引き返せ、ということは、恐らくこの先の街にヴァーグがいるということだ。

 見えているからといってすぐにつけるとは思っていないが、ただ今は、先へ。

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