決意、信頼。2
夜になって、少しだけ外が騒がしくなった。
少しだけ、というのか、段々騒ぎが大きくなる、というのか。
「……?」
その騒ぎが若干物騒な気配を孕んでいて、俺は外の様子を伺おうと窓へ向かった。
「関わり合いにはなるなよ」
「……善処する」
とめようとしても無駄だ、と学んだらしいヴァーグは、そうとだけ言う。
しかし、その言葉を聞く限り、完全に俺が首を突っ込みやすい類の厄介ごと、と予想はついた。
勿論、善処だけして関わる。
「……あれ?」
窓の外には、何も変わったことが無かった。
たとえば夜盗とか、魔物の襲来とか、そういったことも何もなく、ただ普通の田舎町の風景が広がっているのである。
ざわめきが見えないのか、と方々見渡すが、特に変わった様子も無い。
それなのに、胸の奥には何とも言えない、澱のようなものがこびりついて離れない。
……なんだろう。
すごく、嫌な感じだ。
それから暫く耳を澄ませて辺りを警戒したが、何かが起こる気配も、怪しい物音もしない。
「……何だったん、だ?」
「特に気にする必要もあるまい。此処に居っては意味の無い事だ」
「……って、いうと?」
要領を得ないヴァーグの言葉に首を傾げる。
「お前は我と共に長く居すぎたらしい」
「え?」
何処か苛立ちを含んだ呟き。
長く、というが、そんなに長く居たのだろうか―――ああ、そういえばこれでかれこれ7、8ヶ月一緒に居ることになる。
それは長い、のだろうか?
人間同士の付き合いなら、仲のいい友人、に加えてもいい位の時間だろうが、魔属に関してなら、彼らは俺達以上に長く長く生きるのだから、本の瞬き程度の時間だろうに。
「加えてお前が異界流れであるというのも、原因の一つであるやも知れぬな」
「……どういう意味だ?」
「今のそれは、魔属が感じる厄介ごとの気配。特に強いもの、ではあったが」
「……今のが」
「ただ、今の気配はこの辺りのものではない故、我も止めはせぬ」
「そうか。……お前はいつもあんなのを感じてるのか?」
「全く同じ感覚ではあるまいが、な。我の感覚が僅かばかりお前に移ったのだ、本来我が感じる気配とはまた違う」
つまり、俺は今ヴァーグがいつも俺を止める理由を体感した、という訳か。
俺は勿論魔属ではないから、気配を感じてもそれを細かく分析することはできない。
ヴァーグは今の感覚から、場所や、その確率、具体的な内容まで感じ取れるのかもしれなかった。特に強い、とは、そういう意味だろう。
確かにあんなにはっきりと判るのなら、俺を度々止めるのも頷ける。
「参考までに教えてくれ」
「何ぞ?」
「今のは何処で、どんなのが起きる気配なんだ?」
「……行かぬぞ」
「判ってるよ。参考にって言っただろ」
「……」
重ねて問いかけた俺を不審な目で見るヴァーグ。
遠くで起こる、というのなら、俺にはどうすることもできない。
手の届く範囲ではないのだ。
ただ、何なのか知りたいだけ。下世話な興味と言われてしまえば、それを否定できない類のもの。
「―――マルダラの方だ。おそらくは都市単位の暴動か、戦争の起きる前兆に違いあるまいな」
「……戦争」
「止めておけ、人の身には到底避けられぬ厄災故」
ひらひらと手を振って俺の困惑やら何やらをいなす。
―――戦争。
戦争が、起きるのか?
どうして?
マルダラは豊かな国だと聞いた。
豊かな国でも、幾らでも戦争する理由はあるだろうが、それ以上に勘繰ってしまう事がある。
その原因は、異界流れなのか?
同じ世界からこの虹彩に流れた、誰かが原因で戦争が起きるのか?
異界流れが戦争の原因になった歴史もある、と十重に聞いた。
それが、起きたのか?
ああ、そうだ。
マルダラなら4ヶ月も前にヴァーグが危険だと言っている。
彼はそんなに前から戦争の予兆を感じていたのだろうか?
ぐるぐると頭の中を疑問が回る。
はっきりと行かない、といわれた以上、マルダラに行くことはできない。
それに、もし行った所で何もできないと言う事位判っている。
異界流れとはいえ、ただの人間なのだ。
人間が一人でできることなんて、本当に限られている。
「……ヴァーグ」
「我は行かぬと言うたぞ、弥栄」
「判ったってば。行かないよ。でも、もし判ったら答えてくれ」
「……何を」
「今から起きるかも知れない戦争が止まる原因って言ったら、何だ?」
「……面白い事を聞くな、弥栄」
「……」
戦争は、止められない。
国が動く、というのは一人が努力したら止まる、とかいうのではない筈だ。
それなら、それが止まる様な事態とは何だろう。
気になった。
「例えば、マルダラ王が崩御するとか、例えばでいい」
「マルダラの王が倒れても、他の者が起こす。止まる原因には成り得ぬ。成り得るなら……」
「なるなら?」
「それ以上の脅威の出現、であろうよ。人はいつでも脅威以上の脅威に平伏す」
「戦争を起こしていられない様な、脅威、か」
―――魔属、みたいな?
口に仕掛けて、慌てて飲み干した。
それを言った後の反応が怖い。
頷かれるのが怖いのか、それともその程度で戦争は止まらないといわれるのが怖いのか、それはよく判らなかった。
兎も角、本当に俺に出来る事は無いのだ。
諦めて、戦争とは無縁の土地に隠れているしかない。
それによくよく考えれば、ここで戦争を止める為に行動するって言うのは、虹彩を変える事になるんじゃないのか?
約束を破る訳には行かないだろう。
……でも。
必死に自分を納得させようとするが、うまくいかない。
もしかしたら、納得させようと浮かべる理由が、言い訳だからかもしれなかった。
まんじりともしないまま夜は明けて、俺はその村を後にした。
本当に平和な農村だったのだ。
別に何かの諍いがあって大変だとか、魔属に脅かされているとか、そんなのはない。
とても静かに毎日が過ぎていく様な、そんな村だ。
平穏な村に長く魔属連れで滞在するのも申し訳なく、俺は普段なら後2、3日居るのを切り上げたのである。
「……その鉱山に行くには、どっちへ向かえばいいんだ?」
また逆の方向に戻らなくちゃいけないから遠回りになる、なんていわれた日には泣くに泣けない。
洵―――あの後決めた馬の名前―――の背に揺られながら、俺は内心かなりビビりつつ背後のヴァーグに聞いた。
まだ羞恥心は抜けないが、後ろに人が居るというのはそれなりに安定感がある。
「このまま道なりに東に向かう。飛ばせばそれなりに早くも着こうが……あまり得策ではなかろうな」
「東かぁ……」
道案内は全てヴァーグ任せになるのが実は少し不安なのだが、その不安はあえて気にしないことにした。
恐らく勝手に道を選んで進んでくれることだろう。
「その町もやっぱりさっきの村みたいに平和なのかな?」
「どうであろうな。我も全ての町を記憶している訳では無い故、どうとも言えぬ」
「そっか」
野暮な事を聞いた、と反省。
自分でも気付かないうちに、もしかしたらヴァーグに頼りきりなのかも知れない。
「……妙な」
「どうかしたか?」
ぽつりと、零された言葉に背後を振り向く。
僅かに考え込むような彼の表情に嫌な予感がよぎった。
まさか次の町から不味い気配でも感じたのだろうか―――彼の言う厄介ごとの気配を実体験してしまった以上、下手に抵抗もできない。
「……いや、特に問題はあるまい。少々面倒な呼び掛けが合っただけのこと、お前には関わり無いだろう」
「呼びかけなら……行かなきゃいけないんじゃないか?」
「声をかけるのは向こうの勝手、行くも行かぬも我が決める事だ」
「……ふぅん」
魔属は 複雑だ。
逆か?
何もかもの基準が自分の気分なのだ、物凄く単純明快な行動原理なのかもしれない。好き勝手個人で動いている、といえばそれまでなのかもしれないが。
「なぁ、次の町が鉱山って訳じゃないんだろ」
「当然だ。鉱山―――レガーラに行くまでには3つ程町を通る」
「じゃあ、レガーラに急いでくれとは言わないから、なるべく早く、次の町にいけないかな?」
「努力は出来ようが……何故だ」
「何となく……急いだ方がいい気がするんだ」
「……まぁ、頭に止めては置く」
自分でも妙な話だとは思うが、頭の片隅で警鐘が鳴り響いている気がするのだ。
それは昨晩感じた気配とは全く違う、茫洋な、けれど無視する事も出来ない、人間の嫌な予感。
そんなやり取りがあって1週間。
未だに町らしき影はなく、鬱蒼とした森の景色が続く。
「―――まだつかないのか?」
少々イラつきながら、俺は馬を休ませているヴァーグに問いかけた。
まだ慣れていない事もあり、早めに野宿の準備をしなければならないのだが、それが何故か無性にもどかしい。
「まだ後5日は掛かろうな。……何を急く?」
「……判らない、けど……凄く焦ってはいる」
人間以上に人間に疎く、けれど同時に聡い魔属に隠し事をしても無駄だ。
そう思い、俺は大人しく告げる。




