厄介事、気配。5
小さく息を飲む気配がした後、声が続く。
「成る程―――何か知っているのは間違いなさそうだな」
男はそれでも、此方の威嚇を軽くいなしてきた。
侮れない、と評価を改めるべきか、それとも俺並の向こう知らずだと嘲るべきか。
兎も角俺が今すべき事は、この手強そうな相手からどうやって逃げ出すか、だけだ。
「知らない、と言ったら?」
「信用ならない以上、大人しく解放する訳にもいかない」
「その権利が貴方にあると?」
「ある」
おお、はっきりしたものだな。
これは口で云々言い合っても埒があかないだろう。無理をごり押ししているのは俺だし、向こうは魔属の存在にも揺るがない強者だ。
「……己にその権利が有ろうが無かろうが、我の知る処では無いな」
くつくつ、とヴァーグが喉を震わす。
……確かにお前は好き勝手に行動するだろうな……
そんな風に内心ため息をついていると、がし、とヴァーグが俺の腕を掴んだ。
「我を止められるならば止めてみよ、銀の!」
何処か虚空にそう宣言し、視界が歪む!
ざぁ、と脳裏に風が吹く様な感覚の後、街中に居た筈の俺は木陰に居た。
「ヴァ、ヴァーグ……何をするかせめて教えてくれ……」
「うむ?」
ふらり、と首を傾げる。
俺が何を言いたいかは伝わっても居ないらしい。
「……なぁ?」
「何だ?」
「“銀の”ってのは、色付きの魔属なのか?」
「そうだ。まぁ―――我程は生きて居らぬし、敵でも有るまいが」
敵になる・ならないはかなり怪しい情報なので考慮に入れないにしても……あの街にはヴァーグの他にも魔属が居たのか。
勿論俺は魔属を探して歩いていた訳ではないから、当然と言えば当然だ。
「……ん? つまりあの馬車の人は魔属だったのか?」
「何故そうなる……」
ふぅ、とヴァーグはこれ見よがしに肩を落とした。
まるで出来の悪い生徒に説明するような調子で、今一理解できていない俺に説明する。
「あの街には、我の古馴染みと言えば聞こえは良いが厄介な腐れ縁の同属が居よった」
「うん」
「どうやら手出ししたそうに彷徨いて居った故、わざわざ釘を差した迄の事―――ああして口に出せば、多少なり周りへの牽制にもなろうしな」
「……へぇ……で、その銀の魔属は今どうしてるんだ?」
手出ししたがっているなら、此処でのんびり御教授賜る事もない。
そんな切迫した俺を横目でちらりと見て、ヴァーグは事も無げに肩を竦めた。
「特に何も」
「―――はぁ?」
あっさりした返事に、思わず素っ頓狂な声が出る。
ちょっかい出したがってるんじゃ無かったのか!?
「その前にも釘は差して居る。我を敵に回してまで遊ぼうと思う愚か者でも無いわ」
「良く……言い切れるな」
「その位知恵が回らねば、永く生きる事等出来まいて」
ひらひら、と手を振って俺の不安を杞憂と笑うヴァーグ。
警戒心を持たなくては長く生きられないのは魔属も同じ、と言うことか……?
ヴァーグが此処まではっきりと否定するのだ。おそらく本当にその銀の魔属は手出ししてこないのだろう。
「……で、此処は何処なんだ?」
「ウルパからはそれなりに離れた森。我も名は知らぬ。……人の付けた名などに興味はない故な」
「そうか……次に行く町はどっち?」
す、とヴァーグは無言で西を指差した。
西なら―――十重達の森の方角だ。
もしかしたら限りなく戻り道に近い事になるのでは無いだろうか?
「―――もしやせぬでも、殆ど遡りになるわ」
嫌っっっそうに眉を顰めながら、ヴァーグは俺の心の疑問に答える。
そんなに嫌なら他の道でも良いだろうに、ヴァーグは小さく舌打ちした。
「例えそうであろうが……マルダラに向かうよりは幾分かマシよ」
「……そんな厄介な事なのか。具体的にはどんな事なんだ?」
彼の言葉を疑うわけでは無いが、どんな類の厄介事かを知っておけば、ある程度の自己防衛は出来る。
余り具体的な表現は好まないらしいヴァーグだが、こればかりは聞いておかなくてはならないだろう。
だがしかし。
「……判らぬな」
「はぁ!?」
「その様な声を出すでない。我とて全知で無い。問われた全てへの答えなど持ち合わせて居らぬわ」
「……でも、厄介事があるって言ったのはお前だぞ?」
「厄介事の有る無しとその内容は結び付かぬ。……内容が判るならもっと早うに手を打つ」
「へぇ……?」
手を打つのか、厄介事の好きな魔属が。
ちょっと意外な答えだな。
その訳の判らなさにも段々馴れてきそうで怖いな。
ともかく、彼の言う厄介事の予感は、俺達人間にとっての虫の知らせの様なものなのだろう。
俺達のそれと違って、不気味な位正確でピンポイントだが。
「……さて、行こうか」
「そうだな」
向かう場所が判っているなら、迷わない。
強く拳を握った。
すれ違っただけの縁だが、あの少年が無事に逃げ切れていればいい、と思う。




