厄介事、気配。4
交換したフードは、明らかに豪奢な作りだった。
「―――逃げ切れよ」
「はい」
真っ直ぐに視線を交わし、俺は背を向けた。
もと来た街道へと歩き出しながら、背後で彼が歩き出す音がする。
彼の名前も、何から逃げようとしているかも、全て聞かない。
聞いても俺にはどうしようもないのだ。彼が逃げきることを祈るだけ。
街道に戻り、ふぅ、と溜め息を零す。
後は俺が自分を何とかするだけだ。
いや、それが一番難しそうだが。
「愚か者め……!」
苦虫を噛み潰した様な、不満で不機嫌そうな声が聞こえ、次の瞬間ぐらりと足元が傾ぐ。
その声がヴァーグのそれだと思い至るのと、辺りの景色が宿屋の個室に変わるのがほぼ同時だった。
「己は学習能力が無いのか? それとも我が言うた事は頭の片隅にも残らぬのか」
「いや……そんな事は無い、けど……」
おー……ぶいふい言わしてるなぁ……
完全にご機嫌斜めだ。厄介ごとに巻き込まれたには違いないとはいえ、別にヴァーグの忠告を忘れた訳じゃ無い。
ただ完全に―――目の前にある問題に頭を持っていかれただけだ。
「わざわざ自分から首を突っ込むなと、我は言わなんだか」
「覚えてるさ。でも今回は不可抗力だ」
いや、不可抗力な筈。
だってぶつかったのも完全な偶然だし。
小さくそう呟くが、不機嫌そうな顔は全く変わらない。どうやらヴァーグの怒りを治めるには言葉では足りない様だ。
「……悪かったよ」
「最早一刻の猶予もならぬ。悠長に準備を整えておる暇は無いぞ」
「判った。一つだけ頼んでも良いか?」
「―――何だ?」
言葉を返すだけで絶対零度の不機嫌はよして欲しいんだが。
「西門から出たい」
「西門? ……それならばまぁ、出来ぬでもない」
「後、街を出る前までは、このフードを使う」
「―――巫戯けるなよ、弥栄」
……流石にこのフードの意味くらいは、見ていなくてもお見通しか。
しかし、此処で折れる訳にもいかない。
「このフードで呼び止められても、俺なら問題は無い。言い逃れる方法は幾らでもあるし」
「……判らぬ」
「何が?」
「何の為に其処までする? した処で得など有るまいに」
「無いけど、これが俺に出来る事だ」
「何処までなら己を危険の淵に晒せる? 過ぎれば愚者の筆頭に名が上がるぞ」
「……」
判ってる、けどさ……
それ以上は何も言えない。
自分でも、少しばかり危険に対する意識が薄れている自覚位はある。
しかしその原因の一つは、確実にヴァーグのせいでは無いだろうか……?
危険だ危険だと言われ、実際に町一つを壊して遊んでいる魔属も見たというのに、最も身近にいるヴァーグは逆に忠告もしてくれるし、虹彩の常識を教えてくれさえする。そういうのが毎日続けば、自然と気が緩むものではないだろうか。
まさかそんなことをヴァーグに直接言うわけにはいかないが。
「仕方ないだろう……俺はこういう性格なんだ。嫌なら着いて来なくていい」
「着いて行かぬとは言うておらぬだろう」
「そりゃどうも……」
はぁ、と溜め息を吐いた。
判り難い。
「……俺は確かに危険に鈍いんだろうけどさ……でも」
でも、で一旦言葉を切る。
真っ直ぐに真紅の瞳を睨む様に見つめ、ヴァーグに言った。
「危険に近付いても―――お前は居るんだろ?」
ちっ、と小さな舌打ちをする。
それは肯定と取っても良い筈だ。
あれだけ人に着いていく着いていくと言っていたのだ、今更居ないなんて認めない。
苦虫を噛み潰した様な顔でむくれているヴァーグを苦笑して、俺は纏めた荷物を持ち上げた。
「さ、一刻の猶予も無い。行こうぜ」
俺の言葉に、漸く視線を上げ、しかし相変わらず不機嫌なまま呟く。
「……言われずとも」
……そんな不快そのものの反応を返さなくても。
こんな、姿を見られれば危険、という状況なら、普通はもっと緊張して歩くに違いない。
しかし、俺にそんな緊張は無かった。
寧ろ俺が目立つ方が目的だ。
俺が目立てば、ある程度彼が安全になる。それが明らかなら迷いはしない。
第一追われている彼とは桁違いに、既に付きまとわれている訳だしな。
その状況から逃げ出す方法も無い訳だし。
俺が目立つという目的が有る為、俺以上に目立つ上に横柄なヴァーグには、先に街の外へと向かって貰った。
―――今度は、無言で睨まれたが。
「貴様」
酷く偉そうな物言いで、背後から声がかかる。
俺を呼んでるのか?
「……何か?」
居丈高に話しかけてくるのはヴァーグで十分だというのに。
「フードを取れ」
どう見ても兵士といった格好の男を振り向くと、そんな事を言ってきた。
逆らうのは得策じゃないし、後ろ暗い事もないのだ。
迷わずにフードを取る。
「っ……」
僅かに息を呑む男。
当たり前だ―――俺だって人よりは整った顔をしている。
それを最大限利用する為に、不機嫌に目を細めた。
俺がすると凄みは半減かも知れないが、ヴァーグを見習おう。
美形の不機嫌な表情は、周りに威圧感を与える―――実体験済み。
「……べ、別人か……紛らわしい!」
あくまでも上から目線を崩さない兵士に、流石に苛立ちが募った。
「……呼び止めておいて身勝手な」
絶対零度の温度で呟くと、兵士はひくりと眉を顰める。
「用が無いなら、もう行かせて貰うが?」
すぅ、と目を細め、兵士に告げた。
大分気圧されているのを見れば、俺の要求を断りもしない―――と思ったのだが。
「―――待て」
兵士の後ろを見れば、豪奢な馬車が一台止まっている。
声は、その中から聞こえた。
若い声だ。
偉そうな声だが、それには絶対的な自信が伴っている。裏付けのある、本当に高い身分の人間だろう。
「そのフードは与えたもの……誰から受け取った」
「古着屋で買ったものだ。この街じゃない。……3ヶ月前、かな?」
何という口の効き方を、と憤慨する兵士は枠の外へ追いやり、煙に巻くのに集中する。
おそらく―――そう巧くはいかないだろうが。
「時間軸が合わないな、それは1ヶ月前に仕立てたものだぞ」
「その証明は? 全く同じものだという証明もまだだ」
「それならば、その逆の証明はどうする?」
「……」
出来ないが……まぁ向こうの方が正しいんだし、長引くのは歓迎しない。
―――この手は使いたくなかった。
「証明は彼が出来る」
ふ、と小さく息を吸い込んだ。
迷いを殺す。
「―――ヴァーガンディー」
轟、と風を巻き起こし、黒い長身が現れた。
色を隠す事もなく、きちんと俺がフルネームで呼んだ意味を理解してくれたらしい。
無駄な言葉を必要としない関係は、ある意味貴重だと思う。
ざわり、と辺りが騒がしくなるのが判る。あちこちから悲鳴が上がり、逃げ惑う人で通りがごった返す。
こんな街中に魔属が現れる事など無かったのだろう。
おまけに、現れた魔属はヴァーガンディー―――名だたる魔属の中でもかなりの知名度を誇る、災厄の二つ名。
「中々に面白い趣向だな、子供?」
「……それは良かった」
ざわざわと人が逃げ出す光景を楽しそうに眺めながら、ヴァーグは悠々と馬車へと視線をやる。
当然、その馬車に乗った貴人も、ヴァーグの事は知っているようだ。
「……朱の、ヴァーガンディー……」
誰しも同じ反応を返すのか、など吹き出しそうになりつつ―――同じ反応と言うことはイコールそれだけヴァーグが危険だという証明だ、よく考えれば―――、俺は堂々と言った。
「俺は彼に証明を任せるが……そちらはどうだ?」
「……」
例え明らかな誤魔化しと脅しを含んでいても、魔属を引き合いに出されれば、それ以上の追求は出来ない。
それ位、魔属に対する恐怖と畏怖は深いのだ。
僅かに旅する最中にも、魔属への噂はよく聞いた。
その全ては血の色が滴る様な残虐さで満ちていた。
ならば、魔属の筆頭とさえ言えるヴァーグを、どうして畏れずに居られる?
―――不可能だ。




