厄介事、気配。3
ざわざわとした雑踏が続くバザーで、俺は迷いながら買い物をする。
即断即決、と言うわけにはいかない。
店々に寄って品揃えや価格、品質が全然違うのだ。あるからと言って買ってしまっては、後で後悔する。
なまものなんて買って失敗した日には、泣くに泣けない。
1年遊べるだけの金額を十重からもらったとはいえ、それだって際限なく使えるものではないのだし。
そんな事を考えながら、俺は傘を2本手に取った。
高々傘、されど傘だ。
一番最初に買ってきた奴は安かったかわりに、直ぐに破れてしまった。
「ヴァーグ、どっちがいい?」
「我に問うても仕方有るまいに」
「良いから。どっち?」
「……右」
辟易した風ながら、律儀に答えてくれる。不機嫌と言った顔でも無い。
「ん、ありがと」
右にしておこう。
年長者の言うことは聞いておくものだ―――相手が魔属だったら、これはちょっと違うかな?
「……弥栄」
「ん?」
ふと名前を呼ばれ、俺は首を傾げた。
「帰る訳には―――行かぬだろうな」
「ど、どうした」
吃驚するくらい、低姿勢の言葉だった。
普段の彼からは想像できない程、低姿勢。いつもなら嫌なら嫌とはっきり言うくせに……
「別に急かしはせぬが……今日中に買い物は済ますのだろう?」
「済ますつもりだよ。どっちにしろウルパに長く滞在するつもりはない」
「ふむ―――」
何故か思案するような……何かを天秤にかける様な顔をするヴァーグ。
魔属の感覚と人間の感覚はかなり感度が違うらしく、おそらく今秤にしている事も、俺には全く理解できないだろう。
厄介ごとの予兆しかり、例えば小さな天候の変化しかり、ヴァーグの感覚は少々鋭敏すぎる気がする。
常に気を引き締めている気配は……ないと思うが。
―――寧ろ弛めきってるようにしか、見えなかったりするんだが。
「ならば、良しとしようか……」
すぅ、と目を離すヴァーグ。
口調もいつもより力がないのが微妙な違和感を齎す。
その違和感のもとを探すわけにもいかない様な、微妙な気配。
「少し離れる。常に気は張って居よ」
「……判った」
一言断り、ヴァーグの姿が薄れる。
こんな天下の往来でそんな派手な真似をして大丈夫なのか、と思うが、周りの誰も気付いた様子は無い。
「ふぅん……?」
魔属はかなり融通を効かせる事が出来るんだな。
しかし―――少々妙だ。
断っていくのはいいにしても、何処か本意では無い雰囲気だった。自分の意志を押し通すのが魔属なら、さっきのヴァーグは明らかに自分を押し曲げている―――おかしいな。
俺の行動に対して嫌々ながら折れることはあったが、自分から、自分の感情を曲げて行動するのは、初めて見た気がする。ウルパに入ってから、少しだが、ヴァーグの様子がおかしい、のかもしれない。
「まぁ……いいか」
余程急を要する用事なのだろう。
それを俺が詮索するのも変な話だ。そう考えて、俺は疑問に蓋をした。
関わらない方がいい事もあるさ。
「っわ!!」
いきなり横からぶつかられて、小さくよろめく。
ぶつかった拍子に、お互いが被っていたフードが外れた。
―――あ。
綺麗な人だ。
綺麗な、綺麗な。
赤銅色の髪はまるで、新品の銅を細く細く伸ばして作った様。花葉色の瞳は鮮やかで、不思議な光沢を宿している。例えるなら鏡の様な……何とも言えない輝き。
そしてその綺麗な色が霞む程、人物自体が麗しい。
透明感の有る肌に、全てのパーツが完全に整っている。
精霊付き、なのだろうか?
明らかに人間の美貌から出ている気がした。かと言って魔属の美貌などとは違う。
清廉な、清らかさを湛えた美貌だ。
その美しい少年が此方を見て目を丸くしているのは、少しばかり良い目の保養になる。
はた、と彼がまばたきした。
同時に俺も正気に返る。しまった、自分の容姿と人混みを忘れていた。目の前の彼ほどではないが、俺も目立つ。いつもは横にもっと目立つヴァーグがいるので、妙に麻痺していた。
フードを被ろうと手を伸ばした瞬間に、がし、と彼に腕を掴まれる。
慌ててフードを被りつつも、目の前の少年に続いて走るので精一杯だ。
何故に彼に引っ張られているのだろう。
「不思議すぎる……」
小さく呟くが、それが届く事は無さそうだった。
するすると人混みを抜け、狭い路地裏に入り込んで行く少年。
赤銅色の髪がひらひらと踊るのは見ているだけで楽しくなるが、相手の考えが読めない以上ぼんやりと見とれている訳にもいかない。
人目がなくなって漸く、足が止まる。
「えっ、と……?」
「精霊付きですか!?」
「え、いや、」
此処で否定するのもおかしいか?
いや、しかし……相手の目的が判らない以上、肯定するにも否定するにも、どちらを選んでもごまかしが利かない。
結果、もごもごと口ごもるだけに終わる。
「今すぐこの街から出て下さい!!」
「えっと……?」
黙りこくっていると肯定だと思われたのか、強い調子で言われた。
彼の焦る理由も読み取れはしないが、兎に角何かの不都合があるのは確からしい。
「何で俺にそれを言うんだ?」
「……それは……」
ぐ、と声が詰まる。
助言には違いないのだろうが、何故言われるのかの理由が判らない。……どうやら魔属と話すうちに、まずは理由を探す様になっているようだ。
暫くの沈黙を破って、彼が口を開いた。
「精霊付きでないとしても……今この街は貴方みたいな人には危険なんです」
「俺みたいな、って言うと―――街中をフード被ってる様な?」
「いいえ、そういうのじゃなく、貴方みたいな綺麗な人は、っていう意味です」
「……はぁ?」
この胡乱な反応は仕方無い筈―――だって誰がどう見ても相手の方が美人じゃないか。
確かに色が変わって、自分の容姿が秀でているのは自覚している。
自覚しても、贔屓目に見ても、明らかに彼の方が綺麗だ。
男の美形、というヴァーグとは違い、何処か両性的で儚い美貌を持つ人に、面と向かって美人と言われる、ある意味の屈辱。
「貴方は危険です」
「危険って……言われても」
俺はぶっちゃけきっとその危険とタメ張る位の危険を引っさげて行動しているんだが。
「……具体的には?」
思わず追求してるし。
ああ、完全に魔属への対応になってしまっている。
「誰かに囲われたい、ですか?」
「囲われたくは無いけど……」
そうもはっきり言われると、非常に困るが。
と、言う事は、彼は其処から逃げてきた?
しかしだとしても、それを直接聞くのは不味かろう。
それに、余り人の善意の忠告を疑うのも失礼だ。
「……了解。そんなに長く居る予定は無いし、なるべく早く出る」
「良かった……」
ふわり、と彼は笑った。
物凄く綺麗な笑顔だ。
―――清廉な、純粋な。
「俺は出るけど……君は?」
「僕も出ます」
「……一人で?」
「はい」
こくり、と力強く頷く。
一本通る、綺麗なだけでは無いその瞳。
……心配するだけ、失礼だろうか?
「出るなら東門から出るといい」
「東門、ですか?」
きょとんとした顔。
この情報は信頼できる内容の筈だ。提供者はヴァーグ―――魔属と言う、何とも言えずナニなモノだが。
早く街を出たいのは奴もだから、信じて良いだろう。
「理由は聞かないでくれ。俺も連れに言われただけだから……多分、警備が薄いとか、そんな理由だろうけど」
「……有難うございます……」
「いいよ、俺も助言して貰ったから」
俺は笑って手を振り、ふと気付いて提案した。
「なぁ、フード交換しないか?」
「……え?」
「君は今現在進行形で狙われてるんだろう。だったら、ノーマークの俺のフードなら、ある程度追っ手の目も誤魔化せるんじゃないか?」
「でも……僕のフードを使うって事は、貴方が一番最初に狙われるという事ですよ!?」
「問題無いさ。俺の方は何とでもなる。最悪フード無しで歩いても良い」
……いや、もの凄く目立つだろうが、それ位の犠牲は払える。
それに俺にはヴァーグというジョーカーが居るのだ。
俺が目立つことを嫌う奴のこと、フード無しで歩き回るなど絶対に許さない。
となれば、何らかの手段を講じるのは予想できる。
魔属任せの戦法とは嫌な限りだが……この際良しとしよう。
覚悟を決めて、さっさとフードを脱ぎ、彼に差し出した。
「ほら、早く。二人で此処に来るのは見られてるんだぜ?」
「有難う……」
なるべく早く交換し、それを着込む。




