異形の王と村娘
「我らが王よ、村娘たちをお連れしました」
玉座に座る王に、男が恭しく頭を下げた。男の後ろには、布で目を覆われた六人の娘が後ろ手に縛られ並んでいた。
「うむ」
王は顔を顰めたが、その渋面は被った布で隠されている。従者の男に見えるのは、空けられた穴から除くその瞳だけ。そこに映る感情は静かな悲しみだった。
「なかなか美しい娘たちでしょう?」
従者は王の気持ちが痛いほど分かっていたので、それに触れることが出来なかった。
「…無理に連れてきたのか?」
しかし、王は許さない。自分と従者の罪を。
「…まあ、そうです」
「そうか」
従者は、その一言に微かな震えを感じ取っていた。
そこで、一人の客人が口を開いた。
「…私の部屋はどこですか?」
さらりと綺麗な黒髪を肩で揃えた娘だった。
「…我がお前を選ぶと?」
王は可憐な口から紡がれるその言葉に意表を突かれたが、それを隠して冷静に返した。
「他の皆には家族がいるので。お優しい王は私を選ぶと確信しています。たとえ私が拒否したとしても、貴方様は私を選ぶでしょう」
王は信じられない思いでいた。縛られ目も見えず心細い中、ともすれば自分の不利になるようなことを口にする娘。
「お前は賢いのだな」
王の言葉に娘は続ける。
「私は貴方様に捧げられた生贄。私をどうするかは貴方様の思いのまま。ですが、ただで食べられてやる気はありません」
娘の言葉には反逆の意思があり、間違いなく不敬であったが、それを咎める者はここにはいなかった。王はただただ驚いていたし、従者は喜びに口角を上げていた。
「ただの村娘でしかない私には抵抗する力などありはしませんが、その時は貴方様の御腹を引き裂くことも厭いません」
「くはは。いいだろう。…我はこの娘を選ぶ。クロム、他の娘たちを下がらせろ」
はっ、と恭しく頭を下げる男。
それを、小さな声が遮った。
「待ってください…!」
声の主は六人の中でも一際小柄な娘。見るからに怯えていた。
「彼女には問題があります…!せめて、私を選んでくださいっ!!」
「ほう…?」
まとまった話に水を差され、王は戸惑った。もちろんそれも表に出すことは無い。
「私は料理も洗濯も得意ですし、この広いお城をお掃除することだってできます!どうか私を…!!」
先程の娘が言った通り、王に選ばれるというのは生贄に差し出されるのと同義。この娘がこうまでして留まろうとする意味を王は分からなかった。
「…私は大丈夫。ミエラには帰りを待つ人がいるじゃない。あなたが帰らなければ、お母さんが悲しむわよ」
選ばれた娘がそう言って笑った。
ミエラと呼ばれた娘は「でも…」と零した。
「私の選択に変更はない。しかし、お前の気持ちも分からんでもない。よって、お前をこの城で雇おう。哀れな娘の側仕えに丁度いい」
そうして、四人の娘は御前を退いた。
「…クロム、お前はその娘を連れてゆけ。この城に留まる準備がいるだろう。哀れな花嫁の分も忘れるな」
城で働くことになった娘もクロムと共に去った。
そして、二人になると王は娘に名を問うた。
「はい、サディルと申します」
その声はか弱かった。いかに堂々と振舞おうと、恐れを隠そうと、王には娘の弱さが手に取るように分かった。
「娘よ、我らは今ここで契られた」
王はその顔を覆う布を取り払い、娘を真っ直ぐに見つめた。異形と恐れられるその顔には、娘の人生を背負う覚悟が浮かんでいたが、目隠しされた娘には分からなかった。
王はまた布をかぶると娘に手を差し出した。
「さて、お前の部屋に案内しよう。我の手をとるがいい。ああ、目隠しはそのままで。足元に不安があるだろうが、我慢してくれ」
目が見えないのは怖いだろうが、自分の姿を見るよりはマシだろう。顔を隠しているとはいえ、この姿形はまさに化け物。初日から怯えさせてはこれからの生活に支障が出るだろう。
「…いえ、貴方様の御手を煩わせることはありません」
しかし、娘の簡潔な断りが入る。
「そうか」
王はしまったと思った。自分に触れたい者などいるはずもないし、ましてや娘は無理に連れてこられたのだ。いくら気丈に振舞っていても、やはり自分に恐れを抱いているに違いない。
幸い目的地に行くのに、階段などを使う必要は無い。王は問題ないと判断し、娘を連れて部屋へ向かった。
「そのまま真っ直ぐだ」
目隠しされているにも関わらず、娘は迷いの無い足取りで進む。
「広間を抜けるぞ。数歩先に段差がある。気をつけろ」
言葉足らずの王の注意を受けて、その広間も危なげなく通り過ぎる。
「とまれ。そこを左に曲がって十歩ほど行くとお前の部屋がある」
娘は寸分の誤差もなく部屋の前で足をとめた。
「部屋に入れ、娘。今日からお前はここで暮らす」
王に促され、娘は部屋に足を踏み入れる。
「それじゃあゆっくりしろ。半時もすればあの娘も来るだろう。お前のことを心配していたみたいだしな」
娘は一つ頷いて、それから言った。
「その、私の呼び方なんとかなりませんか。お前、娘、などと言われてもピンときません。なによりこの城の娘は私とミエラとで二人になる訳ですし」
王は娘の言い分になるほどと思った。
「それじゃあ…。…サディル」
醜い自分が名前を呼ぶと嫌な思いをさせるのではないかと思ったが、それは懸念だったのか。
「はい…!」
どことなく嬉しそうなサディルの返事を聞いて、王は何故かとてつもなく恥ずかしくなった。サディルには悪いが、当分は名で呼べそうにないと感じた。
「…っ!我はそろそろ行くからな!なにかあったら呼ぶのだぞ!いいな!!」
王はそうして、逃げるように去っていった。
サディルは良い娘であった。食事と寝室は王と別であったが、素顔を晒さずに済む場所では問題なく同じ時を過ごした。
「なぜその布を外さない?」
サディルの部屋を訪れていた王は、サディルに聞いた。同じく王も毎日欠かさず息苦しい布をかぶり続けたけれど、サディルがその不便を受け入れているのが不思議に思われた。
「従者さんに聞いたんです。貴方様はこういうのが好きなんでしょう?」
サディルの言葉に王は面食らう。クロムの入れ知恵なのかと、ずっと共にすごしてきた従者に軽く怒りを覚える。
クロムは物陰からやり取りを聞いて笑っていた。
(王にこのようなことを言える娘がこの世に何人いるだろうか。本当に、この娘を選んで正解だった)
村娘たちを六人まで絞ったのはクロムで、その中でサディルが選ばれることは必然だった。つまりはサディルを選んだのは実質クロムだったのだ。
「…は?そんなわけがないだろう!」
王には事実、そのような趣味はなかった。サディルがクロムに聞いたというのも嘘である。
「冗談ですよ。もちろん」
クロムのせいかそうでないのかを判断しきれぬ王にサディルは笑う。実はその笑みは不安を隠すためであったのだが、王は気が付かなかった。
…サディルが王と暮らすのに、目隠しは必要であった。王の素顔を見ぬためではなく、サディル自身の理由で。
「まあ、どちらかと言うと助かるがな」
王は自分の容姿を省みた。ギョロリとした黄色い瞳に青緑色の肌。光を受けると生々しく光る皮膚は不自然にすべすべとしていた。
「御顔がとんでもなく不細工であられる?」
直球な疑問が投げかけられた。ここの暮らしに慣れたサディルは時折このような発言をする。サディルの物怖じしない性格を王は好ましく思った。
「皆が恐れるのだ!仕方がないだろう!」
荒らげた声に怒りは感じられない。サディル同様、自分を恐れないサディルの存在に王が慣れてきていたのだ。
「まわりの評価に怯えて生きるなんて…。私には信じられません。王はこの国を立派に治めていらっしゃるのですから、胸を張るべきだと思います」
その言葉は正論であった。クロムは人知れず頷くが、王は認めなかった。
「お前に何が分かるというのだ!人に後ろ指を指される気持ちなど分からんだろうに!」
これまでの苦労や苦しみが思い出され、王の声は強くなった。
「容姿なんてたいしたことじゃありませんよ!何故そんなにも弱気なのですか!」
サディルの声音も強くなる。
「たいしたことない!?よくもそんなことが言えるものだ!他人事だと思って適当に言うでない!!」
王もコンプレックスを刺激され、熱は増していくばかり。
「何度でも言いましょう!見た目なんて些細なことですよ!大切なのは中身!」
サディルは一歩も引かずに言い返す。
「なんだと!?この気持ち、お前には分からん!!お前はまっすぐで美しい髪を持っている!!すらりと長い脚に、真っ白な肌!!胸も尻もあるし、腰は細くて女性らしい!!そんなになんでも持っているお前が、我の気持ちを分かるはずがない!!」
「王…。さすがに今の発言は…キモイです…」
クロムは二人に見えないところで、感想を述べた。
「うるさい!関係ないやつは黙っていろ!」
声が届いたようで、王の叱責が飛ぶ。
「おお、これは失礼しました」
クロムは大人しく引き下がり、再び息を潜めた。
すると、何を思ったのか、サディルが口を開いた。
「学があり真面目!さらに思いやりが深く、よく気がつく!貴方様は素晴らしい王様ですよ!!」
「っ…!お前はまたそのようにっ…!!」
王は赤面した。褒められ慣れていないために、あからさまに狼狽える。
「私だって、何もかも持っているわけじゃありません。貴方様のように賢くないし、優しくもない。貴方様が羨む見た目だって、私は欲しくなかったんです。それよりずっとずっと欲しいものがあるのに、それは絶対に手に入らない。そんな苦痛を私は知っています」
サディルも王に負けず劣らないコンプレックスを持っていた。
「いいや!お前はなんでも持っている!私には無いものを全部!私が毎日毎日、どのような視線に晒されているのか知らないだろう!お前は、あの嫌悪と恐怖の瞳を見たことがあるか!?」
王はサディルに鋭く言い返す。自分の苦しみを他人が分かってたまるか、いいや分かるはずがないと思い込んでいたからだ。
「いえ、それはありませんが…」
サディルの意味深な返しに気づくこともない。
「ほら、見たことか!やはり無いのか!お前はもっと世の中を見ることだ!でないとその世間知らずは治るまい!」
しかし、その言葉は気づかずともサディルのコンプレックスを深く抉った。
「…それは、できません」
俯くサディルに王は続ける。
「これ以上言うことがあるか!?先の言葉を撤回すれば許してやろう!!」
サディルは顔を上げることが出来ずに、それでも食い下がった。
「何度でも申し上げます…!見た目など、些細なことです!どうかその布をお取りください!せめて城内では!どうせここには私と従者さんしかいませんし、従者さんとは旧知の仲なのでしょう!それに、私には見えないのですから…!!」
サディルのこの奇妙なまでの訴えに王はやはり気づかない。サディルに向けたのは冷たい視線だった。
「はっ!クロムはともかく、お前がいつ目隠しをとるかも分からないのに、脱げるはずがないだろう!私はお前を信用していない!」
サディルは傷ついた。
「何を言うんです!私だって、貴方様なんか信じてないですからね!顔をいっつも隠しているような不審者は嫌いです!!貴方様は見た目じゃなくて心が醜いんですよ!!」
王も傷ついた。
「なんだと!?嫌い!?我だってお前が大っ嫌いだ!!」
売り言葉に買い言葉でお互いを切り刻む。目に見えないナイフは二人の心を容易に貫いていった。
「それでは我をその目に映してみるといい!せいぜい後悔するんだな!!」
王は自分を隠す布とサディルの目隠しを取り払った。
サディルははっと目を見開くと、すぐに目を閉じてしまった。ぎゅっとスカートの裾を握った手は白く、力が入っているのがわかる。
「どうだっ…!!恐れを為し…た…か…」
王の語気は小さくなる。一瞬だけ開かれたサディルの大きな瞳に恐怖が映りこんだのを見てしまったのだ。
「…」
ぷるぷると震え、何も言えずにいるサディルに王は深い後悔を覚えた。
「…ほら、悲鳴でもなんでもあげるといい」
せめてもの親切心からそんな言葉をしぼりだす。自分の心の傷が広がることは目に見えていたけれど。…はじめから、恐れられることが分かっていた。だから、サディルは遠慮なく怯えて叫んでくれていいのだ。
「すみません…」
サディルの口から転がったのは謝罪。
「我の言うことが正しいと分かっただろう…?その目に我はどう映ったのだ…?」
王がサディルにかけることができる言葉はこれだけだった。一国を背負う王が頭を下げるのは許されないからだ。
「すみません…」
壊れた人形のように謝罪を繰り返すサディルはとてつもなく哀れだった。
「…我はお前が…嫌いだ。出て行くなりなんなり好きにするといい…」
耐えられなくなった王は慣れた手つきで布をかぶり、サディルに背を向ける。
「こんなことで傷つきはしない。こんなのはいつものことだ…」
その独り言はサディルにも聞こえたが、どうすることもできずに後ろ姿を見送った。
「どうやら拗れてしまったようですね」
クロムがいつの間にやらそこにいた。
「王に勘違いされていますが、宜しいのですか?」
クロムは呆れたような、それでいて案じるような声音で言った。サディルは顔を上げたが、その目はクロムを捕えることはなかった。焦点が合わず、虚空を見つめるだけ。
「隠し事をした私が悪いんです…」
自嘲気味なそれにクロムが合わせる。
「ええ、間違いなくそれが原因ですね」
クロムの肯定にサディルは泣きそうになった。
「それなのに、あの人を傷つけてしまいました…」
──聞いていたなら、止めてくれたらよかったのに。
クロムを責めるのは間違っていると分かっていた。けれど、もしも止めていてくれたら…と思わずにはいられなかった。
「あんなに苦しそうな王は久々に見ました」
クロムは王を大切に想っている。このサディルへの皮肉も王のため。
「どんな顔をしてました…?」
恐る恐るサディルは尋ねる。
「この世の終わりみたいな表情でしたよ」
なんでもないことのようにあっさりとした答え。
「泣いてましたか…?」
そう言いながら、泣いているのはサディルだ。
「いいえ。けれど、今は泣いてるやもしれませんねぇ…。王は泣き虫ですから」
クロムは王に同情するように、痛ましげな声を出した。
「私、あの人が気にしていることに素手で触れるような真似をしてしまいました…」
サディルにはその悩みは理解のできないことであったけれど、王にとっては譲れない部分であったに違いない。
「気にしてるのは間違いありません。しかし、王が泣いてるとしたら、それは別の理由かと」
新たに生まれかけた勘違いをクロムが正す。
「…?」
サディルは首を傾げ、クロムは笑う。
「分かりませんか?その原因はあなたですよ、サディルさん。あなたに恐れられた、嫌われたと王は思ったはず」
色を映さぬその目を瞬くサディル。
「私があの人を恐れるはずがないじゃあありませんか…。だって、あんなにも優しい人…」
「あなたの口から言ってあげてください。それで王は救われるでしょう」
「元気がありませんが、何かありましたか…?」
王に声をかけたのはミエラだった。彼女はお仕着せに身を包み、窓拭きをしていた。
「怖がらせてしまったのだ…」
それは普段の王からは考えられない、弱々しい声。ミエラは、これはサディル関連だと直ぐにあたりをつける。
「大丈夫ですよ。私、はじめに抱いていた王への恐怖が今はさっぱりです。臆病な私がこう言うんですから、サディルは平気に決まってます」
ミエラは目隠しをしていない。顔こそ見られてはいないが、異形である王の姿を真っ直ぐに見つめていた。
「しかし、サディルには顔を見られてしまったのだ…」
肩を落とす王にミエラは状況を察した。
「大丈夫です。王。…どうやら、二人の間には行き違いがあるようですね。とにかくサディルの所へ行って、落ち着いて話してきてください」
王はミエラに半ば丸め込まれるようにして、サディルの元へと歩き出した。ミエラの口にする『大丈夫』に僅かな希望を見いだしたからだ。
サディルは変わらず部屋にいた。
「サディル…」
王が静かに発した言葉にサディルは顔を上げた。目元はやはり布で覆われていた。
「王、申し訳ありません!私、隠し事をしていて…!」
王はその悲痛な声に胸を痛めた。
「…いいのだ。我がそれを無理にとったのがいけなかった。この見た目が人に恐怖を与えるのは分かっていたのに」
サディルはこれを聞いて、覚悟を決めたようにその布を取り払った。
「…私は目が見えません。ですから、王の御顔など目にしてはいません」
そう、全てはこれが原因だったのだ。
「私は貴方様にこれを知られたくありませんでした。村ではこのせいで虐げられてきたからです」
王は口を挟めずにそれを聞く。
「私は良くも悪くも、人を見た目で判断できません。ですが、その分他で人を見ています」
クロムとミエラもこれを聞いていた。
(王は人ではありませんが、ここでそれを言うのは野暮というものでしょう)
(いいところですし、やめておいた方が良いと思います…)
「私は貴方様を恐れてなどいません。嫌ってなどいません。寧ろ私は…。その、私は…!」
サディルはそこで顔を上気させ、言葉に詰まる。王は、サディルが何を言おうとしているのか分からないほど鈍くはなかった。
「…サディル。お前の気持ちは分かった。…その、我はお前を好いている」
「…っ!」
「だからこそお前に嫌われることを何よりも恐れた。無理やりに連れてこられた花嫁に望むなど馬鹿げているとは思ったが、我ははじめからお前に惹かれ、お前の心が欲しいと考えていた」
──お前を愛している。他の誰でもないお前を。
サディルはその目に涙を滲ませた。
「私も、貴方様を愛しています…!!」
それは、喜びの涙だった。
読んでくださってありがとうございます!!
異類婚姻譚が増えますよーに!!(-人-)