第65話 対決6
「ちょっと! 実のお母さんを殴るなんて、どうかしているわ!」
ヴィクトリアは立ち上がり、ローズ王妃の肩に手を置いて立ち上がらせようとしたが、彼女はそれを拒否してヴィクトリアの手を振り払った。
「母親だって? その女のことをそんなふうに思ったことはないな」
吐き捨てるように言うアーロンの顔は、まるで人間のようではないように思えた。
感情のない、まるで人形のようだ。
今までの、屈託のない笑顔を浮かべる愛想のいい、誰からも愛される弟というふうに見えたのは、全て演技だったのだろうか。
「それは今はどうでもいい。問題はそっちのお前の方だよ」
アーロンは懐から短剣を取り出して、それをヴィクトリアへと向けた。
「そもそも、あの国王に子供がいるなんて許せない。しかも、お前みたいな奴が。町娘だったのが急に王女になって、幸せそうな顔を拝むのがさぞや不愉快だと思ったから先に暗殺しようと思ったのに、それをかいくぐって王城にやって来たかと思うと、あっという間に周囲に馴染んで。あの気むずかしい兄と変態の姉まで手なずけて。不快で眠れないほどだ!」
「そんなあ。夜は寝た方がいいと思うわよ?」
「今までのその女との話を聞いていたけれど、要はお前を殺して契約書を奪えばいいわけだ。妙に真面目なお前のことだ。このことは誰にも話さずに来たんだろう?」
「そうね」
「あの、冷徹で血も涙もない、標的がたとえ幼子であっても粛々と仕事をこなすと評判だったら殺し屋をどうやって撃退したのか、あるいは懐柔したのか分からないけれど、それはまあいいや」
どうやら、その殺し屋がユアンであるということは分かっていないようだった。そして、ユアンにそんな評判があると知って、少々複雑な気持ちになった。まさか子供を殺したことがあるの、と。それは許しがたいので、後であれこれ聞いてやろうと思った。
「それに、僕も人に任せるのはどうかと思ったんだよね」
「え?」
「だって、殺すなら自分でやりたいよね?」
どうやらアーロンは人殺しを人に頼んだから罪悪感がないのかと思ったが違ったようで、そもそも人を殺すことをなんとも思っていないようだ。
これはとんだモンスターだな、と思いつつヴィクトリアは覚悟を決めた。
「分かったわ、受けて立つわよ。タイマンね」
「タイマン……?」
「一対一の勝負ってことよ。そうね、殺し屋なんて雇うよりもよっぽど健全よ」
そう言いながらヴィクトリアは立ち上がり、元自分が座って椅子を持つと部屋の中央に進んだ。
武器がないときは身近なものを武器に。
下町で学んだことのひとつだ。相手が持っている短剣に怯んで『やめてアーロン、考え直して!』と無駄な抵抗をして短剣でブスリと刺されて人生ゲームセットなんて事態はごめんである。
「……お前って、つくづく変わっているな。でも、そうこないと。無抵抗の者を殺しても面白くない」
「あなたも、自分の姉のことを変態なんて言っておいて、自分がそれの数段上の変態だって気付いている?」
「お前には言われたくないな」
そう言いながらアーロンは、短剣を握りしめながらヴィクトリアへと向かってきた。
ヴィクトリアは椅子を盾にするようにしてそれをやり過ごすが、ちょこまかと動くアーロンに対してこのまま椅子を持って対応するのは無理だと気付いた。
そうして椅子をアーロンの方へと投げて一瞬の隙を作ったところで、今度は本棚にあった本を引き抜いてアーロンに投げた付けた。
「無駄な抵抗だ」
アーロンはそれを華麗にかわしていく。
そうしてヴィクトリアに向けて飛びかかってきた。
「うわぁ!」
きゃあ、とか言えばいいものの、王女らしからぬ野太い声でそう叫んで、ヴィクトリアは咄嗟に別の本を掴んで、それでアーロンの短剣を受け止めた。短剣は本に深く突き刺さった。
本気で殺しにきている、ということはその勢いで分かった。これは油断していたらやられる。
しかし、アーロンの短剣を奪うことに成功した。
これで彼も諦めてくれたら、と思ったらアーロンは別の短剣を懐から抜き出した。
そうして油断ない目つきでヴィクトリアを見つめ、隙を窺っている。
うかうかしていたらやられる、と察したヴィクトリアは、本から短剣を引き抜いた。そうして、それでアーロンに斬りかかろう、と、足を踏み出したときに突然に違和感に気付き、振り払おうとしたができず、そのままべちゃりと床にたたきつけられた。
なにが起きたのかと足元を見ると、ローズ王妃がヴィクトリアの足首を強く握っているのが見えた。




